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大島幸久の『何でも観てみよう。劇場へ!』

歌舞伎美の世界

 おとぼけ? 仁左衛門のパフォーマンス  NEW!     

 仁左衛門はまさに迷優、いや名優である。

 10月に国立劇場で上演される通し狂言『霊験亀山鉾』の発表会見が8月29日に開かれた。冷酷非情の水右衛門と、その男に瓜二つの八郎兵衛の二役を演じる仁左衛門。会見でのいいところ取りの発言をご紹介する。

 「私はこの作品は大好きで(東京で15年ぶりの)再演。本当に嬉しい」。

 「たびたび出せるお芝居ではございませんので、もしかしたら私も最後かなあと思います」

 「正直、会見は好きじゃない。和やかに進めたいのでご挨拶はこの位で…」

 スーツ姿でマイクを片手に立って話し始めた歌舞伎界随一の二枚目。目尻が下がった愛嬌ある顔は常に微笑んでいた。今作は平成14年に初めて手掛けているが、「初演? 忘れた」。時折、質問者の声が聞こえないらしく、「どうも耳が…」と耳に手をやって再質問を願う仕草。これは演技なのか、本物か?
    
 一世一代の作品になるのか問われると「ですので、最後かなあの『かなあ』ということで。まあ、私の体力ですかね。大きいお役やらせて頂くこれが最後かなといつも思っています」とケムに巻いた。

  「私は理屈とかあまり考えない。体が自然と燃えていく」と悪の華を咲かせる役柄を話した。
    
 「亀山の仇討ち」と通称される作品。返り討ちを描くのが珍しい。質問者に「マイクから(口を)もっと離して話して下さい」などと、どこまでが芝居か分からない名優ぶりの会見。73歳。松嶋屋は華のある役者である。

 (平成29年9月4日)

 巳之助の婚約  NEW!     

 坂東巳之助が婚約を発表した。めでたい。お相手は27歳の巳之助より3歳上の30歳一般女性という。おめでとう。

 父・三津五郎が平成27年に亡くなった時、25歳だった。「父の遺志を受け継ぐ」と宣言していた通り、その後は坂東流家元として、また役者として顔付きが変わった。踊りが上達、演技も成長し、人気も出てきた。

 平成元年生まれの巳之助と同時代には元年生まれの中村歌昇、中村萬太郎、同2年には中村壱太郎、市村竹松、坂東新悟がいる。やはり婚約が内定した眞子さま、小室圭さんも来年に結婚される見通し。歌舞伎の御曹司に結婚ラッシュとなるか。芸の道でも切磋琢磨といこう!。

     (平成29年9月4日)

 ウコンのチカラ  NEW!     

 「悔しい」を連発していた。尾上右近が開いた自主公演「第3回研の會」(国立劇場)のカーテンコールだ。

 8月27、28日に上演された28日の最後の回を見たが、自身を鍛える勉強の場である自主公演の大変さ、苦労を幕前に平伏して挨拶した汗だくの右近。チラシから始まり大道具などの打ち合わせ、記者会見などの準備、そして上演された『神霊矢口渡』のお舟、『羽根の禿』と『供奴』の舞踊二題の稽古と本番まで自分が背負った物と演技の不十分さを痛感したのだろう。

 しかし、だ。右近は幸せ者だ。

 何より感じたのは、協力した仲間の俳優らが手抜きせず、全力で役に打ち込んでいたことである。松也、市蔵、国矢たちだ。この会は右近を助ける、盛り立てようとする友情の集まりであった。

 会場は満員、盛んな拍手。無事、千秋楽を迎えられた感謝の気持ちも語り、来年8月26、27日に予定する第4回の開催を「必ずやる」と強調していた。厳しく言えば、お舟も踊りももってもっとやれたはずだ。「悔しい?」。まだ3回、25歳じゃないか。右近、これから力を発揮する上り坂ヘ向かへ。

   (平成29年9月4日)

 長男に学ぶ菊之助       

 菊之助が7月の国立劇場『一條大蔵譚』で初役の一條大蔵卿を演じるが、5月28日の記者会見で、監修する伯父・吉右衛門の教えを語った。

 源氏再興の本心を隠し、作り阿呆になっている主人公・大蔵卿について菊之助は猿之助(当時亀治郎)が勉強会で演じた際、常盤御前で付き合ってから取り組みたいと思っていたという。

 吉右衛門からは「作り阿呆にならざるを得なかった男の哀しさを勉強して欲しい」と言われたそうだ。台詞術、身体の使い方が稽古で難しいようで「阿呆を強調してやりなさい」とも。そのためには自分の子供の歩き方などを見て研究するようアドバイスされた。菊之助は長男の和史君の動きを注視している最中。

 一方で姉・寺島しのぶの長男・眞秀が団菊祭で初舞台を終えたばかり。25日間の出演を経て台詞などが上達したのに驚いたという。楽屋ではチャンバラで大人の俳優を切る格好が気に入り、皆が色々な事をやって斬られるので歌舞伎が好きになったらしく、「皆さんのおかげ。ありがたい」。

 常盤御前の梅枝、鬼次郎の彦三郎、女房お京の右近も全員初役。この日、25歳の誕生日だった右近が皆に拍手されていたが、「歌舞伎のみかた」の担当が6度目になる亀蔵を含めてフレッシュな一座である。

   (平成29年6月3日)

 山田洋次監督と前進座の関係       

 劇団前進座は五月国立劇場で『裏長屋騒動記』を上演するが、その制作発表を4月21日に開いた。

 落語でおなじみの「らくだ」と「井戸の茶碗」をベースにした新作。その脚本と監修が山田洋次監督で、会見での“山田節”を楽しんできた。

 まず、前進座との長く、深い関係を知ったのが驚きだった。

 父親が劇団のファンだったという山田監督は子供の頃からその舞台を見ていたのが第一。

 さらに学生時代にはサークルの仲間と一緒にエキストラで出演したのが中村翫右衛門らが出ていた独立映画『箱根風雲録』。

 第三が監督作品の映画『たそがれ清兵衛』には劇団の俳優を使っていたのである。

 そして四番目は前進座附属養成所で毎年1回、特別講師を勤めているのだ。

 今回初めて劇団の舞台に参加するが「いつかはボクの脚本でというのがついに実現できてとても喜んで、緊張もしている」。前進座については「今や劇団の数は少なくなってきている中、チームワークで作っていく、それが生かされるのが興味があるし、期待したい」と話した。

 「らくだ」は歌舞伎でも上演されてきた人気噺。しかし、山田監督は「大好きな演目。歌舞伎の舞台には不満があった。どうしてあんな風なのか。ボクなりのイメージでと夢を持っていた」。「井戸の茶碗」と重なるのではないかーと映画脚本を書いたこともあったそうだ。

 監督の持論は「観客を気持ち良く笑わせることほど難しいことはない。笑わせる方が観客と同じような生きる辛さを共有していないといけない」というもの。江戸の長屋で起きる大騒動の物語。「人間が生きていくのはなんと大変なんだろうと考えて、劇場を出て頂ければいいな」と、自身の楽しみにしている公演らしい。

 (平成29年5月9日)

 新しい芝翫の意欲的な直実       

 全国の皆さん、新芝翫の熊谷直実を凝視してくださいー。

 公文協による巡業の「松竹大歌舞伎」の東コースが6月30日から、西コースが8月31日から始まる。八代目芝翫、四代目橋之助、三代目福之助の襲名披露興行で、演目はともに『狸々』、『口上』、『熊谷陣屋』の三本立て。製作発表で芝翫が深々と頭を下げた。

 『熊谷陣屋』は昨年10月歌舞伎座での襲名公演で演じているが、直実は團十郎型、芝翫型の二つが残っていて、芝翫が家の芸をこう語った。

 「團十郎型と比べて芝翫型は本行(浄瑠璃)通り。團十郎型は派手で若々しい。二世松緑が残した書き抜きがエンピツで團十郎型と芝翫型と書かれていました」。それを吉右衛門に見せて資料を作ったという。今回はその芝翫型を地方の人々に見て欲しいそうだ。

 昨年10月歌舞伎座での初日、襲名の口上で「息子が橋之助でございますーと挨拶した時、北海道の山わさびのように頭にツ~ン、グワ~ッと来て、嫉妬した」と笑い、前名の自分の名前が脳裏にあったようだ。

 義経を演じる梅玉は「前の芝翫兄さんには色々とお世話になったのだが、(その息子を)芝翫と呼び捨てにできるのが嬉しい」と、これも笑いを誘っていた。

 公文協の巡業は昭和42年に始まって今回が50周年記念。その当時の40年代、50年代は歌舞伎興行が苦しい時期だったーという梅玉は隔世の感だった。

   (平成29年4月24日)

 意味深い菊五郎としのぶの挨拶       

 菊五郎の挨拶が良かった。

 「今年の歌舞伎は襲名だ、追善だ、初舞台だと。そして5月はお祭り騒ぎの集大成。父と伯父の追善で、賑々しく出来るようによろしくお願いします」。

 歌舞伎座の「團菊祭五月大歌舞伎」の取材会。まさしく菊五郎の言葉通り、七世梅幸二十三回忌、十七世羽左衛門十七回忌追善として坂東彦三郎の初代坂東楽善襲名を始め長男・亀三郎、次男の亀寿の襲名と亀三郎の長男の初舞台、さらに菊五郎の孫の寺嶋眞秀(まほろ)の初お目見得という歌舞伎興行のオンパレードである。

 菊五郎は父・梅幸について「二十三回忌と言っても父を知っているお客様も少なくなり、肉親だけでやろうと思っていました」と軽く触れ、伯父・羽左衛門については「いろんなことを知っていて、よく教えていただいた。弁慶など近頃はこうやってるが違うんだとか。嘘か本当か分かりませんが…」と笑わせた。

 両親も会場に姿を見せた孫の眞秀は将来、ウルトラマンになりたいーと子供らしい夢。歌舞伎俳優になるかどうかは本人次第と語った母親のしのぶは「難しい立場なのでどうなりますか」と、梨園の世界の裏表を知り尽くしているコメント。菊之助には長男の和史がいるし、菊五郎の亡き後の遠い将来が見通せないことを熟知している訳だ。とにもかくにも團菊祭は菊五郎劇団の結束こそ大切だと思わせたのである。

     (平成29年4月24日)

 愛之助の半平太       

 片岡愛之助の奮闘公演となる明治座「五月花形歌舞伎」の制作発表に出掛けた。

 演目は昼の部が『月形半平太』と『三人連獅子』、夜の部が通し狂言『南総里見八犬伝』。愛之助は全て主演。『月形半平太』は半平太、『三人連獅子』は親獅子、『八犬伝』が犬山道節。注目は初めて歌舞伎で上演される『月形半平太』だ。

 愛之助の明治座公演は平成5年3月、新築完成記念こけら落公演。今回で6度目の登場だ。会見で「久しぶりに大好きな明治座に帰ってきました。明治座のお客様が好きな芝居は何かと悩んでいたところ、『月形半平太』を見つけてくれました。はんなりとした部分、立ち回りの部分があります。里見浩太朗さんから『春雨じゃ、濡れていこう』の名台詞を教えてもらいました。台詞を謡いなさい-と」。初役の半平太は、だが歌舞伎で演じる点に力が入っているらしい。

 囲み取材になると藤原紀香夫人との新婚旅行について聞かれ、温泉でも行きたい-と笑っていた。新国劇からの財産演目『月形半平太』への挑戦。楽しみだ。

   (平成29年4月11日)

吉右衛門の心に染みる発言   

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 吉右衛門の話にズシリと重みがあった。

 3年ぶりに再演される国立劇場3月歌舞伎公演の通し狂言『伊賀越道中双六』。1月27日に行われたその記者会見の報告-。

 前回の好評を受けての早い再演。「月日の経つのは早いなあ。アッという間に3年も経ってしまった」。吉右衛門のこの後が面白く、重みがあったのだ。「若い役者と一緒にやって年老いた駄馬ながら走らせて頂きます。どれだけ駿馬に追いつけるか」。

 国立劇場開場50周年記念の公演を続けてきたその掉尾を飾る。今回は、前回なかった「円覚寺」を昭和6年2月の明治座以来86年ぶりに復活するのが話題だ。

 吉右衛門に二つの質問をぶつけた。最初が「どうすれば駿馬に追いつけるのか?」。私は「年老いた駄馬の中の駄馬ですが」と前置きを言ったが、若い者には負けないコツは?という意を込めてみたところ、播磨屋は大いに笑いながらこう答えた。
    
 「できたら種馬になりたいが、若々しい皆さんの余り余った精気を頂戴していきたいなあ、と。優勝はないまでもゴールには必ず入らないと」。これには一本取られたが、次ぎが再演となるまで好評だった成功の理由である。
    
 作品の主役、唐木政右衛門を祖父・初代吉右衛門、そして父・白鸚が演じており、その二人から吉右衛門は「心の中に染みるようにしなさい-と言われてきた。そういう考え方でやってきたが、作品そのものが巧く書けた作品で、役者がそこに工夫で心に染みるようになるのではないか。名作は名作だとこの作品で思った。教えに沿ってやらしていただいたところ、評価に繋がったのだと思います」と答えた。
    
 心に染みるような考えと演技、名作にはその考えに沿って演じ切ることが公演の成功に繋がるという発言に重みがあり、胸に染みたのである。
        
 【写真提供】国立劇場     

 (平成29年2月2日)

 薬膳?いえ、楽善です       

 歌舞伎座「團菊祭五月大歌舞伎」の記者発表会が1月24日に開かれた。七世梅幸二十三回忌追善、十七世羽左衛門十七回忌追善の興行であり、さらに坂東彦三郎が初代坂東楽善、長男・亀三郎が九代目彦三郎、次男の亀寿が三代目亀蔵を襲名し、亀三郎の長男・侑汰が六代目亀三郎として初舞台を披露する公演である。

 初代楽善となる彦三郎がやはり話題の中心だ。

 楽善の名は三代目彦三郎の俳名で、さらに彦三郎自身の俳名。これまで亀三郎、薪水、亀蔵、彦三郎を名乗ってきたが、五度目というギネス級に多い名前変えとなるのに当たって、他の候補は考えなかったそうだ。「楽善という名は楽しいような名前でございますので私も楽しい舞台を勤めたい」と挨拶した彦三郎。さらに当方の質問には「70歳を過ぎているので楽に、楽しく芝居をやりたいと思っています」と答えた。

 同席した菊五郎は冒頭の挨拶で「何と申しますか、子供の頃から70年も付き合ってきた彦三郎さんが、“え?薬膳?”。中華料理のお品書きのような名前でと思ったが、楽善で良かった」と笑わせた。その菊五郎に「若い頃に二人で何か悪さをしたエピソードはありませんか」と質問すると「品行方正ですから悪さはありません」ととぼけられた。

 それでも菊五郎は「これから枯れてくるので彼には老け役を色々やって欲しい」とエール。彦三郎も「私もそれは大事だと思う」と意欲的だった。

 襲名公演で彦三郎は『石切梶原』の大庭三郎、『対面』で小林朝比奈を演じ、劇中で襲名口上を行う。


 (平成29年2月2日)

客席の上を飛ぶ菊之助  NEW! 

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 国立劇場の初春歌舞伎公演『しらぬい譚(ものがたり)』の見どころを12月5日に開かれた記者会見に沿って紹介しよう。

 まず配役。菊五郎=写真中=が大友家を滅ぼした菊地家の執権・鳥山豊後之助、松緑=写真左=がその倅・秋作、時蔵が秋作の乳母秋篠、菊之助が復讐を図る大友家の遺児・若菜姫。

 次ぎに見どころ。お家騒動物であり、スペクタクル性に富む演目。新たな台本を作り、秋作の化猫退治の大立ち回り、若菜姫が客席の上空を斜めに飛ぶ“筋交い(すじかい)”の宙乗りや屋台崩しがある。

 監修もする菊五郎は会見で、智略を尽くす豊後之助について「さばき役です。今、猫ブームなので猫を出そうと考えて、蜘蛛の化け物も出ます」。

 筋交いの宙乗りをする菊之助=写真右=は初体験だが、平成17年10月の『貞操花鳥羽恋塚』で初めて体験している松緑は国立劇場としても初の試みだったため手際良くいかなかったという。「ワイヤーが外れかけて上半身が前に倒れかけたことがあった。やっぱり客席の上を飛ぶので恐かった。その時から10数年経っている。進歩しているので安全でしょうが、120%念を入れてやらなければいけないと思う」。自分の役については豪傑の力感を出したいという。
    
 菊之助は「女形、若衆、そして宙乗りの筋交い。客席上では“印”を結ぶスペクタクル。蜘蛛の毒の糸は何色がいいかなども考えています」と役作りを語っていた。


 (平成28年12月2日)

 10代目松本幸四郎誕生  NEW!     

 10代目松本幸四郎が誕生する。染五郎が幸四郎を、幸四郎が2代目松本白鸚を、そして金太郎が8代目市川染五郎を襲名する発表会見が8日に開かれた。披露興行は開場130周年に当たる平成30年1・2月の歌舞伎座を皮切りに南座、松竹座、御園座、博多座、そして巡業公演へと続く。

 表面上は落ち着いたように見えた染五郎はこう切り出した。「今、ここにいる自分の気持ちはただただ興奮していますが、幸四郎という名前が自分で分かるのは10年20年後になるかも知れない。私は高麗屋の家に生まれたから名前を継ぐのではなく、芸を継ぎ、多くの人々に知ってもらえるためにやる。そのために幸四郎を継ぐと思ってきました。尊敬する人の言葉を言います。歌舞伎職人になりたい。その人の名前は“お笑い職人になりたい”と話した志村けんさんです」。『鏡獅子』や『大森彦七』、そして『勧進帳』の弁慶など舞台に命をかけて高麗屋の芸を体現したいと決意を述べた。

 2代目白鸚となる幸四郎。白鸚は祖父7代目幸四郎の俳名であり、父8代目幸四郎が晩年に名のった名だ。私見だが、白鸚となることは父を尊敬していること、この名をもう一度、世に出したいとする意志を読み取った。父、自分自身、そして息子の同時襲名を行った昭和56年以来の三人同時は37年ぶりになる。「初舞台から71年。私は今日の日のために(舞台を)やって来たのではと、しみじみ思うくらい、幸せです。前回は父が命をかけてやってくれたのは奇跡のよう。幸四郎の名前が変わることに悔いも寂しさも全くない。ただ感謝で一杯です」。

 染五郎に名を渡すことについては、染五郎が『伊達の十役』で女形の大役、政岡を演じたのを見てその出来に舌を巻いたからだという。決めたのは新しい歌舞伎座が建ち上がってからで、自分自身は当時「自分の一日一日の舞台で(役者としての)覚悟ができているのかを考えていた。いつの日にか、この日が来ると思っていたが、政岡を見てからです」。

 白鸚としても『ラ・マンチャの男』、『勧進帳』をお客様の要望があればやりたいそうだ。「さらに活躍の場をと思っている」と意欲満々。披露狂言には『寺子屋』の松王丸を演じることを明かした。高麗屋三代襲名-。平成で最後の大きな襲名興行になるかも知れない。


 (平成28年12月14日)

 “菊・吉”で極上の『忠臣蔵』       

 菊五郎が5・6段目の勘平、吉右衛門が7段目の由良之助を演じる国立劇場11月公演『仮名手本忠臣蔵』。“菊・吉”という現在の極め付き俳優2人が記者会見で思いの外、神妙な抱負を語った。

 「何回やっても難しい役ですが、初心に帰って新しい気持ちで勤めさせて頂きます」と菊五郎。

 「7段目の由良之助は難しい役で、色んな書物にも名優がああしたとか書かれているくらい。ああ、これでいいというのを摑んでいないので今回、摑んでみたい」と吉右衛門。当代の名優二人にしても『忠臣蔵』になると襟を正した発言になった。

 役作りについては菊五郎は6段目の腹切りの場に触れた。「内面もリアルじゃないと繋がらない。回りの役者さんとのチームワークの兼ね合い。台詞がトントンと渡っていくような、心理劇と言いますか。やり込んでいかないと出来ないんです。様式で綺麗に見せなければいけない」。勘平の役について「音羽屋の人間はこうやるもんだーと言われたもんで、今は音羽屋型で疑問を持たずにやっている」という。

 吉右衛門は祖父の初代についてこう話した。「晩年の初代が花道で力弥に向かって会いに行く間に、小唄を唄ったといいます。余裕と色気、武士の魂がある」。その祖父、実父の白鷗、伯父の二世松緑の演技を念頭に演じるという。

 二人にサービス発言も出た。

 菊五郎は大病した後のことを聞かれて「酒もタバコも止めました」と言ってから間を入れて「ウソ。大丈夫です。(橋之助の芝翫襲名の口上で)言うこともなく、下らない事を言って怒られた」。

 吉右衛門は一力茶屋で遊興にふける由良之助の芝居に関して「遊びの余裕がそこはかとなく出て、見た目が遊んでいる。遊びのことは隣にいる菊五郎さんに色々聞いてみたいと思います」と笑わせた。

 (平成28年10月23日)

 橋之助の芝翫襲名       

 橋之助が八代目芝翫を襲名した歌舞伎座の「芸術祭十月大歌舞伎」。観劇した4日の「口上」が抜群に楽しく、また、ある場面がグッと胸に迫った。

 俳優19名が居並んだ「口上」。玉三郎が「兄さん(先代芝翫)の名前がこうして蘇るのが嬉しい」と述べれば、お楽しみの菊五郎だ。初日の2日には「これからはキョロキョロしないように」といった主旨で新芝翫へのアドバイスで笑わせたのだが、この日は違った。。

 「今まで通りのチョロチョロでけっこうですので」といったニュアンス。実は2日目から変更したらしい。「キョロキョロ」について〝ある人〟から助言があったようだ。「人様に言えるのですか」(?)。即座に変えたあたりが菊五郎らしい人柄だ。

 吉右衛門は先代には楽屋で「好きな競馬のお話をうかがいました」。その隣だった魁春の時、〝事件〟が起きた。

 国生改め橋之助、宗生改め福之助と親戚関係の名前を言った後、なぜか次に「愛之助」と述べてしまった。この瞬間、場内はもちろん笑いが来た。俳優は平伏しながら苦笑しているのが分かった。顔は見ずらいものの、明らかに笑っている俳優、体を揺らしている俳優…。当の魁春は大あわてで言い直したがこの〝事件〟が愉快な人柄の魁春らしいのだ。

 児太郎の順番が来た。芝翫の兄である福助の長男。芝翫の甥だ。父は病気による長期休養を続けている。弟の大切な襲名興行に列座できない。その悔しさを見ている児太郎が「(舞台に戻るため)父はリハビリを続けています」と述べると観客から大きな拍手が出た。さらに梅玉。福助という名前は自身が名乗って当代に渡した名跡である。「必ず戻って来てくれると思っています」。その表情と言葉は歌舞伎界全体の期待と思えるように響いた。

 そして、芝翫。ゆっくりと、さらにメリハリの効いた語りで述べた。「先祖の名を汚すことなく、精進して参ります」。気合と覚悟の胸の内を場内隅々まで響かせたのだった。

 (平成28年10月12日)

 右團次を襲名する右近の決意       

 市川右近が三代目市川右團次を襲名し、長男・武田タケル(6)が二代目右近を名乗って、ともに来年1月の新橋演舞場で披露興行をする。5月26日に発表会見が開かれた。

 右團次の名跡は特に関東では馴染みが薄いが、初代は江戸幕末から明治、その子の二代目は明治・大正・昭和初期に関西で活躍し、親子ともケレン味がある役柄を得意としていた。二代目が昭和11年に亡くなり、右團次の名は80年ぶりの復活となる。

 襲名に当たり、松竹を始め右近の師匠である猿翁、市川宗家の海老蔵、二代目の孫である市川右之助に相談して了解を得たという。「水面下ではかなり前から動いていました。にわかに決まった訳ではありません」と右近が明かしたように幹部俳優の同意を得る一方、いくつかの名前が挙がった中での経緯があった。屋号はこれまでの沢瀉屋から高嶋屋に変わるが、従来通り沢瀉屋一門の中で舞台を続ける。

 襲名の背景は右近によれば「ケレンの大名跡であること。私が関西出身であること」を挙げた。スーパー歌舞伎など猿翁の下、沢瀉屋一門でケレン味豊かな芝居で鍛えられ、日本舞踊家の家庭で大阪で生まれた右近。病中の師匠猿翁から「翔べという言葉を送る。フレー、フレー!右團次。大きく、高く翔べ!」という書面コメントが披露された。

 襲名披露狂言はこれから練られるという。1月の新橋演舞場以降の披露公演は猿之助、海老蔵らのスケジュールを考慮しながら2、3年後を計画している。「残る我が人生を歌舞伎に捧げ、師匠と沢瀉屋の理念を後世の役者に伝えることが使命」と話した右近。沢瀉屋では猿之助、市川中車に続く名跡の襲名だが、右團次の名を輝かせるのはこれまで以上の血の滲む精進しかないのである。

 (平成28年5月29日)

 前進座総力戦で『四谷怪談』       

 この1月に劇団代表だった名優、中村梅之助を失った前進座が創立85周年記念、そして梅之助追悼公演として『東海道四谷怪談』を上演中。その制作発表を紹介する。

 劇団にとっては昭和57年(1982)以来34年ぶりの上演だ。お岩は五世河原崎国太郎が1976年の東横劇場で初演してから3度演じている。今回の配役は当代の六代目国太郎がお岩、茶屋女おもん、小仏小平、小平女房お花の4役。芳三郎は伊右衛門、矢之輔が直助権兵衛、抜擢された忠村臣弥がお梅、そして7年ぶりに里帰りの菊之丞が佐藤与茂七に扮している。

 34年前、劇団員となっての初舞台で孫娘お梅を国立劇場で演じたのがこの作品という国太郎。「劇場の大きさに圧倒されたのを覚えている。祖父(五世)のお稽古を見ていたら、凄まじい凄味でした」。十七世勘三郎、六世歌右衛門の映像を見た一方、原作を読み直した。

 劇団では国太郎に続く若手女形の育成が急務で、3年前から梅之助の賛同を得て勉強会を開いてきたのも今回の上演を見据えてだった。その中から忠村臣弥が抜擢された。第3、4世代が全員初役の記念公演は将来に向けての正念場である。

 (平成28年5月24日)

獅童と愛犬エル                     

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 国立劇場の三月新派公演の『寺田屋お登勢』で坂本竜馬を演じている獅童。14年ぶりの同劇場出演だが、〝共演〟している犬が話題になっている。

 第一幕第二場、寺田屋の店座敷に向かう花道に出た竜馬が抱いている場面だ。この子犬は野良犬で、橋の脇で袴の裾をくわえて放さなかったので連れて来たという設定である。竜馬の優しさを現すものだろうが、襟元に小便をひっかけられるという話になっていて、抱いている獅童の目付きがまた、優しさ満面なのだ。

 エルという名前のオス、3歳。獅童の愛犬の柴犬。マメ柴である。獅童の母がエルビス・プレスリーの大ファンだったところからエルと名付けられた。獅童によれば、初日の二日前までは別の犬だったがサイズが大きすぎたため失格。幕末を舞台としているので黒色の日本犬が条件。急遽、獅童の愛犬に出番が回ってきたという。。

 「オーディションに合格するかドキドキしましたが、無事に合格してとても嬉しいです」。 楽屋からクンクンという鳴き声が聞こえてくるそうで、「ご褒美におもちゃを買ってあげないといけませんね」と獅童は初共演を楽しんでいるようだ。

 (平成28年4月1日)

 梅之助と梅雀       

 85歳の生涯を閉じた中村梅之助の前進座劇団葬に参列した。

 遺族代表の長男・梅雀が挨拶した中身が興味深かった。9年前、劇団を抜ける報告をした時、「自分は止める立場だが、止める事は出来ない。気持ちは分かる」と答えたという。梅雀は「背中を押してもらった」と話した。それまで歩行もままならず、杖を付いていたのだが、それ以来、立ち直って、歩く姿は杖も付かずに、立派な姿になったのは、自分がしっかりしなければ-という覚悟だったのではないかと語った。

 70代、80代の凄まじい闘病生活ぶりも詳細に明かした。亡くなる直前、梅雀の娘、自分の孫とキスしたいと懇願したそうだ。長女が頬に口を近づけると「ダメ」と言い、感染を心配した梅雀をよそに、口にチュ。梅之助は父親・翫右衛門の名を継がなかった、いや、継げなかった。一代で大きくした梅之助という俳優名がそれを許さなかったのだろう。

 私の世代では「遠山の金さん捕物帳」とか「伝七捕物帳」、また大河ドラマ「花神」での大村益次郎で江戸の庶民や侍を楽しんできたが、舞台では「魚屋宗五郎」、「一本刀土俵入」が目に浮かぶ。

 人なつっこい目付きで自身の病気を楽しそうに話していた記者会見。区切りの周年で前進座の歴史や苦労話を披露した時の懐かしそうで、鋭かった眼光。梅之助は一代の名優であった。

 (平成28年4月1日)

 雀右衛門が襲名のお練り       

 「京屋!」「五代目!」「おめでとう!」-。五代目中村雀右衛門を3月の歌舞伎座から襲名披露する中村芝雀の「お練り」は色々な掛け声が飛んで実に爽やかだった。1月27日、浅草寺で行われた「お練り」。爽やかだと気付いた理由はいくつかある。

 これほど爽やかで清々しい気分になるお練りに付き合ったのは初めてだ。考えてみるとその第一は女形の大名跡を襲名するのが珍しいからだろう。近年、女形と立役を兼ねる坂田藤十郎の誕生はあったが、真女形は本当に久しぶり。思い出せないくらいだ。福助の歌右衛門襲名が延期となっており、雀右衛門の名の4年ぶりの復活は華がある。

 二番目は当人、そして兄・友右衛門とも夫人、そして友右衛門の長男・廣太郎、廣松も練り歩いて京屋、明石屋ファミリーが揃ったことだ。

 三番目は新雀右衛門の挨拶。温厚な人柄そのままの清々しさ。仲見世を練り歩く時、贔屓、お店の人々に手を振り、手を握り、頭を下げ、本堂前はマイクを片手に満面笑み。丸顔がくしゃくしゃ。会見では2月から走り込みを行い、昼飯抜きでダイエットもやって完璧なボディを作るというリップサービスを含んで笑わせた。

 さて、その襲名興行は博多座、松竹座、南座へと続く。3月のお楽しみは時姫、雪姫の新雀右衛門。そして藤十郎、菊五郎、吉右衛門、仁左衛門、幸四郎-。ああ、待ち切れない。

 (平成28年2月1日)

 新派入りの月乃助に何が出来るか       

 新派の女形芸を確立した名優喜多村緑郎の二代目を継ぐ市川月乃助は今後、何が出来るのか。何を目指すのだろうか。可能性は案外、大きく広がると思う。

 月乃助の名前を返すことで歌舞伎への出演は閉ざされる。ゼロではないが、新派劇に打ち込むのが妥当だ。

 新派の名作を上演する時、主演男優は近年、歌舞伎俳優が勤めてきた。劇団内の人材不足が要因だった。12世團十郎、仁左衛門、18世勘三郎たちである。喜多村緑郎は女形だったが、月乃助は二代目として立役に進むと思われる。女形も兼ねるのも否定しない。

 期待される作品では立役なら猿之助と『鶴八鶴次郎』や『佃の渡し』、女形なら『滝の白糸』も将来の候補か。愛之助、獅童、中車といった花形世代と組む企画もあるだろう。

 さらに脇役のベテランが豊富な新喜劇との合同公演、あるいは新国劇の名作上演といった奇手も出てくる。実際、早くも来年6月は三越劇場で『国定忠治』の忠治を演じる。

 重要なのは八重子、久里子との共演舞台だ。大黒柱の女優二人とのバランスをどう取るか。不安材料の一つである。劇団の古参が月乃助の襲名に驚き、動揺するのは分かる。チームワークの統一も不安材料だろう。

 しかし、新派の現状と将来を考える場合、大劇場での新派公演と、寺島しのぶ、松たか子が参加する特別公演といった商業演劇を増やす中で新しい喜多村緑郎と新派俳優の出演を案配することになる。

 何より新派芸を身に付けていく二代目の性根と努力、劇団の結束が最大の課題。

 昭和三十年代に新派へ出演した故中村雀右衛門は自著「女形無限」の中でこう書いています。

 「新派の中へ入ってみたらまったく違うものでした。やはり新派は新派で、何十年も修行してはじめて新派のお芝居ができるのだということです。歌舞伎の役者が行っても、似て非なるものでした」

 「歌舞伎の女形と新派の女形というのは明らかに違います。そういう点で、新派をやるのだったら新派を専門に勉強しなければ駄目だと思いました」

 新派は名作の宝庫である。そこで月乃助は喜多村緑郎の名前を大きくすれば良いのである。(襲名公演は来年9月の新橋演舞場と大阪松竹座)

 (平成27年11月26日)

アッと驚く染五郎のお岩                   

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 「思い続けていた事が役に繋がったと思う」。12月の国立劇場『東海道四谷怪談』の通しで初役のお岩を始め三役、いやどうやら五役に挑む染五郎の意気込みと40歳代で実現した夢の感想である。

 11月9日に開かれた制作発表会見。昨年11月には長年の念願だった『勧進帳』の弁慶を体験し、そして「いっぱいある憧れの一つ」だったお岩。父・幸四郎の伊右衛門の胸を借りてようやく巡り会えた訳だ。平成25年に伊右衛門を演じた染五郎は、次ぎに『東海道四谷怪談』を演じる時は全ての演出を変えると心に決めていたという。

 幸四郎は染五郎が演じた「先代萩」で女形の大役、政岡を見た際に「昔の女形ではないかと思った。お岩もいいのではと思ったところ、『一本刀(土俵入り)』に出ていた(中村)小山三が『私が生きているうちにやって下さい。私が中村屋の型を教えるから』と言っていたのに、死んじゃった」と明かした。

 有名な戸板返し、提灯抜けといったケレン味の仕掛けを見直し、「これをやるか!という趣向を模索中」の染五郎。 お化けとなったお岩が地に足を着かずにズッと浮いている仕掛けをやるそうだ。国立劇場では44年ぶりの上演。幸四郎が「私は悪の華を咲かせます」と言えば、故中村又五郎から「お岩はとにかく子供の事を考えて生きている」と間接的に聞いており、「ついにこの日が来たという思い。舞台に立ち続けることがいつか(夢が)出来ると信じる事」。新著「人生いろいろ・染模様」の中で、40歳代は「出来る事と出来ない事を見極める」と書いている。「四谷怪談」はまさに染模様の南北の世界となりそうだ。

 【写真】市川染五郎(左側)、松本幸四郎(右側)

 (平成27年11月15日)

嗤う菊五郎                   

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 菊五郎が10月27日に二つの会見に出席したが、とてつもなく面白くて取材陣も当方も笑いが止まらなかった。さすが音羽屋、これが菊五郎だ。

 最初は文化功労者に選ばれた記者会見。10月2日に73歳となったばかり。父・梅幸が受けられなかった栄えある決定だ。

 菊五郎語録といこう。

 「さて、私、この度、栄えある賞をありがたく、光栄に思っております。今はただ、父を含め先輩に感謝しておりますが、私のゴールではありません。まだまだ舞台は続きます。新しいスタート、初日と考えております。サッカー少年、野球少年になりまして、歌舞伎少年となりまして勤めたいと考えております」

 「次ぎの世代にスムースに渡していくこと、若い人(主役級)を取り巻く脇役の育成、役を付けさせて回りの人が面白い舞台にしていくことが大事です」

 「知らせは舞台の最中で、代わりの人が何か貰えるというので、マイナンバーでも頂けるかと思っていたらビックリいたしました。声を掛けたのは女房だけです。文化はあなたにあげるけど、奨励賞(功労賞)はわたし-と言われました」

 「10代から20代の頃は、ちょっと歌舞伎に疑問を持っていて、先輩は同じ格好や台詞をなぜ言っているんだろう。飛び込めないひ引っかかりがあった。30代は先輩の側に行くことになってから、肉体に取り込む様式美になったのかと思う。洞察力、観察力が鈍かった。それからが面白くなった」

 「壁? 悩み?(間)青年から中年になる時、自分は思い切り演じていたのがこれが本当の芸なのか?と思った。先輩は力みなく演じていて、これが芸か!と。いつの間にか力が抜けていくんですね、不思議なことに…」

 「若手への注文? 外(映像など)に出ている人は焦りがあると思う。(歌舞伎に打ち込んでいる)皆、よく勉強していますよ。女性にかまっている場合じゃないんだ(笑い)」

 次ぎの会見は国立劇場の平成28年初春公演。〝小狐礼三〟で知られる『小春穏沖津白浪』の発表会見で時蔵、菊之助が同席した。

 平成14年に138年ぶりに復活上演した河竹黙阿弥の白浪物。黙阿弥生誕200年にちなんだ企画で、同劇場で短期間に再演されるのは珍しく、待ちかねられた上演だ。菊五郎は前回、小狐礼三を演じ、今回は息子に渡して自身は日本駄右衛門。

 「14年前の上演は何も覚えていません。新しい気持ちで駄右衛門をやりたいが、スチール写真よりもうちょっと若い時にしたいので、綺麗づくめに-。大立ち回りもより激しく速く、アッと言わせる趣向を考えている」と監修・演出の立場からも意欲を見せた。先の会見でも「大好きな世話物の重箱を突っ付くような演技を心掛け、ライフワークの国立劇場の復活劇で、眠っている作品がまだある。奇妙奇天烈も歌舞伎のいい所と思っている」。写真撮影ではガッツポーズを作っていた。

 最後に-。ある本に載っていた。

 「文化功労者とはひとを喜ばせ、ひとに生きる喜びを与え、そして、その感動を与えたひとがまた生きているということで他人に生きがいを感じさせる人に贈られるものと思う」。

 【写真】尾上菊五郎

 (平成27年11月1日)

 海老蔵の覚悟  NEW!     

 歌舞伎座の顔見世11月公演は「十一世市川團十郎五十年祭」。10月5日に開かれた制作発表会見の中からポイントを整理する。

 第一は追善興行としての五十年祭、あるいは五十回忌は非常に珍しい。これまでには昭和45年に17世勘三郎が父・3世歌六の五十回忌、平成2年に6世歌右衛門が父・5世の五十年祭、そして平成22年に猿翁(3代目猿之助)が祖父・初世猿翁の五十回忌を開催した程度。今回がわずかに4回目だが、それぞれ当時の故人が人気役者か実力者だったこと、追善をする俳優に人気か実力が備わっていたことが開催出来た背景と言える。

 今回の十一世團十郎は、戦後随一の人気役者だった。何の異存もない。では、孫にあたる海老蔵はどうか。人気の花形だが、以前の追善と比較すれば大名題でもなく実力も未だし。それでも開催が可能となったのは、父・十二世團十郎の影響力が後押ししたのだ。

 会見で海老蔵が「大きな行事ということで、5、6年前、父からも強く受け賜っていた」と明かしたように、十二世は松竹幹部と相談した時、開催を熱望する気持ちを伝え、自身の役も提案していた。会見で安孫子副社長も「新しい歌舞伎座でぜひ祈念興行をやりたいとまだ元気に話していた」と語り、その思いを察しての興行であることを強調した。

 第二は上演演目だ。海老蔵は昼の『若き日の信長』、夜の『江戸花成田面影』と『河内山』に出演する。

 『若き日の信長』は11世の15年祭、12世の團十郎襲名披露、11世の30年祭でも上演されて今回の50年祭という区切りでの上演。海老蔵自身は3回目。会見で祖父の代表的な役を与三郎、実盛とともに信長を上げていた。

 『河内山』は初役。プレッシャーがあると話した理由に珍しく責任感をヒシヒシと感じられた。

 「先輩方がだいぶ高齢化し、我々の世代は早い段階から古典の代表作をやらなくてはいけないと思う。仁左衛門の兄さんに教わります」。祖父、父も演じた大役というだけでなく、自分の物にしていく覚悟なのだろう。

 そして、『江戸花成田面影』では勸玄ちゃんの初お目見得である。「(追善の50年祭は)神道の大きな行事の一つとうかがっている。それにあやかり、せがれが2歳8か月で初お目見得をさせていただきます。娘も同じ2歳8か月でした」。麻央夫人が隠れるようにステージに立った父子の姿を見つめていたが、そこには息子を心配する一人の父親だけがいた。

 (平成27年11月1日)

 待ってました!松緑の新三       

 この2月に40歳となった尾上松緑が新三に初めて挑む。歌舞伎座の「芸術祭十月大歌舞伎」で夜の部の「梅雨小袖昔八丈」、通称〝髪結新三〟の主役、新三。思うに、時機到来。絶好のタイミングだ。

 今年の芸術祭公演は当代松緑の祖父、二世尾上松緑27回忌追善の狂言が三作。昼に「矢の根」、「人情噺文七元結」、そして夜の「髪結新三」。松緑は三作に出演するが、注目はやはり新三だ。

 戦後の新三役者と言えば二世松緑、十七世勘三郎が極め付き。師匠の名人六世菊五郎の芸を継承した二人だ。取材会で松緑は、かわいいところがある中村屋系、苦味があった悪党を強く出す祖父の味が新三の演技と語った。

 わずか一日だけ演じた父・初世辰之助(三世松緑)は37歳の時。「私も今年で40歳ですが、この年までやっていないので生涯やらないのかと思っていた」という。「そろそろどうだ」と話してくれた当代菊五郎は、今公演で何と初めて鰹売りに回って背中を押してくれる。「ビックリしました。ありがたいことです」。

 白子屋の店先で中の様子を立ち聞きする出、店の中で忠七の髪をなで付けるところまでにお客の心を摑みたいというのが抱負。祖父は髪を結う手順について、普段の稽古で「何十ぺんでもやって覚える」のが大切と話していた。

 まだ辰之助時代の平成9年3月の国立劇場で三津五郎(当時八十助)の胸を借りて以来、勝奴を4回演じており、「三津五郎の兄さんには毎日怒られていた」。また、菊五郎の新三の時の手順なども十分に知り尽くしている。

 祖父が使っていた髪結いの道具箱を使用する。父が使って以来だから約30年ぶりの一式だ。「この機会に祖父を思い出したり、知ってもらえれば祖父孝行になると思う。祖父に似ているのは目と鼻の数ですよ」。目が二つに一つの鼻だけが同じ、と笑わせた松緑。芸が安定してきた今、待望の新三が待ち遠しい。

 (平成27年9月24日)

吉右衛門の知られざる一面                  

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 吉右衛門の話がメチャ、面白かった。面白くて、つい体を乗り出してしまった。で、その話は後ほど…。

 国立劇場11月歌舞伎公演、通し狂言『神霊矢口渡』の制作発表が8月22日に開かれ、吉右衛門を始め歌六、又五郎、錦之助、芝雀、東蔵が出席した。

 福内鬼外・作のこの作品は四段目「頓兵衛住家」が知られるが、今回は三段目「由良兵庫館」が初代吉右衛門が演じて以来100年ぶりに復活上演されるのが目玉の一つ。福内鬼外と言えば奇人、平賀源内のこと。吉右衛門は新田家の家老で、敵役と思えたが実は忠臣だったという兵庫之助を演じる。

 冒頭の挨拶で吉右衛門。

 「源内さんという人物は学生の頃から興味がございまして、凄い人、日本人の誇りだなあ、と思っていました。エレキテルもそうですし、コピーライターとしても江戸時代に特殊な才能を持っていました」

 この話を知ったからたまらない。学生時代からというのが意外だったので、当方は質問したのである。「お若い頃というのがとても興味深いですが」

 そこで、マイクを持って含み笑いで答えてくれた吉右衛門。「福内鬼外先生を学校の日本史で教わった時、こんな人がいるんだ、世界的だなと思って。発想が斬新。誰もマネ出来ない事に目を付ける。役者はそこに憧れます。自分の新機軸を打ち出したいとどなたも思っていることです。どうだ、オレはこういうものを作ったぞ~。憧れるんですね。ボクはそこに憧れたんですね」

 人生をシャレのめした人と源内を表現した吉右衛門が若き日、誰にもマネ出来ない事を夢見ていたとは!

 大正4年7月の歌舞伎座で演じた初代吉右衛門が残していたのは写真が2、3枚と少しの書き抜きだけという。今回の芝居にもシャレがあった方がいいと思うと明かしたが、知られざる播磨屋の一面を見た思いがした。

 【写真】中村吉右衛門

 (平成27年9月3日)

 菊之助、挑戦の2015年      

 菊之助がいよいよ知盛に挑む国立劇場七月歌舞伎鑑賞教室「義経千本桜」の上演記者会見が5月29日に開かれた。

 「義経千本桜」の忠信、権太、そして菊之助が今回初めて演じる「渡海屋」と「大物浦」の知盛は立役の卒業論文とも言われる大役だ。

 会見での発言で注目したのが菊之助のこの一言。「立役として大きな変革、変われる一歩になるのではないかと思っています」。

 父の菊五郎は盟友、初代辰之助(三世松緑)の死後、次々と立役の大役を演じて女形との〝兼ねる役者〟から大変革を遂げた。菊之助は若手、花形の時を美貌の女形としての道を歩み、近年は立役に意欲を燃やして大役も演じている。しかし、玉三郎を継ぐ女形の先頭として大きな期待を受けている逸材だ。その時期に立役への大変革とは!

 会見で「父の芸を受け継ぎたい」と発言した。知盛は五代目、そして父の七代目菊五郎も演じていないし、六代目は一度だけだ。父に相談した時、「おお、そうか。やってみろ」という一言の返事だったとか。

 吉右衛門の教えを受ける挑戦。今年は中国での公演、そして間もなく第二子の誕生があるだろう。7月は「挑戦の夏で楽しみな月」とも明かしたが、八代目菊五郎への道筋を描いているのだろうか。典侍の局に初めて挑む梅枝は玉三郎に教わるという。思いの外、歌舞伎の地殻変動は急ピッチなのかも知れない。

 (平成27年7月1日)

たとえ火の中、孝太郎                  

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 「三つ違いの兄さんと…」や「たとえ火の中、水の底」の台詞で有名な「壺坂霊験記」。片岡孝太郎が娘お里、坂東亀三郎が座頭沢市という初役同士でコンビを組む国立劇場六月歌舞伎鑑賞教室の上演記者会見が5月15日に行われた。

 国立劇場では32年ぶりの上演。孝太郎にとって十一世、祖父十三世仁左衛門らが取り組んできた作品で松嶋屋の「大切なお芝居」だと切り出した。お里を演じている叔父秀太郎から亀三郎と伴に前日14日に猛稽古を付けてもらった。

 「こういうやり方もあるという稽古は祖父に似ていて、二人はもういい大人なのだから、その中からいいと思ったものをやりなさいと言われた。亀三郎君に台詞廻しの稽古を付けているのを見て祖父を思い出し、涙が出る思いでした」

 坊主頭で出席した亀三郎。「ウチの音羽屋には全く伝わっていないお役。一生懸命勤めるだけです」。

 壺坂観音の霊験で谷底に落ちたお里は命を取り留め、沢市の目は見えるようになる奇跡。信心深い家柄の孝太郎は観音様に「公演の成功をお祈りします」。この公演では「外国人のため歌舞伎鑑賞教室」が6月19日に開催される。坂東亀寿は解説で女形、特に衣装や鬘などを分かりやすく伝えたいという。

 【写真】片岡孝太郎(左) 坂東亀三郎(右)

 (平成27年5月28日)

 團蔵が祖父八世の奉納歌舞伎     

 八世市川團蔵50回忌追善「霊山寺奉納歌舞伎」が8月22、23日の2日間、徳島県鳴門市大麻町坂東にある霊山寺大師堂で開催される。八世の孫である当代の九代目團蔵が出席した会見に出向いた。

 四国霊場八十八か所のお遍路の旅に出た八世團蔵が結願した数日後の昭和41年(1966)6月4日、大阪行きの関西汽船から身を投げ、行方不明となったのはよく知られている。一番札所である霊山寺で巡礼の支度をし、先代ご住職の芳村超全さんと親交を温めたという間柄で、50回忌に当たる今年の奉納歌舞伎の上演となった。

 團蔵は「50回忌の節目で読んでいただき、ありがたいことです。歴代の團蔵の魂のご冥福を祈りながら全身全霊勤めさせていただきます」と挨拶。祖父の死去を報じた当時の新聞が一面で大きく扱ったのだが、團蔵によればその日、飛行機が落ちたというニュースが入った新聞各社がスペースを開けていた所、誤報だったため八世の訃報に入れ代ったのでは-と裏話を披露。「私は涙が出るより、どうしておじいさんはそんな事をしたのかと思った。明治期の名優だった七代目より、もっと名前を大きく出来なかったと祖父から聞いていましたが…」。

 公演で團蔵は奉納歌舞伎として「勧進帳」から「延年の舞」を読み上げから続いて衣装付きで踊るほか、対談で祖父を偲ぶ。

 (平成27年4月24日)

雀右衛門襲名へ、芝雀のインパクト                 

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 「うまい役者になるよりも、いい役者と言われるようになりたい」と語ったのは四代目雀右衛門。その次男芝雀は「お客様に訴える力のある芸を身に付けてきたい」。来年3月の歌舞伎座を皮切りに6月・博多座、7月・松竹座、12月・南座で五代目雀右衛門の襲名披露をする芝雀が24日、会見を開いた。

 今年11月に60歳を迎える芝雀は黒紋付きの羽織に袴。「これを機に一段と芸道に精進し、立派な雀右衛門となって参りたい」とまず挨拶。襲名狂言は後日の発表となったが、父親が大切にした雪姫、時姫、八重垣姫の“三姫”や「葛の葉」、「毛谷村」のお園、踊りの「娘道成寺」、「豊後道成寺」に加えて、埋もれている京屋の芸の復活を念頭に置いていると話した。

 91歳で没した父は80歳を過ぎても、滴るような色気を失わなかった。「楽屋の化粧で背中の肌を見た時、70歳過ぎてもピチピチしていて、どうしてこうなのかと思った」という思い出話が面白かった。

 芝雀は「女形は若く美しくなければならない。若々しい行動のためスポーツクラブでケアして、ライザップまではいかないけれどダイエットを心掛けて体を鍛えて3キロ減量。食事と運動でさらに5キロ減を目指します」と、インパクトのある容姿のため頑張るという。

 「お前、もっと気持ちを込めてやらなくてはいけない」と言っていた父の“濃い芸”に向けて決意を新たにした芝雀。近年、益々父親に似てきた期待の女形の来春が楽しみだ。

 【撮影】片岡孝太郎篠山紀信」

 (平成27年4月2日)

 陽気な海老蔵、大いにはしゃぐ     

 市川海老蔵第三回自主公演「ABKAI2015」の制作発表が3月30日に開かれた。その時、海老蔵、やけに陽気だった。

 6月4日~21日、渋谷シアターコクーンで上演される演目は二作。ともに新作歌舞伎の「竜宮物語」と「桃太郎鬼ケ島外伝」で脚本・宮沢章夫、演出・宮本亜門、振付・藤間勘十郎というスタッフ。主な俳優は海老蔵、市川右近、片岡市蔵、市川九團次だ。

 陽気な背景は、この日初めて公表された配役にあったらしい。海老蔵が演じるのは「竜宮物語」は浦島太郎ではなく、乙姫。「桃太郎鬼ケ島外伝」は桃太郎ではなく、島に住む“鬼”だという。女形となる乙姫一だと宮本が発表すると「え! いいんじゃないですか。けっこうオレ、きれいになっちゃうと思いますよ。女? 久しぶりだな。どんな感じ? 妖艶な…」と海老蔵。女形は以前、「紅葉狩」の鬼女などを演じているが、確かに久しぶりで珍しい。

 「桃太郎鬼ケ島外伝」での“鬼”は大いに気に入った様子。自分が桃太郎をやっても面白くないとかで、主役ではない個性を持った五色の鬼の一匹になる方向だ。

 長女と長男の子供二人が今、歌舞伎十八番の内「暫」のマネを風呂場で「しばら~く」と声張り上げているという話を明かした海老蔵。「子供たちに見て欲しい。昔話が繋がっていくのを楽しめるようにしたい。そしてこれがカテゴリーになれば本望一というのがテーマ」。

 自主公演での昔話シリーズは今回で通算四作の登場となり、宮本によればもう一回上演する計画。宮沢は海老蔵について「ヤル気満々ですから」と話したが、父親になった海老蔵がはしゃぎ回るのも分かる会見だった。

 (平成27年4月2日)

 猿之助、そして愛之助、中車、右近     

 座頭の猿之助が「考えに考えた」と演目に知恵を絞った明治座「五月花形歌舞伎」の制作発表が3月27日に開かれた。

 出演俳優の主な四人の猿之助が「男の花道」と「あんまと泥棒」、愛之助が「男の花道」と「鯉つかみ」、中車が「男の花道」と「あんまと泥棒」と「鯉つかみ」の三作、そして右近が「矢の根」と「鯉つかみ」に出演する。

 「男の花道」は長谷川一夫の主演が人気を集めたが、歌舞伎としての上演は少なく、猿之助は亀治郎時代の平成22年5月、名古屋・御園座で初演し、女形の加賀屋歌右衛門を演じている。明治座で上演するのに相応しい作品として考え抜いた企画のようだ。

 御園座で共演した坂東竹三郎から長谷川一夫の芸談を聞いたという。どうやったら美しくやれるのか。「例えばお風呂上がりの場面で『黒塚』の独吟で上手から下駄の音を鳴らして出る。その時、まず、ピンスポットだけを当てて、次に役者の顔にピンスポを当てる一とか、竹三郎さんが直伝したものを誰かに伝いたいというので教わった。私の後は、行く行くは今回出演する壱太郎君がやってくれるでしょう」。

 愛之助は「鯉つかみ」について、「台本では四役早替わり、いつの間にか六役になっていて驚いた」。中車は「いつも命懸け。次のステップに行けるように、意気込みは100%です」。右近は明治座出演の思い出を語り、四人四様、競い合う構えだった。

 (平成27年4月2日)

 三津五郎の死去     

 2月25日に執り行われた坂東三津五郎の葬儀に参列し、その喪失感を思い知らされた。

 菊五郎が突然指名された弔辞をその場で考えた言葉で遺影に向かって話しかけた。

 「お城も大好きで、姫路城、彦根城が好きで、そしてキャバクラ嬢も好きだった。あの世に行った時、いいお店を紹介してくれよ」と言ったニュアンスでアドリブを入れ、参列者が苦笑。喪主の長男巳之助が「弟子から初めて聞いたことがあります。歌舞伎座の柿落としのまだ元気な頃、踊る前の揚げ幕で〝オレが死んだら花錫杖をお棺に入れてくれ〟と言ったそうです。また『喜撰』は〝本当は自分の仁じゃないんだ。しかし家の芸だから踊っている〟と話してもいました。それなのにあの芸でした。花錫杖と姉さんかぶりをお棺の中に入れました」という挨拶に女性の啜り泣きが聞こえた。

 だが、喪失感は若手や花形の姿を見つめた時に痛感したのだった。

 獅童や海老蔵、勘九郎、七之助、児太郎たちが押し黙って弔辞や挨拶を聞いていたのだが、そして一番印象的だったのが勘九郎。終始、遺影だけを見つめ、背筋を崩すことがなかった。焼香では話しかけるように手を合わせ、最後の一礼は最敬礼のように腰を曲げていた。

 父勘三郎が「寿(ひさし)の踊りはよく見ておけ」と遺言のように命じていたように、三津五郎の踊りは彼らのお手本だった。もはやそれを聞き、習うことが出来ない。それは勘九郎のみならず花形世代共通の思いだろう。それを目の当たりにした葬儀。三津五郎の死は底知れない喪失感を再認識させたのだった。

 (平成27年3月2日)

 ONE PIECE」は天井知らず      

 歌舞伎の今年最大の注目は「ONE PIECE」の舞台化に間違いない。10月と11月に新橋演舞場で連続上演される「スーパー歌舞伎Ⅱ」。来年からは大阪、博多など大都市の大劇場でも上演されるのだろう。「ヤマトタケル」の初演以来のスケールが想像出来る。

 原作者・尾田栄一郎さんは主演する猿之助について「まさに天才でした。プロデュース能力もハンパじゃありません」とコメントを発表していたが、二人の初対面はユニークだったらしい。天才は天才を知るというが、会った瞬間からお互いを理解し、次々とアイデアが飛び出す雰囲気が生まれたのだろう。

 問題は脚本化と演出家。「ヤマトタケル」が前例となるが、原作者、複数の脚本家、主演俳優がチームを作って演出家にアイデアを投げかける作業。その中心は猿之助だ。

 ウワサによれば、制作費は天井知らずという。澤瀉屋一門の俳優が大集合するだろう。中車(香川照之)、團子親子が加わるのだろうか。

 漫画の舞台化といえば宝塚歌劇による「ベルサイユのばら」のミュージカル化がこれまでの最大のヒット。漫画の歌舞伎化。次の発表に胸が高鳴る。

(平成27年1月1月1日

玉女の玉男襲名と勘十郎                

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 人形浄瑠璃文楽の人形遣い、吉田玉女(61)が来年4月の大阪・国立文楽劇場で、東京は5月に国立劇場小劇場で二代吉田玉男の襲名披露をするが、12月1日に記者会見を行った。

 師匠の故玉男の名を継ぐ玉女の襲名披露演目は師匠、本人も得意とした「一谷嫩軍記」の熊谷次郎直実。会見には吉田和生、桐竹勘十郎も同席。三人は同期入門の間柄で仲良しライバルでもあるが、特に同年生まれの玉女と勘十郎に質問をぶつけた。

 文楽が往年の隆盛を取り戻すには三人の猛烈な情熱・奮起と修業の成果を舞台で見せるのが欠かせない絶対条件なのだ。
  勘十郎の発言が実に面白かった。想像をはるかに越える内容と眼光鋭く前のめりで述べた姿勢に胸打たれた。

 「昭和41年、見習いというかアルバイトというか、人手不足で集められてからの長い付き合いで感慨深いです。性格もお互い知りあっているが私も玉女くんもおとなしい二人です。(玉女は師匠に怒られるとプ~ッとふくれると話したのだが)顔がふくれるのは本当です。そして目が下に、眉毛が上に行く。羨ましいと思ったのは、彼は玉男さんの足遣いからずっとやっていたこと。私には玉男さんの足は回ってこなかったから、相手役(玉女)の足を見ていました。細かいことを考えないタイプで、座頭役は立ち位置がちょっと変わってもいけないのですが、ドンと居るだけで皆が安心する。彼は持って生まれたもので出来る人です」

 勘十郎の父・二代目勘十郎と初代の玉男は一つ違いのライバルだった。二人が腕を競い合うことで昭和の文楽を支えていたのも事実だ。玉女は「これからの20年が勝負。亡くなる前、ベッドで師匠が〝とにかく基本を大事に忠実にしなされ!〟と言ったのが心に残っている。立役しか出来ないので師匠の芸を目指して一生精進を重ねる所存です」。

 和生も「これから15年、20年が気力、体力の充実期間。次の世代にいかに伝えられるか。これから三人でいい舞台をやっていきたい」

 勘十郎は「(玉女とは)どちらかが先に死んだら、残った方が弔辞を読んでもらうと約束している。まず、舞台。芸を守って精進していくこと。舞台のレベルを下げないこと。これは三人の意見が一致している。火花を散らしながら頑張っていきたい」。自身が先に名跡を継いだ勘十郎。マイクを離さず会見を盛り上げた発言ぶりにライバルを思いやる友情がほとばしっていた。

 【写真】吉田玉女=国立劇場=

 (平成26年12月18日)

菊五郎らで八犬伝                

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 国立劇場で来年1月に上演される初春歌舞伎公演「南総里見八犬伝」の成功祈願が大雨降りしきる11月26日、原作者・曲亭馬琴が眠る東京・小日向の松林院深行寺で行われた。

 国立劇場では24年ぶり4回目だが、原作の刊行開始200年に因んでの上演。犬山道節を初役で演じる菊五郎、犬坂毛野の時蔵、左母二郎と犬飼現八と二役の松緑、犬塚信乃の菊之助が会見も行った。

 著作堂隠誉蓑笠居士という馬琴の戒名に手を合わせて焼香した菊五郎は「馬琴先生のお位牌に書かれた事と違うことをやりますのですいませんーと謝ってきました」と告白したが、正月公演に相応しく、色を付けて面白く、綺麗で分かりやすい舞台にしたいというのが狙い。犬塚信乃を3回演じており、初めての道節と監修する菊五郎独特のアイデアが詰まっているようだ。

 七世梅幸が演じ続けた美貌の毛野の役の時蔵には白拍子の舞ではなく剣の舞、松緑と菊之助による大屋根の大立ち回り、がんどう返し、雪景色の中で出発する八犬士、蛍が飛び浴衣姿での義兄弟の契りなど季節感をたっぷり入れ込む演出だという。

 子供の頃に見た十二世團十郎の犬飼現八や十七世羽左衛門の犬山道節が格好良かった記憶があるという松緑と菊之助。ケレン味豊かなスペクタクル歌舞伎の初芝居となりそうである。

【写真】尾上菊五郎(左)尾上菊之助(右)=国立劇場=

 (平成26年12月18日)

 福助に会えた    

 中村福助に会えた。はるか遠くに登場した彼の笑顔が嬉しかった。長男の児太郎に支えられていたように見えたのだが、むしろ二人が支え合っていたようだった。それが嬉しかった。

 11月18日、サントリーホールで上演された[太陽の記憶-卑弥呼」。古代祝祭劇というこの公演で福助は企画者、演出者。長年温めてきた念願叶った上演だった。笑顔の第一はその喜び、第二は舞台に出られた嬉しさ、第三は観客、関係者へのお礼。満場の拍手の轟音を浴びて、ちょっぴり恥ずかしそうに頭を下げたのか頷いたかのように見えたのが、また感動的だった。

 会えた、といってもカーテンコールでの一幕。見えたというのが正確な表現だが、舞台の上手一番奥、それも上方にあるパイプオルガンの横辺りに突然姿を出したのだから、驚いた観客がほとんどだろう。しかし、実は児太郎からハプニングらしき演出がありそうなヒントを聞き出していた当方は、カーテンコールも集中して見ていたのだった。

 児太郎は卑弥呼を踊った。福助の姉の日本舞踊家中村梅彌は振付と踊り手だった。ヴァイオリンが大谷康子、三味線が常盤津文字兵衛、大本山増上寺式師会の聲明。邦楽と洋楽が溶け合い、太陽の化身としての卑弥呼の存在を通して人間、宇宙の現在と未来を問いかけた。伝統芸能の世界で生きる福助は病と闘っている。途中休演となった昨年11月以来の登場。頑張れ、栄ちゃん! 福助の卑弥呼を見る日を待っている。

 (平成26年11月20日)

 二重のおめでた、又五郎    

 子供の頃、〝天才子役〟と呼ばれた中村光輝を覚えている人も少なくなったが、長じて今、三代目中村又五郎(58)が紫綬褒章を受けた。昭和39年(1946)の初舞台以来50年間の実績を評価された。

 10月30日の会見-。この日は長男・歌昇(25)の婚約が公表された事と重なり二重のおめでただったが、まず受賞について。

 「一番印象に残っているのは先だって亡くなった(18世)勘三郎さんと十代の頃に歌舞伎座でよく踊りをした思い出」

 「子供の頃は17世勘三郎のおじさんが厳しかったな。こんなに怒られるのかと思った。また、成駒屋のおじさん(6世歌右衛門)の舞台で緊張した事」

 「50年間で心に残っている言葉ですか? あ!、やはり亡くなりました先代の(中村)錦之介の叔父がよく言っていたのは、『その日その日に見ているお客様のために舞台を真摯に勤めなければいけない』と子供の頃に聞いた事がある。初日を見て、中日近くに見た時の叔父が『少しでも進歩していないということでは、いけない。それを大切にしなさい』と。叔父が大病した時、コルセットをして辛い形で舞台を勤めて、私が代役をしたのですが、客席の一番前の人が涙を流していたのを見て、みっともないものを見せてはいけない-と言っておりました」

 長男・歌昇の婚約だが、お相手は山田流筝曲萩岡派四代目家元萩岡松韻の次女・信乃さん(28)。又五郎はその父親の松韻とは小学校6年間の同級生という間柄。「長男はまだ25歳なので役者、人間とも半人前、いや、四分の一人前の人間ですので、家族を持つことで責任を持ってくれればいいと思う。ウチは男2人なので娘が出来て嬉しいかな」

 さて、本人の今後は「この家に産んでくれてありがとうの気持ちがあり、役者が嫌だと思った事は一度もない。播磨屋の一員として吉右衛門のお兄さんがなさっているように、播磨屋の芸を教えていただき、それに進んでいく。やらしていただけるのは何でも」。祖父三世時蔵と踏んだ同じ舞台の写真を見ながら過ごしてきたという自称〝歌舞伎大好き人間〟の又五郎。丸っこい笑顔が光っていた。

 (平成26年11月20日)

吉右衛門の甘い笑顔              

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 吉右衛門の顔ったらなかった。9月26日に開かれた国立劇場12月公演「伊賀越道中双六」の制作発表でのことだった。

 二つの表情、その一つ目は初めて演じる唐木政右衛門と公演についての顔。まるで鬼平のように厳しいものだった。

 日本三大仇討ちの一つ、〝伊賀上野の仇討ち〟で知られるこの名作の主人公政右衛門は剣豪荒木又右衛門をモデルとしている。祖父の初代吉右衛門の当たり役で、父の初代白鸚も演じている家の芸だ。四幕目の名場面「岡崎」は戦後は2回しか上演されておらず、今回が44年ぶりとなる。

 「とても地味な話で、滅多に出ない狂言。実父が随分前にやったが、私は子供の頃でした。いい場面は全く覚えていないので資料を手探りし、ハデやかにやりたい」と話した吉右衛門は「新しいセガレの菊之助さんらが出ていただけて」とも語った。

 その菊之助は「新しいセガレの菊之助でございます。播磨屋の親父さんに出していただくのを本当に楽しみにしていました」と受けた。

 二つ目の顔がそのセガレと孫について語った時。蜂蜜を舐めたような甘ったるく、蕩けるような笑顔になった。

 「(菊之助と)こういう間柄になって、ご一緒する。セガレというものの経験がなかったもんで、舞台でどの位、気を使うか使ってくれるのか楽しみ。孫はニコッと笑うんです。目の中に入れても痛くないのはこういう事かと思います。もっと孫と遊びたいと思っています」。滅多に出ない格別の笑顔だった。

 (平成26年10月21日)

放駒、そして弁慶、染五郎を見よう!              

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 幸四郎=写真右=が濡髪長五郎、染五郎=写真左=が放駒長吉。10月の国立劇場で上演される通し狂言「双蝶々曲輪日記」の制作発表が8月26日に開かれた。

 「双蝶々」は力士2人にある名前の「長」を取り入れたもの。高麗屋親子がまさに丁々発止と〝がぶり四つ〟に組むのが見どころだ。51年ぶりの通しで濡髪を演じる幸四郎。「想像してみて下さい。尻からげで痩せこけた元力士が不精髭を生やして逃げて行く。逃げおおせたとはとても思えない。とてもドラマチックです」

 放駒、与兵衛、与五郎三役に扮する染五郎は序幕・新清水で宙乗りや早替わりもある。「家にとっても大事な役。早いテンポで何度も早替わりがあり、賑やかで派手にしたい」

 ところで放駒といえば、8月29日に元小結でタレントの龍虎さんが亡くなった。現役引退後に16代目年寄放駒を名乗っていたのは良く知られていた。放駒は江戸期から続く名跡なのである。ちなみに17代目は大乃国である。

 11月には歌舞伎座で二人は白鸚の33回忌追善興行が待っている。夜の部で染五郎はついに「勧進帳」の弁慶を演じる。幼い頃からの夢だった念願の初役である。父の幸四郎が富樫、叔父の吉右衛門が義経、長男の金太郎が太刀持ち。染五郎の10・11月に目が離せない。

 【写真:左より松本幸四郎、市川染五郎】

 (平成26年9月19日)

梅玉と魁春で夫婦の情愛              

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 中村梅玉と魁春兄弟が夫婦役で共演する国立劇場七月歌舞伎鑑賞教室「傾城反魂香」の記者会見が開かれた。

 通称〝ども又〟で知られる演目だが、絵師・浮世又平と妻おとくの夫婦愛、決死の覚悟で描いた肖像が奇跡を起こす名場面が見どころだ。

 梅玉は弟弟子・修理之助をこれまで6回演じたが主役の又平は初役。魁春は6回目のおとく。初めて兄弟で又平夫婦の共演となる訳だ。

 三世延若の又平では修理之助を4回演じた梅玉は「この年(67)になって初役は楽しみ。修理之助の初出演では河内屋(延若)のおじさんに教わった。おじさんの又平はとてもステキでした。普段からの実直さが舞台に出ていて、おじさんの又平を目指して、死ぬ気でいく一途さを出したい」

 魁春は「昭和58(1983)年の初役の時は芝翫兄さん(故人)に手取り足取りで教わった。今回、初役の兄は私に頼ると言ってますが、私も兄に頼ります」

 修理之助の今回は梅玉の部屋子の梅丸が初役で挑戦する。梅玉と魁春は歌舞伎界では仲がいい一番の兄弟。歌右衛門家が結束した公演になりそうだ。

 【写真】梅玉と魁春(右から)

 (平成26年6月23日)

 仁左衛門、大いに語る  

 「おはようございます」。スーツを着込んだ仁左衛門は大きな声で元気に会場へ入ってきた。歌舞伎座「六月大歌舞伎」の「お祭り」で7か月ぶりに舞台復帰するが、その記者取材会。「え~、とにかく本日はありがとう。本当に嬉しいです。雑談を楽しみたいと思います」。あの蕩けるような笑顔は右肩の術後の順調さを裏付けていた。

 休養中は週2回のリハビリで通院。残る5日は放り込んでいた大工道具の整理、CS衛星劇場の歌舞伎の放送を見たり、書斎の整理をしていたという。

 手術に当たり、計算したら10数人の先生に診察を受けた。動かした方がいい、いや動かすなーと先生の診断が正反対に別れたそうだ。

 新開場した歌舞伎座も2年目に入った。多くの観客が押し寄せたが、松嶋屋はこう切り出した。

 「大入りも諸手上げて喜んでいられない。次回も見て欲しいと皆、努力してきた。次ぎに繋がる人が今イチ、伸び切れていなかったのを心配していたが、新装してから力が付いた。不安だった『新薄雪物語』は皆、よくやってくれた。頑張ってくれる人が増えてきたので安心です」

 一方で厳しい考えも披露した。

 「ある意味で心配しているのが、お客様を入れることに向いて、神経を使わないでなんでもありーはやめてほしい」

 「国の宝の歌舞伎を、そして歌舞伎座では本来の歌舞伎をやってほしい。新しいものは他の劇場でやってくれれば嬉しい。『これが世界遺産の歌舞伎?』と疑問符が付くのはやめてほしい」

 「他のジャンルの人が出来てしまうのは歌舞伎じゃない。スーパーと付けばいいですが…」

 自身の方向性は一切変わらないと力説した。「大阪のもの、江戸のもの両方とも変わらない。脇役専門に回ることもありません。父(13世)の精神を受け継いでいくつもりです」。将来は孫(千之助)と「連獅子」を歌舞伎座で演じたいと話し、当面は「お祭り」で共演する千之助を特訓中である。

 (平成26年5月20日)

大河が左近を襲名                             

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 尾上松緑(39)の長男・藤間大河が6月の歌舞伎座の昼「蘭平物狂」での一子・繁蔵で三代目尾上左近を名乗り、初舞台を飾るが4月24日に記者発表された。

 大河の祖父・故初代辰之助(三世松緑)が初代左近を名のったのが6歳の時、二代目の父・松緑は5歳を間近にして公演中に5歳となったが、大河は8歳。初お目見得は3歳だった。

 父と菊五郎に挟まれた大河は身長120㌢、体重22㌔を紋付き、袴の正装。マイクを片手に立ち上がって「尾上左近でございます。よろしくお願い致します」と挨拶。心配そうに聞いていた松緑は「初お目見得の時は4歳直前。菊五郎兄さんが目の前の歌舞伎座で一度踏ませたら、と言っていただき、早い時期の初お目見得えをさせてもらったが、新しい歌舞伎座が1年経ってちょうどいいタイミングだと思います」と初舞台への経過を話した。

 礼儀や挨拶を教え込んで初お目見得をさせたが、その後は何回も舞台に出てきた。「普段から踊りの稽古をしているし、三月末の俳優祭では幡随院長兵衛までやった。いかめしいナリをするのが好きで、拍手をもらうのを喜ぶ質(たち)。あまりうるさく言わないつもりだが、段々とうるさくなるかも」

 「長兵衛の役が一番気持ち良かったんだろう?」と父に言われて「ウン」。やってみたい役は弁天小僧だという大河。菊五郎が「しっかりした子役ですので(初舞台は)大丈夫だと思います。江戸っ子は気が短けえんだ、早くしてくれろい、なんて言うんだから」と笑わせた。

 松緑は「お行儀よく、伸び伸びと芝居をしてくれればいい。これからの私は、倅を育てていくのは(名前を)祖父、父から預かった勤めだと思っています」。口火を切った挨拶で「初代辰之助の孫(大河)に自分も名乗った左近を名のらせます」と話したが、40歳で早世した父に初舞台を見せたかったという思いだったろう。

 (平成26年4月26日)

扇雀と橋之助で夫婦の情愛                             

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 中村扇雀と中村橋之助が夫婦役で共演する6月の国立劇場「ぢいさんばあさん」の記者会見が22日開かれた。

 橋之助の役、夫・伊織は平成20年の三越劇場で妻るんを演じた孝太郎との共演以来。るんを演じる扇雀は昨年12月の京都南座で中車(香川照之)と組んで以来でこの作品での二人は初共演となる。

 屋号がともに成駒屋、そして次男坊同士、また故勘三郎と三人で若い頃から公私ともに付き合いが深く、芝居談義を闘わしてきた仲だから気心は知れている。

 何度も鼻を摘む癖がある伊織をたしなめる妻るん。妻の頬の蚊に食われた跡に触る夫。そんなおしどり夫婦だが、単身赴任となった夫が同輩を切り殺し、三十七年後にようやく再会する森鴎外の原作。

 故勘三郎が平成14年に演じた舞台を思い出しながら、橋之助は「勘三郎兄さんが鼻を摩るのを真似したりした」。扇雀は中車と共演した際、中車が父・猿翁から教わったという話を聞いたそうだ。芝居には、夫の留守の間に一人息子の赤子を亡くしてしまったるんが詫びて、伊織は、生きていれば三十七歳の男盛りだろうに-と言う台詞がある。中車はその芝居で涙を流していたのは、自分が久しぶりに父と再会した時とダブッていたと話したという。

 6月は高校生などの観客が多い鑑賞教室。「若い人が将来、歌舞伎に足を運んでくれるのが重要だと思っている。女性は号泣すると思います。自信があります」と扇雀。一般の一等席が3900円、学生は全席1300円は安い-と広めて下さいとお願いしていた。

 (平成26年4月24日)

四代目鴈治郎誕生へ                             

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 中村翫雀の四代目中村鴈治郎襲名が決まり、4月14日、発表会見が開かれた。

 襲名披露興行は来年1・2月の大阪・松竹座を皮切りに4月が東京・歌舞伎座、6月が九州・博多座、12月が京都南座。これに7・8月に公文協の巡業公演も予定されている。演目は後日に発表されるが、家の芸である「玩辞楼十二曲」の中から「河庄」や「吉田屋」などを考えているという。

 上方の成駒屋・鴈治郎家は長寿の家だ。二枚目の立役だった曾祖父の初代は74歳、立役から女形まで万能だった祖父の二代目は81歳で亡くなり、女形として頂点に立つ三代目の父(現坂田藤十郎)は今82歳。四代目を襲名する翫雀は現在55歳。鴈治郎の名が10年ぶりに復活するが、当人が話したようにまさに機が熟した年齢での襲名だろう。役者としてどのような色合い、タイプになっていくのか。ポイントの一つがこの年齢だ。
 
 もう一つが直系の系譜だ。二代目は初代の三男、三代目は二代目の長男、そして四代目となる翫雀は三代目の長男。それぞれ直系の血縁が名を継ぐのだが、それが四代続くことになる。他の家では例えば幸四郎家は七代目-八代目-当代の九代目。時蔵家は三代目-四代目-当代五代目であり、三代続いている。團十郎家は十一代目-十二代目、勘三郎家は十七代目-十八代目と二代続いていて、四代も続くのは鴈治郎家だけだ。つまり、初代からのDNAが脈々と流れている訳だ。

 鴈治郎という名跡に憧れていたという翫雀は、父のイメージは扇雀、祖父二代目が鴈治郎のイメージだと話した。自分の芸風も二代目に通じるそうだ。

 晩年の二代目がまさに円熟期に入ったように60代、70代に向かって「大阪の顔」になっていく覚悟を見せた。住居も大阪に移して住民票も長男壱太郎とともに大阪に移すという。大器晩成。松竹座から襲名を始めるが1月は 大名題、2月は若手・花形中心の興行になる予定だ。「華」のある四代目へ。長い道のりが待っている。

 (平成26年4月22日)

 待ってました!仁左衛門  

 仁左衛門がようやく復帰する。慶賀の到りである。

 その挨拶を全文紹介しよう。

 「皆様におかれましては益々ご健勝の事とお慶び申し上げます。

 さて私儀、右肩を痛め、昨年十一月よりお休みを頂き、術後リハビリに努めておりましたが、この六月に復帰させて頂く運びとなりました。狂言も以前大病を患い、復帰が叶いました折に勤めました『お祭り』で再び歌舞伎座の舞台に立てます事、このような喜びはございません。これからは、新しい歌舞伎座が誕生して大事な時期に長い間舞台に立てなかった分を取り戻すべく、尚一層精進して参りたいと存じますので、皆々様におかれましては、更なるご指導ご支援の程、よろしくお願い申し上げます」

 痛めた右肩とは、昨年9月、腕の骨と肩甲骨をつなぐ腱が切れた右肩腱板断裂。その痛みをおして10月の歌舞伎座「義経千本桜」に出演を続け、劇中では左手で椎の木の実を落とす芝居をしていた。

 以前の大病とは1992年12月に重度の膿胞を患って1年間の療養生活を送っていた。

 復帰する6月大歌舞伎では昼の部「お祭り」の鳶頭松吉。清元の名曲「申酉」で通称が「お祭り」。江戸三大祭りの一つ、山王日枝神社の祭礼当日、江戸の気っ風がいい鳶頭が軽快に踊る。大向こうから「待ってました!」と声が掛かると、「待っていたとはありがてえ」と返すやり取りで元気な姿を見せてくれる。明るく威勢がよく、キビキビしたところが見どころ。「待ってました、松嶋屋!」。6月1日の初日から掛け声の雨が降るだろう。

 (平成26年4月22日)

 染五郎の悲願  

 染五郎の悲願が叶う時が来た。3月26日に行われた明治座「五月花形歌舞伎」の会見で満を持す彼の表情を見て、そう痛感した。

 夜の部「伊達の十役」への初挑戦。早替りや宙乗り、役柄も仁木弾正,与右衛門、土手の道哲、政岡など十役を演じ分ける難役に賭ける意気込みがひしひしと伝わった。特に教えを受ける猿翁(三代目猿之助)に思いを寄せているのが印象的だった。

 猿翁から「そろそろ染五郎に」と話しが出て実現するのだが、実は以前から企画は出ていた。「10年どころか、その前から話がありました。(復活)歌舞伎作品では最高傑作だと思っています。沢瀉屋のおじさんに教わるのが道だと思います」。猿翁が病に倒れて立ち消えになり、その間に海老蔵が平成22年に一足先に取り組んだ経緯がある。

 「早替りの趣向が入っているものの、おじさまは政岡の芝居だと話され、ボクもそう思っています。政岡が出来るか出来ないか。女形ひと役をやって来なかったのもこれを目標にしてきたからです」。

 最後に「感無量です」。染五郎が五月に爆発する。

 (平成26年4月4日)

 三津五郎が最優秀男優賞  

 坂東三津五郎が最優秀男優賞を受けた第21回「読売演劇大賞」の贈賞式が2月27日に帝国ホテルで開かれた。

 昨年の最優秀男優賞は勘九郎。歌舞伎俳優の2年連続受賞は第4回の鴈治郎(現坂田藤十郎)、5回の玉三郎に続く2回目。プレゼンテイターは前年受賞者が行うので、今回は勘九郎から三津五郎へブロンズ像と副賞100万円が手渡された。

 勘九郎のお祝いスピーチがまるで芝居そのものだった。

 「歌舞伎役者から歌舞伎役者へはなかなかないこと、本当に嬉しい。歌舞伎、舐めんなよと叫びたい気持ちです」。ステージに登場してきた時から笑顔、それも喜び、達成感などが込められた表情だったが、その直後、本当に叫んだのだ。「歌舞伎、舐めんなよ!」。場内一杯に響き渡った大声、これには約600人の参加者も驚いた。

 さらに「ぼくには父がいません。セットンジー、これからはぼくのためにも長生きして一杯教えて下さい」。父の故勘三郎と三津五郎とは長年のライバル、そして親友だった。この勘九郎の送る言葉は歌舞伎界全体への希望であり、父なき子の素直なお願い。ジンと胸を打った。

 三津五郎がお礼のスピーチ。紋付、袴と言う正装が映えた。

 「え、嘘でしょという感じでした。昨年初めて病気をして、8月の千秋楽後、入院、手術。5か月しか舞台に出ていません。我々は9、10か月が常なんです。この賞では第1回の時、1票の差で受賞を逃した悔しい思いをしました。その翌年、勘九郎(故勘三郎)が受けて、世の中、そんなものかなあと思ったものです。3倍も4倍も頑張った年もあったが、20年してようやく頂けました。本当に嬉しい」。会場には家元を祝福するため坂東流の舞踊家も姿を見せており、元気になった三津五郎は握手攻めだった。

 他の受賞は大賞・最優秀演出家賞が森新太郎、最優秀作品賞が「エドワードⅡ世」、最優秀女優賞が中谷美紀、最優秀スタッフ賞が杉山至、杉村春子賞が満島ひかり、芸術栄誉賞が朝倉摂、選考委員特別賞は「治天ノ君」(劇団チョコレートケーキ)だった。

 (平成26年3月21日)

 藤十郎の一世一代 

 「本当に嬉しいです。初演をずっと思い出していました」。4月の歌舞伎座「鳳凰祭」で「曽根崎心中」のヒロイン、お初を一世一代として勤める坂田藤十郎が3月14日、上演が迫った心境を述べた第一声だ。

 昭和28年8月の新橋演舞場での初演は伝説になっている。父鴈治郎が徳兵衛、当時扇雀の藤十郎がお初。まだ荒廃していた戦後8年目、颯爽と出現した扇雀のお初は新しい若手の女形として絶大な人気を集めた。

 「あれから何年経ちますか。お初をやる、よろしくお願いします-と話した初演の時。(父の)手を引っ張って花道に入って行ったのを忘れません。お初という役を頂いてからずっと変わらない気持、同じつもりでやって来ました。お初は生涯19歳」。相手役の徳兵衛は父から始まり、長男翫雀、菊五郎、梅玉、次男扇雀、團十郎の6人と演じてきた。

 「父の時も翫雀の時も他の人とは思いません。一緒なんですね」。相手は徳兵衛一人なのである。一世一代といってもそれに合わせた芝居は不器用だから難しいと話し、女形の技術のギリギリの線で演じている」という藤十郎。

 これまで1326回演じ続けてきた生涯第一の当たり役。「男と女の愛の深さ」が作品の魅力であり、長く続けられた要因だと自己分析した。4月28日の千秋楽には1351回となる。

 故富十郎が一世一代で当たり役、「船弁慶」の知盛を演じた平成15年1月の歌舞伎座で、藤十郎はやはり当たり役の「河庄」の治兵衛を鴈治郎の名では最後として演じた。一世一代での打ち止め後、“最期の一世一代”と銘打っても、一向に構わない。政治家の口約破りより、よほど上等なのだ!

 (平成26年3月21日)

 尾上左近襲名 

 歌舞伎俳優・尾上松緑(39)の長男・藤間大河(9) が3代目尾上左近を名乗り、6月の東京・歌舞伎座で初舞台を踏むことが決まった。

 襲名披露の演目は「倭仮名在原系図(やまとがなありわらけいず)」で通称“蘭平物狂”。

 尾上左近の俳優名は初代が大河の祖父・初代尾上辰之助(3世松緑)、2代目は父・松緑が名乗っていた。“蘭平物狂”は曾祖父の2世松緑が復活した狂言で、父も平成14年の松緑襲名の折に演じた家の芸。父が奴蘭平で大河はその子・繁蔵を演じるが、父子の情愛を見せる親子の大立ち回りが見せ場だ。

 大河は3歳の時、平成21年10月の歌舞伎座で「音羽嶽だんまり」の稚児音若で初お目得。その後、“め組の喧嘩”で辰五郎伜又八などを演じ、この2月は歌舞伎座で「白浪五人男」の丁稚長松で出演していた。

 (平成26年3月21日)

時蔵、梅枝のお富合戦                         

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 時蔵が初めて“切られお富”に挑む国立劇場3月歌舞伎公演「處女翫(むすめごのみ)浮名横櫛」が二つの意味で楽しみだ。1月28日の会見で時蔵は断言した。

 「この役を手に入れて度々演じ、得意役にしたい。その試金石です」。時蔵にしては珍しい宣言。それが最初の意味だ。

 「与話情浮名横櫛」の主人公、“切られ与三”を黙阿弥が女形のお富に書き替えた狂言だが、ヒロインの切られお富は全身に七十五針の傷を付けられた毒婦、一方で純情でかわいい女でもある。

 三世田之助-四世源之助-六世梅幸-、そして時蔵の祖父三世時蔵-父四世時蔵-九世宗十郎という名女形が演じてきたヒロイン。

 時蔵によれば資料は祖父が写真だけ、父は書き抜きの息継ぎの所にマル(○)が付いている程度で台詞廻しは書いていないそうだ。しかし「幸いなことに弟子の時蝶が二人の舞台の衣装、傷の付け方などを覚えていて教わった。源之助さんの写真を見たり、強請場の声が残るLPレコードを聞いたり、宗十郎さんのビデオを参考に、あとは自分なりのお富を作っていきたい」と語った。

 「総身に疵の色恋も薩捶峠の崖っぷち」とか「こんな顔になりました」という台詞、また、切られ与三の名台詞の「しがねえ恋の情けが仇」に相応する「旦那、お久しぶりでございましたねえ」で三世田之助は伸ばす台詞だったという口伝も残る。粘った台詞廻しに味がある時蔵はどう工夫するか。

 さて、二番目の意味だ。

 時蔵の長男・梅枝が京都・南座の「三月花形歌舞伎」で「与話情浮名横櫛」のお富を演じる。同じ月で父子がお富合戦を東西で繰り広げる訳だ。京都の与三郎は菊之助、東京の与三郎は時蔵の弟・錦之助。萬屋一家の対抗戦でもある。

【写真】お富:中村時蔵

 (平成26年1月31日)

 吉之丞さん、お疲れさまでした 

 播磨屋の番頭格だった女形の名脇役、二代目中村吉之丞が1月26日に他界した。81歳だった。

 2010年10月の国立劇場「将軍江戸を去る」で美濃部の母が最後の舞台だったが、名品はいくつもある。

 「引窓」のお幸、「ども又」の北の方、「一條大蔵譚」の鳴瀬、「忠臣蔵」六段目のおかや。「鏡獅子」の老女も絶品だった。どれも品が見えたからだ。

 師匠である初代吉右衛門の話を歌舞伎座の楽屋で取材したのも思い出の一つだ。大食いで早飯。吉右衛門は酔うと小唄を聞かせたといったエピソードを巧みな話芸で話してくれた。

 吉之丞は一方で、名題下の俳優を育てた功労者だったことは意外と知られていない。国立劇場の俳優養成での指導者だったのだ。

 先代の又五郎に付き、昭和45年のスタートから補佐をし、同57年からは正式に講師として平成20年まで続けていた。

 歌舞伎界に名女形、名指導者がまた一人、姿を消した。寂しい限りだ。

 (平成26年1月31日)

 独断と偏見で見る手も 

 歌舞伎座の3・4月の演目と配役が発表された。

 「鳳凰祭三月大歌舞伎」は四月と共に歌舞伎座松竹経営百年・先人の碑建立一年と銘打つ。

【昼の部】では「寿曽我対面」で梅玉の工藤祐経。「身替座禅」で菊五郎の右京、吉右衛門の玉の井。「二人藤娘」で玉三郎と七之助。

【夜の部】では「加賀鳶」で幸四郎の道玄。「勧進帳」で吉右衛門の弁慶、菊五郎の富樫、藤十郎の義経。「日本振袖始」の玉三郎。

 「鳳凰祭四月大歌舞伎」は歌舞伎座新開場一周年記念。

【昼の部】では「鎌倉三代記」で魁春の時姫。「寿靱猿」で舞台復帰する三津五郎。「曽根崎心中」で一世一代と銘打って最後になるかもしれない藤十郎のお初。

【夜の部】では「髪結新三」で幸四郎の新三。

 以上が当方の独断と偏見で選んだお勧め。おっと、忘れていました。歌右衛門襲名が延期となった福助の長男・児太郎が「寿曽我対面」で化粧坂少将。福助の弟橋之助と共に渾身の舞台を見せてくれると思う。その福助は順調に回復し、リハビリにも頑張っていると思う。早い時期に「待ってました!」と声を掛けたい。

 (平成26年1月20日)

 芝田さんと左團次と三津五郎 

 歌舞伎・ツケ打ちの名人、芝田正利さん(69)が今年度の第19回「ニッセイ・バックステージ賞」を受賞した。舞台美術の裏方さんを対象としたこの賞でツケ打ちが受賞したのは初めてだった。

 芝田さんは報知新聞社主催「舞踊華扇会」でも長く舞踊家に心地よいツケを打っていて当方とも馴染み深い人だ。日生劇場の舞台上で行われた11月26日の贈賞式。受賞の挨拶が格別に面白かった。

 先々代の中村勘三郎がある年、「俊寛」を出した。喜界ケ島を離れていく船から投げられた友綱をつかんだ俊寛がよろよろと岩に近づく。勘三郎はその時、実際に岩に当たってしまった。ここからの二人が語り草になる。

 「あたしの方を見て、“バタッ”と言うんですよ。ツケを打てということだと思うんです。あそこは打つところではないんです。仕方がないので、いやいや打ったんです」。幕が下りてすぐ楽屋へ行ったそうだ。すると、中村屋。「舞台では何があるか分からない。ツケ打ちはそれに対応しなけりゃいけない。すぐ打つんだ」。以来、現在の「俊寛」ではその場面でツケを打つようになったという。“中村屋の型”残った訳である。

 祝辞を述べた左團次がまた楽しかった。

 「え~、受賞式の席で受賞者にお仕事させるのは私が初めてではないかと思うんですが…」。何の事かと待てば、左團次はやおら実際の大見得をやったのである。と、舞台上手袖にいた芝田さんがバタ、バッタリとツケを打った。次に左團次は、ツケを打たない同じ見得をしたのだ。

 「ツケをしないのを見た若い人は、あのおじさん、首を回しているよ。病気じゃないのかしらと見られると思います。歌舞伎役者に見えたとすれば芝田さんのおかげです」。さすが「口上」の名人、左團次の祝辞は面白い。式には大竹しのぶ、松島とも子、そして三津五郎がお祝いに来ていた。三津五郎は賞を受ける芝田さんに大きく手を叩いて拍手を送る元気な姿を見せてくれた。

 (平成25年12月26日)

 金太郎と團子の先物買い 

 先物買いと言っても、株の取引ではない。才能豊かな二人の少年俳優。もうお分かりだろうが、市川染五郎の長男・松本金太郎(7)と市川中車(香川照之)の長男・市川團子を今からでも遅くないから、見ておきなさい。

 国立劇場で上演された十月の歌舞伎公演で二人は「春興鏡獅子」で胡蝶を演じた。染五郎が扮した獅子の精の周辺を舞う蝶々。その舞台を見ていると可愛いく、いとおしく、また、楽しくなった。二人が一生懸命なのは当然として、歌舞伎の俳優の踊りになっていたから驚き、感心した。

 金太郎が好きな食べ物の一つが鶏肉らしい。両親は牛や豚でも、この御曹司は鶏肉。番長こと清原和博が鶏肉を食べて筋力を増量したというが、まさかりは担いでいないものの金太郎君は頑張り屋さんである。黙々と踊っていた。

 一方の團子君もスタミナ切れ知らず。サッカーやらバスケットをやってから舞台出演していても一向に疲れを知らないらしい。父親の中車もあきれるほどの運動量。さすが猛優、猿翁の孫である。

 この團子には単独出演の依頼などが数多く舞い込んだらしいが、断ってきたという。初舞台の「ヤマトタケル」以来の今回の舞台。次回はどうも来年の7月になるらしい。金太郎との共演、また見たいな。

 (平成25年11月12日)

 菊之助、二つの自覚 

 菊之助が初役のお光を演じている。北は北海道から南は沖縄まで回る「松竹大歌舞伎」の11月巡回公演の「野崎村」。ヒロインお光は音羽屋にとって“お家芸”とも言える。菊之助は当然、持ち役にしていく大切な役柄だ。当初、出演予定だった三津五郎が休演し、座頭格となった責任公演でもあり、花形の女形としての自覚が充分に見える。

 公演に先立ち、療養中の三津五郎とも会って励まされ、また、手紙もくれたという。三津五郎の長男・巳之助が久松の役で共演しており、二人でその穴を埋める意気込みに違いない。

 一方で、来月には待望の赤ちゃんが誕生する予定だ。1日の初日の会見では男女どちらかと質問されて「エコーでは男だったり、女だったりするんですよ。不思議です」と話していた。父の菊五郎も「産まれてから知った方がいい」とお嫁さんのプレッシャーを思いやっているが、披露宴を延期したのがいい選択だったようだ。

 名前について菊之助は「いくつか考えているが、音羽屋ゆかりの名前とか…」。男の子にしても女の子にしても、例えば「幸」とか「栄」とか「秀」、「和」が入った名前が推測できるが、さてどうだろう。

 菊之助は公演でチームワークを大切にする自覚、「勉強します」と父親になる自覚を吐露していた。早ければ旅公演が終わった頃、パパ菊之助が誕生する。

 (平成25年11月12日)

 海老蔵、松也の自主公演 

 この夏8月、歌舞伎の花形二人が自主公演を開催した。渋谷シアターコクーンでの「ABKAI」は海老蔵の第1回公演。もう一人、日本橋劇場での「挑む~傾(かぶ)く者の繋(つな)ぐ技量~」は松也の第5回公演だった。

 その比較が目的ではない。がむしゃらに歌舞伎と取り組む二人を応援してほしいのだ。

 海老蔵はこの2月、父團十郎を亡くした。團十郎は66歳だった。自主公演はその父から早くから勧められていたという。恐らく、父親が発病した当時の3、4年以前から計画したのではないか。

 「ABKAI」では市川家の芸である歌舞伎十八番の内「蛇柳」を復活したのが1本。もう1本は昔話「はなさかじいさん」を歌舞伎に仕立て直した新作。復活と新作の両輪路線を守り、自主公演を継続していくようだ。過去の先輩俳優の例でも、自主公演は赤字になったのが多い。海老蔵は周囲の意見を押し切って、招待客を極めて限定し、一般ファンを優先したという。それでも経済的にはギリギリの公演ではなかったか。

 松也は早くに父を亡くしている。父六代目松助が平成17年に死去した時、まだ20歳だった。

 今回の自主公演「挑む」で松也は舞踊「助六」で素踊り、『身替座禅』で山蔭右京を演じた。『身替座禅』では兄貴分と慕っている亀三郎が奥方玉の井で付き合い、さらに『三人吉三』では仲が良い名題下の若手が出演。父親の松助とは長く付き合った当方としては成長した松也の姿に涙が出そうになった。

 花形世代で自主公演を打てる俳優は多くない。松也の場合はその覚悟、経済的リスク、将来への自己投資を察すれば、褒めてあげたい。30代、40代の俳優の底上げが大切な今、二人の意気込みに拍手を送ろう。

(平成25年9月9日)

 頑張れ、福助、児太郎! 

 時は熟していた、と思う。福助が七代目歌右衛門、児太郎が十代目福助を襲名し、来年3・4月の歌舞伎座を皮切りに披露公演を行うことが正式発表された。

 これまで早期の待望論、時期尚早の意見やウワサが何度か出ていた。その間、富十郎、雀右衛門、芝翫、勘三郎、團十郎が他界した。福助にとって父の芝翫、義兄の勘三郎が世を去ったことが公私ともに己を見直し、舞台の成果を出す機会となったのは間違いないだろう。

 会見では病身の芝翫が松竹の安孫子専務を呼び、新しい歌舞伎座の開場公演の中で襲名をさせて欲しいという希望を伝えたという。また、福助と言う名跡を空白にしてはいけないとするのは五代目歌右衛門の遺言だと明かされた。

 二人の襲名が関係の深い俳優に伝えられたのは昨年12月のようだ。そして、大看板である藤十郎、菊五郎、幸四郎、吉右衛門、玉三郎らに同意を得ていた。

 親戚の梅玉が福助の名を空白にしない願いを松竹側に話したらしい。六代目歌右衛門も五代目からの強い意志を息子たちに伝えていたからだ。

 披露公演は3・4月の歌舞伎座に続き6月に博多座、7月に松竹座、12月が南座、そして再来年4月の金丸座が内定している。

 福助の弟・橋之助は、尊敬していた父・芝翫を継ぐだろう。長男国生が橋之助を継ぐだろうが、次男、三男の名前が決まればそう遠くない時期に襲名するのが予想される。頑張れ、成駒屋!

(平成25年9月9日)

花形の仰天発言                         

 仰天したのは私だけだろうか。7月29日に行われた「九月花形歌舞伎」の制作発表。主な出演俳優七人衆の発言に目を丸くしたのだった。上演作が昼が「新薄雪物語」と「吉原雀」。夜は「陰陽師」。

 とにかく仰天発言を並べる。新開場記念の新作歌舞伎「陰陽師」(作・夢枕獏)を意識した内容になった。

 染五郎。「映画化などがあるが、『陰陽師』はベストは歌舞伎でやること。記憶と記録に残る作品にしたい」

 松緑。「7月と9月も我々の世代でやらしていただける古典と新作。歌舞伎役者人生にとって有意義な年であり作品です。力強い同輩とやれるのが嬉しい」

 菊之助。「いつの時代も歌舞伎は新しい作品を求め、新しい風が吹いてきた。でも、何をもって歌舞伎とするかがいつも問われる。江戸時代の空気と身体意識、呼吸をすることで歌舞伎になると信じています」

 海老蔵。「皆と古典を守り、新作に挑戦し、新しいものが見つかるようにすれば、ステキな時が来る」

 愛之助。「何が楽しみといえば、演出、共演者、稽古場です」

 勘九郎。「前の歌舞伎座での『源氏物語』を越えられるようにしたい」

 七之助。「当時の先人が、ここまで苦労、苦心したのかを知ることでも新作は大切だと思います」

 質疑応答となった発言が、いよいよ加熱した。

 海老蔵。「(同世代と)一緒の舞台に出られるのはなかなかない。しかも新作で。単純に楽しみ。毎年1回は昔の顔寄せ(顔見世の意だろう)ではないが、ボクも見る側に回りたいくらい」

 愛之助。「10年後20年後にも『陰陽師』ができるようになるといい」

 そして松緑。「ここに並んだ他の人とは違うと思うが、新作には慎重という少数派だと思う。染五郎さんとの信頼関係をシンクロしつつ支えにしていく。(陰腹を切るという切腹について聞かれ)ボクの人生38年間で何度も腹を切ってやろうと思った人間ですので、人よりは知っているつもりです」

 夢枕さんは「若手の総出演が嬉しく、素晴らしい配役で感謝している。観客で入り浸りたいくらい入れ込んでいる」

 会見は気持ちが高揚しているのがよく分かり、ライバル意識と意欲が剝き出しとなった。さぞや、稽古、楽屋での熱い戦いになる、と思うのだった。

 (平成25年8月12日)

いい芝居を続けること                         

 新開場した歌舞伎座の10・11・12月の演目と主な配役が発表された。最初に4月から6月までの3か月、次に7月から9月までの3か月間に続く3クール目の上演発表だった。松竹の安孫子専務、岡崎取締役との懇談会での内容から注目点を紹介しよう。

 10月が「義経千本桜」の通し。11月と12月がともに「仮名手本忠臣蔵」の通し。11月の顔見世が大幹部中心、12月は幸四郎、玉三郎、三津五郎に花形が加わった興行だ。

 10月の「千本桜」は菊五郎が「道行初音旅」と「川連法眼館」の忠信・源九郎狐、吉右衛門が[渡海屋・大物浦」の銀平実は知盛、仁左衛門が「木の実・小金吾討死」のいがみの権太、藤十郎が「道行初音旅」の静御前。極み付きの大歌舞伎となるから必見。「鳥居前」の忠信に抜擢された松緑も注目だ。

 11月の「忠臣蔵」。吉右衛門が「七段目」、「十一段目」の由良之助と「大序・三段目」の判官と「四段目」と「五・六段目」の勘平。仁左衛門が「四段目」の由良之助と「七段目」の平右衛門。

 個人的には「四段目」。また、「七段目」の吉右衛門、仁左衛門と福助のおかるを楽しみにしている。

 12月の「忠臣蔵」は「大序・三段目」の三津五郎が高師直で初役、七之助が顔世で初役。幸四郎が「四段目」、「七段目」、「十一段目」の由良之助。玉三郎と海老蔵の「道行」、染五郎の「五・六段目」の勘平が初役。海老蔵が「七段目」の平右衛門が初役。獅童の定九郎、小林八郎。どれも見逃せない配役だ。

 懇談会で話された注目点ー。

 ①大名題らによる4~6月の興行が思った以上の盛況と成果。大入り満員続きで有料入場者が48万1185人。興収が約63億円。7月も好調続きだったという。

 ②「忠臣蔵」の2か月連続上演は、歌舞伎で一番代表的な作品であり、由良之助役者が多くいる。昼夜の通し狂言を新しい歌舞伎座でこれだけ出来るか。将来への試金石になる。

 ③猿之助ら沢瀉屋一門のほか、まだ歌舞伎座の舞台を踏んでいない俳優の出演は腹案はあるが、決まっていない。全員が出揃うのがいつかは分からない。

 ④十八世勘三郎、十二世團十郎の死去を経て俳優が自分たちが歌舞伎を守るという気持ちが出た。二人の死の影響は当面、乗り越えたが、今後は不安が付いて回る。

 10月の「千本桜」、11・12月の「忠臣蔵」連続上演は当初から決定していたというが、新鮮味に欠けるのは否めない。しかし当代の俳優による決定版ではあろう。とにかく、いい芝居を続けること。これに尽きる。

 (平成25年8月12日)

動物から学べ!                         

 時蔵が初役で挑んだ「葛の葉」。動植物に対する知識や興味にいつも感心するのが江戸の戯作者だが、この演目でも一つの発見があった。国立劇場で上演された竹田出雲・作「芦屋道満大内鑑」。何回も見たのに気付かなかったところ。勉強不足、恥じ入るばかりだ。

 「夫の大事さ大切さ、愚痴なる畜生三界は、人間よりは百倍ぞや」。葛の葉が「我はまことは人間ならず」とキツネであることを告白した後、竹本が語る詞章だ。

 国立劇場の参考文献によれば「愚痴」とは、おろかで道理をわきまえないこと。「夫はー」からは「夫を大切に想う気持ちは、愚かな畜生の世界であっても、人間の百倍ほどもある」という意味。

 自分を救ってくれた保名と結ばれ、夫婦となって一子を設けた白狐の葛の葉。いつしか恩返しの心だけでなく、深い夫婦愛で結ばれていた、とはこれまで理解してはいたものの、人間の百倍も強いとはねえ!

 やんま(とんぼ)釣りから戻った童子へ、生き物の命を大切にせよーと教える母心にはいつも注意して見てきたが、夫への愛情の深さを改めて気付いたのが今回だった。

 動物に学べ。世の夫よ、奥さんを今より百倍大切にせよ。世の妻よ、今より百倍強く夫を大切にせよ。竹田出雲のメッセージを受け止めよう。

 (平成25年7月23日)

花形は歌舞伎を担えるか                         

 歌舞伎座「七月花形歌舞伎」は花形・若手世代の責任興行だ。3か月間の大名題による大歌舞伎を引き継いで、少なくとも向こう10~30年は彼らの世代が歌舞伎を担えるか、それを見極める良い機会でもあった、と思う。

 答えは「イエス」だ。

 昼の「骨寄せの岩藤」。松緑は珍しく女形の岩藤の霊を勤めたが、もう一役、鳥井又助にその手応えを見た。最初に花道に出た眼の遣い方、切腹の場での芝居運び。祖父・二世松緑、父・辰之助(三世松緑)の良き特長である世話の味、シャープな切れ味を合わせ持った、というのは言い過ぎか。持ち前の荒事、さらに世話物の主役に大きな可能性がある。13キロとか18キロとかいう減量はダテではなかった。

 染五郎は多賀大領と安田帯刀で舞台姿がひとまわり大きくなったのを見せ付けた。

 夜の「四谷怪談」。染五郎の伊右衛門に色悪の魅力があった。役の骨格がしっかりしているので、メリハリが効いた台詞廻し、顔の作り、お岩への冷酷さが生きていた。来年には実現するだろう「勧進帳」の弁慶へ、今公演はいいステップになった。

 菊之助のお岩。玉三郎、故十八世勘三郎が前世代の当たり役を繋いできたのだが、恐らく今後、玉三郎が演じる可能性は少ないだろう。勘三郎が亡き後、菊之助は花形一番の女形、そして立役と兼ねる役者へ、大きく踏み出した。

 こうなると、九月の「花形歌舞伎」が待ち遠しい。染五郎、松緑、海老蔵、菊之助、勘九郎、七之助、そしてやや上の世代の愛之助。役者は揃っている。

 (平成25年7月23日)

初もの尽くしの七月花形歌舞伎                         

 歌舞伎座の「七月花形歌舞伎」は初もの尽くし。まず、14日に行われた製作発表イベントも、劇場地下の木挽町広場が初めて。15倍の競争率で選ばれた一般ファンの前で染五郎、松緑、菊之助、愛之助の4人が30分間のミニトークセッションを開いた。

 新開場の興行で初めての2部制。昼が「加賀見山再岩藤」、夜が「東海道四谷怪談」と初の通し狂言の上演。花形公演が初めてなら宙乗りが出るのも初めて。配役にしても昼で松緑の岩藤の霊、鳥井又助、愛之助の望月弾正、夜で菊之助がお岩など三役、染五郎の民谷伊右衛門と初役尽くしである。

 染五郎から始まったトーク。

 「4月から6月まで盛り上がった歌舞伎。ボクたちの世代で歌舞伎座を支えていく意気込みです」

 続いて松緑。

 「初めての宙乗りが猿翁さんや猿之助さんでなく、私が最初。岩藤も慣れないので、おっかなびっくりです」

 さよなら公演に出演できなかったという愛之助。

 「先輩が築いたものを受け継ぎたい。勝って兜の緒を締めよではないが、ブームで終わらないようにしなければ」

 「同世代と(花形を)開けることが嬉しい」というのが菊之助。

 三代目菊五郎が初演した「四谷怪談」。お岩は中村屋(18世勘三郎)、玉三郎、(6世)歌右衛門が当たり役にしてきたことを話し、「3日間は暗闇が通れないような恐さを味わってほしい」

 海老蔵の“対抗グループ”と言えそうな仲良し4人組。ファンから一人一人に拍手と掛け声がかかり、4人は昼夜とも応援して欲しい-と声を合わせていた。

 (平成25年6月17日)

時蔵が初役で葛の葉                      

教育方針イメージ

 もっともっと重用されて欲しいのが時蔵である。その萬屋が、葛の葉を初役で勤める。7月の国立劇場「芦屋道満大内鑑」。6月11日の記者会見に出かけた。

 4段目の通称「葛の葉」。保名の女房葛の葉と葛の葉姫の二役を演じる時蔵は、多弁だった。というより、役作りをたっぷりと語ってくれた。

 見どころは「曲書き」。「恋しくは尋ねきてみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」。この歌を障子に書く。書きおきのこの歌を筆で書く時、狐手を使ったり裏文字で書いたり、左手だけや口に筆をくわえて、下から上に書くのが「曲書き」だ。

 祖父・三世時蔵が昭和20年代に演じた写真は残っていたそうだが、萬屋では珍しい役。先月、歌舞伎座の楽屋で坂田藤十郎に教わったという。

 「あなた、勝手にやれば大丈夫だから」と保証してくれたものの、いざ教えてくれたのは細部まで。「筆に墨がたっぷり付くように。口の時は挟む角度や筆を縛ってとか」。藤十郎夫人からは絵入りのお手紙を頂戴したという。時蔵は右利きなので、左手で書くのと口ではどちらが難しいかと聞くと「口の方」という。幼い頃、書道家に習字を習っているが、結婚した時、「家内の母に寺入り(稽古)してもらった」そうだ。

 「ゆくゆくは度々やってみたい」と意欲を語った時蔵。一方、気になるのが同席した次男・萬太郎が初めて担当する解説のようだ。平成元年生まれの24歳。「年男です。ゆるキャラのクロゴちゃんと絡みますが、“今でしょ”といった台詞もあります。これから色々と考えます」と萬太郎。手にしたマイクの使い方も手慣れたもの。初挑戦同士の萬屋親子で歌舞伎鑑賞教室を盛り上げる。

 (平成25年6月17日)

河竹登志夫さんの告別式                         

 河竹登志夫さんが5月6日、88歳の人生の幕を引いた。3月28日に行われた歌舞伎座の開場式の古式顔寄せ手打式で狂言名題(演目)を読み上げられたのが最後に拝見したお姿だった。

 晩年は足腰が弱くなり、「ここが悪くて痛いんだよ」と、ご自分でわざわざ絵を描いて説明されたが、その絵柄は今でも大切にしている。

 10日の告別式に参列した。そこで弔辞を述べた二人に胸を打たれた。

 野村万作、藤村志保の両氏だ。

 「俊雄さん!」と遺影に呼びかけた万作さんは書いたものは一切なく、ただ、話かけていた。狂言師、学者・評論家と言う立場を超えた長い二人の友情、同志の関係を長々と述べられた姿は感動的であった。本当に哀しい、悲しいという真情が読みとれた。

 志保さんは「先生!」と語りかけた。

 その後ろ姿は美しかった。切々と、最初の出会いを話し、河竹家と家族ぐるみでお付き合いをした思い出も先生と教え子の楽しい風景が浮かんだ。すべて、下書きはなかった。

 河竹さんの人生、素晴らしい人々とのお付き合いの豊かさ。ただただ、羨ましい告別式だった。

 曾祖父・黙阿弥の戒名は「釈黙阿居士」、河竹さんは「釈俊雄居士」。質素、簡素、律儀な作者の家である。

 (平成25年5月20日)

頑張れ、児太郎!                          

 成駒屋の御曹司、中村児太郎(19)が舞踊の大曲「京鹿子娘道成寺」に初挑戦するのを楽しみにしている。

 5月27日、東京・国立劇場で開かれる舞踊会「雀成会」がその晴れ舞台。叔母に当たる中村梅彌が中村流の家元に就いた家元継承披露舞踊会だ。

 屈指の大曲「道成寺」は歌舞伎俳優や日本舞踊家にとって“卒業論文”とされる難物。まして、歌舞伎の女形にすれば必ず体験しなければならない大きな壁でもある。

 名優・六世歌右衛門、祖父・芝翫、父の福助という成駒屋の女形の系譜を見ても皆が名演を披露してきた。福助の長男の児太郎がまず舞踊会からその第一歩を踏み出す覚悟をしたのを褒めたい。

 舞踊会では梅彌、福助、橋之助の三人揃って清元「四季三葉草」を踊るほか成駒屋一門が勢揃いする。一昨年に他界した芝翫の遺言を受けて家元となった梅彌らから、みっちりと稽古を受けている児太郎。

 それにしても、まだ幼かった優太ちゃんが早くも花子を踊るとはねぇ。猛烈なジャイアンツ・ファンだが、巨人は今季、絶好調。負けるな、頑張れ、優太!

 (平成25年5月3日)

海老蔵は不気味な大悪人?                          

 新しい歌舞伎座柿葺落興行の7月・8月・9月の演目が決まり、4月25日に発表された。

 「七月花形歌舞伎」の昼の部が通し狂言「加賀見山再岩藤」で松緑が岩藤の霊と鳥井又助の2役。夜の部が通し狂言「東海道四谷怪談」で菊之助がお岩、佐藤与茂七、小仏小平の3役。染五郎が民谷伊右衛門、松緑が直助権兵衛。

 「八月納涼歌舞伎」は3部制。

 第1部が「新版歌祭文」の福助がお光、扇雀が久松。「春興鏡獅子」は勘九郎、七之助兄弟が半月替わりで小姓弥生。

 第2部は「梅雨小袖昔八丈」の三津五郎が新三、橋之助が源七。「色彩間苅豆」は福助のかさね、橋之助が与右衛門。

 第3部は「江戸みやげ・狐狸狐狸ばなし」の扇雀が伊之助、七之助がおきわ。「棒しばり」は勘九郎の太郎冠者、三津五郎が次郎冠者。この八月は勘三郎が得意としていた演目や役柄を故人と主に舞台を供にしていた俳優によって偲ぶ興行だ。

 「九月花形歌舞伎」。昼の部は通し狂言「新薄雪物語」で海老蔵が秋月大膳と葛城民部の2役。松緑が幸崎伊賀守、染五郎が園部兵衛、菊之助が梅の方。

 夜の部は新作「陰陽師・滝夜叉姫」。これは新開場記念新作歌舞伎として夢枕獏・作、斉藤雅文・演出による3幕ものだ。

 さて、何かと注目されているのが海老蔵。九月の「新薄雪物語」で海老蔵が演じる秋月大膳は大役だ。ヒロイン薄雪姫に横恋慕して人殺しを何とも思わずにケロリと忘れるような不気味な大悪人、「国崩し」と言われる役柄。王子の鬘、蒼白の顔で出てくる。

 もう一つの葛城民部はもうけ役。善意に満ちて常識に富んだ人物であり、上使として若い男女の恋物語を詮議する。生締めの鬘。気持ちのいい「捌き役」。“本業”に戻った海老蔵の真価が問われる。

 (平成25年5月3日)

死に物狂いの前進座  NEW!                    

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 劇団前進座の5月国立劇場公演は真山青果・作「元禄忠臣蔵」の「御浜御殿綱豊卿」と長谷川伸・作「一本刀土俵入」の2本立て。東京・吉祥寺の本拠地だった前進座劇場が閉館された劇団にとって死に物狂いで取り組み、未来に向けた公演だろう。4月18日、会見が開かれた。

 「元禄忠臣蔵」では劇団では三代目になる綱豊卿を演じる嵐圭史は3回目の取り組みになる。
 
 「楽しさも含めて高ぶっているのを実感してます。劇団にとって財産演目の一つ。初役の時、名台詞との格闘技というか、直前になると喉がカラカラになり、唾が出てこないのを初めて経験した。今回は余裕を持ってやりたい」という。

 「一本刀土俵入」の主役、駒形茂兵衛は藤川矢之輔、お蔦は河原崎国太郎。ともに劇団では四代目になる役だ。

 矢之輔は劇団で最初に演じた故中村翫右衛門が名優6代目菊五郎に教わりに行った秘話を公開した。

 「立ち上がって教えてくれたそうです。そして完成させた。梅之助さんは鋭さ、愛嬌があった。私は褌(ふんどし)かつぎから将来は横綱に-という気持ちでやりたい」と話していた。利根川べりで食べるのは翫右衛門から続いている「みたらしダンゴ」を使う。「毎日大変かって? あれはハンペンで作っているんです」と笑わせた。

 国太郎は2回目のお蔦。

 安孫子屋の2階から櫛、簪(かんざし)を結んで、下にいる茂兵衛へ渡す際に使う「しごき」は祖父の五代目国太郎が夫人に言いつけて作らせた一品とか。小道具一つにも凝った祖父からの「しごき」を使って古風さを出すつもりだ。

 【写真】嵐圭史(右)、嵐芳三郎(左) 撮影:加藤孝

 (平成25年4月23日)

咲大夫の一世一代    NEW!                     

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 国立劇場小劇場の5月文楽公演(5月11日~同27日)で68歳の咲大夫が“一世一代”の挑戦をする。近松門左衛門の傑作「心中天網島」で、北新地河庄の段、天満紙屋内より大和屋の段、道行名残の橋づくしまで、51年ぶりの通し上演だ。

 1時間に及ぶ通しは昭和37年(1962)1月に咲大夫の父親・八世綱大夫と十世弥七の三味線で道頓堀文楽座で演じられて以来だという。

 “一世一代”は大げさに思えるだろうが、気力、体力、集中力が一体になって初めて語られる至難の芸だ。

 4月18日に会見を開いた咲大夫。

 「近松は独特。字余り字足らず。文章が凄いんですね。油断も隙もならない。通しによって一体感があり、一人でやるものだと毎日、つくづく感じていますよ」。すでに大阪で語っている感想だ。いずれ天国へ行った時、「体力より神経戦になりますが(先人たちに)戻しておきましたからね-とあの世で言いたい」と全身全霊を賭ける意気込み。

 上演に合わせてこの作品についての芸談などをまとめた書籍「近松門左衛門名作文楽考②心中天網島」を出版する。

 名人とされた父親の八世綱大夫の名跡。咲大夫は「私は継ぎまへん。周りの方々も言ってくれますが、咲大夫のままで行きます」ときっぱり。近松が68歳の歳の時に書いた名作に同年齢で挑戦するのだった。

 【写真】心中天網島(国立劇場)

 (平成25年4月21日)

新しい歌舞伎座へ開場式                        

 4月2日に新開場した歌舞伎座。3月27日の開場式、翌28日の古式顔寄せ手打式に出席した。感慨深い。歌舞伎の世界に遊ぶウキウキとした一時がようやくやってきた。

 まず、開場式。

 一番太鼓が打たれて、「寿式三番叟」。この日、3回行われた。
1回目。
翁・幸四郎。千歳・梅玉。三番叟・菊五郎。
2回目。
翁・吉右衛門。千歳・魁春。三番叟・梅玉。
3回目。
翁・仁左衛門。千歳・玉三郎。三番叟・三津五郎。

 実は翌28日にも1回行われた。
4回目。
翁・我當。千歳・秀太郎。三番叟・左團次。

 坂田藤十郎、市川猿翁らは別格としてこの時点で最高の顔ぶれである。

 次ぎは手打式。居並んだ俳優174名。

 最前列。上手中央からー。
坂田藤十郎、菊五郎、吉右衛門、梅玉、魁春、時蔵、芝雀、福助、扇雀、友右衛門、東蔵、彦三郎、左團次、田之助。

 下手中央からー。
猿翁、幸四郎、仁左衛門、玉三郎、歌六、三津五郎、又五郎、翫雀、橋之助、團蔵、段四郎、澤村藤十郎、秀太郎、我當。

 3列目(2列目は松竹役員ら)上手中央からー。
権十郎、進之介、染五郎、猿之助、海老蔵、獅童、勘九郎、七之助、亀蔵、市蔵、門之助、高麗蔵、彌十郎、萬次郎。

 下手中央からー。
錦之助、孝太郎、松緑、菊之助、愛之助、中車、右近、猿弥、春猿、月乃助、笑三郎、笑也、右之助、秀調、家橘。

 病後、初めて姿を見せた猿翁、手打ちの発声をした菊五郎、祝辞を述べた坂田藤十郎。杮葺落興行に向かう役者を見るだけでも心が躍った。

 (平成25年4月1日)

新しい歌舞伎界                           

 4月2日に新開場する歌舞伎座。杮葺落興行の4月・5月・6月は3部制の大歌舞伎である。

 市川團十郎の死去によって、配役変更が決まったが、主な出演俳優の3か月に及ぶ注目本数を整理してみた。

 トップは8演目の吉右衛門。二番目は7演目の幸四郎。三番目は6演目の菊五郎、仁左衛門、三津五郎。團十郎も6演目に出演予定だった。その團十郎が出演する予定だった役柄に吉右衛門、幸四郎、菊五郎が代わって出るため、上記のような出演本数となった訳なのだ。

 以下では梅玉が5演目、玉三郎と時蔵が4演目、福助が3演目。花形では菊之助が5演目、松緑が3演目、染五郎、海老蔵が2演目となった。

 こう並べると、歌舞伎界の現状がやや読み取れるでしょう。坂田藤十郎は別格として吉右衛門、幸四郎、菊五郎、仁左衛門、梅玉が五人衆として支えている。勘三郎健在なら、また大きく違った勢力図が描かれたと考えられる。

 2月27日に行われた團十郎の告別式では海老蔵が何とも立派な喪主挨拶。市川宗家としてに留まることなく、歌舞伎界を盛り上げる決意表明をした。

 結婚した菊之助にしても花形世代の面々がそれぞれ危機感を身をもって感じているのが伝わってくる。

 歌舞伎座新開場直前の3月では、新橋演舞場、ル・テアトル、ACTシアター、国立劇場、御園座という5劇場で歌舞伎が掛かっている。

 いよいよ正念場を迎えた歌舞伎である。

 (平成25年3月11日)

歌舞伎の危機か                           

 不意打ちのような團十郎の急死は、歌舞伎の危機か。

 歌舞伎の世界は何度も難局を迎え、また、克服してきた。

 近代で言えば明治36年、五世菊五郎、九世團十郎、翌37年に初世左團次が相次いで亡くなった。江戸歌舞伎から続く不世出の巨星を失ったのである。

 戦後では昭和40年、十一世團十郎が早世した。歌舞伎界は戦後最高の人気役者を欠いてしまった。

 次ぎは平成元年の二世松緑から始まり、十七世勘三郎、十三世仁左衛門、七世梅幸が同7年までに相次ぎ世を去った。そして、歌舞伎座が建て直されるのを待たずに富十郎、芝翫、雀右衛門、勘三郎、ついに團十郎までを失ってしまった。大打撃の危機だ。

 打開する短期的なカンフル剤は、新しい歌舞伎座の杮葺落興行。向こう2年は人気が続くだろう。3年目までに福助の歌右衛門、橋之助の芝翫という襲名、さらに松緑の長男・大河、勘九郎の長男・七緒八の初舞台などを準備することだ。

 中期的な5~10年先はスタミナドリンク剤。菊之助の菊五郎、海老蔵の團十郎、染五郎の幸四郎といった襲名に向かうことになる。

 長期的では栄養剤。

 勘九郎の勘三郎、さらに雀右衛門、富十郎、仁左衛門といった大きな名前の復活が近づく。

 しかし、こういった襲名興行だけでは不足だ。今の親世代が将来の戦後第4世代を至急に育て上げることが前提。大きな役、個性的な役を次々と与えていくのがいい。若手、花形の底上げ。これしか危機は救えない。

 こうして、歌舞伎は生き延びてきた。

 (平成25年2月6日)

忠犬三太と黙阿弥                     

教育方針イメージ

 国立劇場の初芝居が「夢市男達競(ゆめのいちおとこだてくらべ)」。河竹黙阿弥没後120年の祥月に当たり、埋もれていた黙阿弥の娯楽作品で、猫とネズミが大活躍する。

 黙阿弥の曾孫に当たる河竹登志夫早稲田大学名誉教授がプログラムに書いているエピソードが抜群に愉快だ。

 作者の黙阿弥は動物が大好きだったらしい。まず、犬だ。

 幕末、「三太」という白い大きな犬を可愛がったという。「三太」はご主人が浅草仲見世に近い自宅から猿若町の芝居へ行くとき、毎日、付いていった。楽屋へ着いて「ご苦労さん」と言うと帰り、ほかの言葉でもダメ。黙阿弥本人でないと帰らなかったとか。「忠犬三太」である。

 猫も飼っていた。

 名前が「太郎」。頭から爪先まで真っ黒なカラス猫で、明治になってからの飼い猫だった。この「太郎」もユニーク。黙阿弥は大変質素だったといい、しかしこの猫だけは贅沢者で、マグロなど気に入らないと「フ~ン」といった具合に横を向いてしまったそうだ。

 「太郎」は明治19年1月2日に死んだが、黙阿弥の娘の糸は「十九年わずか二日の初夢を見果てぬ猫の名も太郎月」という歌を詠んでいた。河竹家の墓の横には、歌を自然石に彫った太郎の塚も置かれている。

 「知らざあ言ってきかせやしょう」という弁天小僧の七五調の名せりふでも知られる江戸演劇の大問屋、黙阿弥。犬、猫のエピソードを思い描きながら楽しむ初芝居は、また格別だと思う。

 【付録】「夢市男達競」に今、売れっ子のスギちゃんが出てきます。といっても本物ではなく、亀蔵がちょいとマネをする仕掛け。侠客の菊五郎にバッサリ斬られた亀蔵が衣装を変えると、あのジーンズ姿に。「ワイルドだぜ~」とか「音羽屋!だぜ~」とか、悪のり気味だが、面白いギャグ。歌舞伎は流行を貪る演劇です。

 写真は「夢市男達競」の尾上松緑と大ねずみ(国立劇場提供)

 (平成25年1月14日)

腕を挙げた芝雀                       

 4日は銀座。新橋演舞場「初春大歌舞伎」のお目当ては芝雀なのだった。

 昼に「傾城反魂香」、通称「ども又」で女房おとく。夜では「仮名手本忠臣蔵」・七段目「祇園一力茶屋の場」のお軽。ともに「四世中村雀右衛門一周忌追善狂言」。父・四世中村雀右衛門が亡くなったのが昨年二月二十三日。兄・友右衛門も「ども又」で雅楽之助、七段目の赤垣源蔵で出演している。

 歌舞伎の独特な催しと言えば襲名、追善興行が2本柱。しかしながら追善興行を出来る俳優は実は希少なのだ。名女形だった雀右衛門とはいえ、後継者がしっかりしていないなら、どうなっていたか。親を亡くしてから惨めな歌舞伎俳優となった例は数限りない。

 芝雀と友右衛門。7代目幸四郎に繋がる血脈山脈は梨園一。團十郎は病気休演となったが、当代幸四郎、吉右衛門兄弟が追善狂言に顔を揃え、「京屋・明石屋」兄弟を支えた。

 芝雀が、一段と腕を挙げた。

 「ども又」の女房おとく。吉右衛門の又平がいいのは語らずもがな。雀右衛門とのコンビは天下一だった。芝雀が芸を継ぐ。手水鉢に描いた自画像が表に抜ける。それを又平の目を指差しながら教える芝居。「なぜ、どもりに生まれついた」と悲しむ台詞。亭主大切とする女房、また、立役大切という女形の心得が自然に出た。親の教えを必死に守ってきたからだ。

 「祇園一力茶屋の場」のお軽では、吉右衛門が兄の平右衛門。幸四郎が大星由良之助。このお軽がいい。「兄さん、あるぞえ、あるぞえ」と由良之助の仇討ちの本心を知らせるところ、斬ろうとする兄から逃げまくる面白いやりとり。吉右衛門の兄との深い愛情が良く分かった。恋しい勘平を救うために身を売った悲運の身の上という性根がくっきりとしていた。腕を挙げたのだ。

 兄と相部屋の楽屋。鏡に向かって顔を作っていた二人。その後ろ姿に雀右衛門が重なって見えた。

(平成25年1月6日)4月2日に新開場する歌舞伎座。杮茸落興行の4月・5月・6月は3部制の大歌舞伎である。

 市川團十郎の死去によって配役変更が決まったが、主な出演俳優の3か月に及ぶ注目本数を整理してみた。

 トップは8演目の吉右衛門。二番目は7演目の幸四郎。三番目は6演目の菊五郎、仁左衛門、三津五郎。團十郎も6演目に出演予定だった。その團十郎が出演する予定だった役柄に吉右衛門、幸四郎、菊五郎が代わって出るため、上記のような出演本数となった訳なのだ。

 以下では梅玉が5演目、玉三郎と時蔵が4演目、福助が3演目。花形では菊之助が5演目、松緑が3演目、染五郎、海老蔵が2演目となった。

 こう並べると、歌舞伎の現状がやや読み取れるでしょう。坂田藤十郎は別格として吉右衛門、幸四郎、菊五郎、仁左衛門、梅玉が五人衆として支えている。勘三郎健在なら、また大きく違った勢力図が描かれたと考えられる。

 2月27日に行われた團十郎の告別式では海老蔵が何とも立派な喪主挨拶。市川宗家としてに留まることなく、歌舞伎界を盛り上げる決意表明をした。

 結婚した菊之助にしても花形世代の面々がそれぞれ危機感をもって感じているのが伝わってくる。

 歌舞伎座新開場直前の3月では、新橋演舞場、ル・テアトル、ACTシアター、国立劇場、御園座という5劇場で歌舞伎がかかっている。

 いよいよ正念場を迎えた歌舞伎である。

孝太郎の一発芸、海老蔵の弁慶に喝采             

 3日は浅草で一日を過ごした。「新春浅草歌舞伎」を見るためだが、いつものように浅草寺さんへまず参拝に。大混雑の仲見世通りを避けて1本、裏路を抜ける。これがコツ。煙を浴び、お賽銭を投げた。賽銭箱の回りも人波。コントロール良く、うまく投げ込めた。何をお願いしたかって? 勿論、家内安全、無病息災、故人の冥福、商売繁盛(競馬が当たりますように、原稿依頼がたくさん来ますようにと、これは冗談)、世界平和、わが国の人口が増えますように…とにかく沢山。芝居の国の芝居が栄えるように。なにせ大変なのである。

 浅草公会堂。この日の恒例、お年玉・年始ご挨拶は孝太郎。浅草歌舞伎は花形・若手のご挨拶を楽しむファンが多い。

 16年ぶりの浅草歌舞伎だとかで、珍しい一面を披露した大サービス。それはー。

 左團次から教わった一発芸だった。舞台正面、幕を背後にして羽織・袴姿という正装。左團次といえば「口上」の名人。俳優の私生活やら遊びを暴露したり駄洒落の連発など、大いに笑わせる人で、その名人が「お前、一度やってみろ」と強制。そこで習った芸。女形の孝太郎は「その一つをお見せしますが笑わないでください」と始めた。 

 右足を大きく踏み出して、成田屋の専売特許、「にらみ」のように大見得をした。そして台詞だ。「このたびは、白足袋だあ」と踏み出した右足を指差した「口上」。あとで、楽屋前で「やるじゃあないか」と褒めたのだ。「まるで初めてですよ。そう、笑ってくれていました?」とテレていた。

 さて、海老蔵が5演目すべてに出演している大奮闘。2部の「勧進帳」だけを書く。

 凄かった。驚いた。こんな弁慶は初めて見た。音吐朗々の声で読み上げ。富樫、番卒との押し合いでは口を大きく開いた形相だ。義経を打った後「判官御手をー」ではいかにも申し訳がなかったという姿が体を小さくしてすごすごと下がる芝居。さらに最後の花道。歌舞伎用語で「六方」を「六方をふる」と言うが、弁慶は飛び六方。歌舞伎では四つしかない飛び六方。右手を大きく振りながら海老蔵は凄い勢いで走り去っていった。

 豪快でも理知的な演出をする弁慶は、9代目團十郎の演じ方とされ、荒事風の勇者を強調する演じ方とされたのが7代目團十郎。とんがった台詞廻し、芝居だった海老蔵はこの7代目の勇者の演出か。浅草公会堂には14年ぶりの海老蔵。そこで初めて弁慶に挑戦したのだが、「一から考える」と弁慶を再構築したのだろう。荒ぶる海老蔵が、いた。

(平成25年1月6日)

さらば、前進座劇場よ                     

教育方針イメージ

 

 年明けの2日、吉祥寺へ向かった。2013年最初の観劇。お目当ては「三人吉三巴白浪」、と同時に前進座劇場。劇団前進座のこの本拠地が、千秋楽の9日を限りに閉館となるからだ。

 ファイナル公演初日のこの日、開幕前、中村梅之助代表が挨拶に立った。

 紋付きの黒羽織、袴の正装。マイクを持っての登場だ。

 「このところ少々、体調を崩しましたが、83歳になりました。この地にあたしが来たのは七歳の時でしたー」。

 思い返せば私が吉祥寺に建った劇場に初めて来たのは1982年だった。9月21日に創立メンバーで梅之助の父・翫右衛門が亡くなり、確かその2日後だったか通夜の取材で訪れ、老俳優のお顔を拝顔したのを今でもはっきり覚えている。続いて、開場した10月29日、杮落とし公演の「寿矢の根三番叟」も見ている。

 梅之助の元気な姿を目の当たりにして、良かった。本拠地を失った前進座は放浪の公演になっていく。

 矢之輔の和尚、國太郎のお嬢、芳三郎のお坊。第三世代の先頭に立つ俳優たち。劇団名の通り、もはや前を向き前進するのみ!

 写真は「三人吉三巴白浪」(撮影・二階堂健)

(平成25年1月4日)
 

教える事は教えられる事                    

 12月15日、国立劇場で開かれたのが「第11回伝統歌舞伎保存会・研修発表会」。12月公演で上演されていた「鬼一方眼三略巻」の「大蔵館奥殿の場 」を、出演中の若手俳優が主役、大役に挑戦した。

 その発表会で観客が喜んだのは、開演前に行われた「ごあいさつ」。監修・指導した吉右衛門、梅玉、魁春の理事3人が舞台上でトークを行った内容だった。

 一條大蔵卿を演じていた吉右衛門は兄・幸四郎と主催した若き日の「木の芽会」で初めて挑戦したのが15歳で以来13回目という。

 「ええ、よく覚えておりますねえ。前の勘三郎のおじさま(17世)のお宅に伺って精出してやりました。まず台詞廻しから。正座して足が痺れて、痛くて痛くて涙が出ました。『ああ、いいんだよ、今に上手くなるから』と優しいおじさまでしたよ」

 「私は一生懸命でした。兄は若い役で頑張ろうと思っていて『老け(役)をやるのはイヤだ』と言ってました」

 「夏の暑い小日向(の自宅)へ行って、汗びっしょり。一生懸命に教えてくれた。ありがた味、忘れないですね。すごく優しい教え方でしたねえ」

 「『鎌倉三代記』の時などはおじさんは黒衣を着て『そうじゃない、ここで息を吸ってーなどとね」

 「伝承というか教え方でも『テープとか見てはダメだ。30日間位、舞台を見て覚えるのが第一。ビデオでは全体が分からない』。それから難しいのは、自分がすでに分かっていても『どうでしょうか』と教わる。早々とちゃんと出来ると『そんなら勝手にやりなさい』ですから恐いです(笑い)」

 故六代目歌右衛門の長男である梅玉、次男の魁春は父の教えについては口を揃えた。「動きより気持ちだというのが教え」。梅玉は「伝えていくのがこの世界の使命。今、厳しく言うことが出来ないのは仕方ないが、場数を踏むこと、基本を教えることです」

 公演では歌昇が大蔵卿、米吉が常盤御前、隼人が鬼次郎、女房お京が種之助、勘解由が吉之助、妻鳴瀬が廣松。たった1日の研修会だったが、次代を担う若手へ教えた厳しさが舞台に見えたのが何よりだった。

 (平成24年12月25日)

勘三郎の「思い残しキップ」                  

 勘三郎があの世に旅立ってしまった。今だに信じられない。というより信じたくないのだ。

 報知新聞のコラムに「歌舞伎の神様がいるなら何と残酷な仕打ちか」と書いたが、密葬の11日、小日向の自宅で焼香をした。玄関に置かれた台に額縁に入った勘三郎がいた。笑顔の遺影に手を合わせても、ウソであって欲しいという気持ちばかり深まっていた。

 12月14日の報知新聞に載った福助の話によれば、ICUの病床の勘三郎は「世の中は自分が表に出てこないこの状態をどう思っているのか」と、しきりに気にかけていたという。芝居がやれない、声さえ上手く出ない状態だったとされるが、この彼の話には胸が潰れる思いだ。

 勘三郎は「手鎖心中」という井上ひさしの戯曲で歌舞伎を上演していた。その井上戯曲「イーハトーボの劇列車」の中に「思い残しキップ」が登場する。

 人が死ぬとき、この世でやり残したことへの思いをきっぷに託し、後の人に受け渡していくというもの。勘三郎の「志」。つまりは「思い残しキップ」を誰が受け継ぐのか。勘九郎・七之助が先頭に立つだけでなく、歌舞伎界全体の課題だ。これが残された問題なのである。

 (平成24年12月25日)

国立劇場の初芝居が「夢市男達競(ゆめのいちおとこだてくらべ)」。河竹黙阿弥没後120年の祥月に当たり、埋もれていた黙阿弥の娯楽作品で、猫とネズミが大活躍する。

 黙阿弥の曾孫に当たる河竹登志夫早稲田大学名誉教授がプログラムに書いているエピソードが抜群に愉快だ。

 作者の黙阿弥は動物が大好きだったらしい。まず、犬だ。

 幕末、「三太」という白い大きな犬を可愛がったという。「三太」はご主人が浅草仲見世に近い自宅から猿若町の芝居へ行くとき、毎日、付いていった。楽屋へ着いて「ご苦労さん」と言うと帰り、ほかの言葉でもダメ。黙阿弥本人でないと帰らなかったとか。「忠犬三太」である。

さらば、前進座劇場よ                    

 年明けの2日、吉祥寺へ向かった。2013年最初の観劇。お目当ては「三人吉三巴白浪」、と同時に前進座劇場。劇団前進座のこの本拠地が、千秋楽の9日を限りに閉館となるからだ。

 ファイナル公演初日のこの日、開幕前、中村梅之助代表が挨拶に立った。

 紋付きの黒羽織、袴の正装。マイクを持っての登場だ。

 「このところ少々、体調を崩しましたが、83歳になりました。この地にあたしが来たのは七歳の時でしたー」。

 思い返せば私が吉祥寺に建った劇場に初めて来たのは1982年だった。9月21日に創立メンバーで梅之助の父・翫右衛門が亡くなり、確かその2日後だったか通夜の取材で訪れ、老俳優のお顔を拝顔したのを今でもはっきり覚えている。続いて、開場した10月29日、杮落とし公演の「寿矢の根三番叟」も見ている。

 梅之助の元気な姿を目の当たりにして、良かった。本拠地を失った前進座は放浪の公演になっていく。

 矢之輔の和尚、國太郎のお嬢、芳三郎のお坊。第三世代の先頭に立つ俳優たち。劇団名の通り、もはや前を向き前進するのみ!

(平成25年1月4日)
 

教える事は教えられる事                    

 12月15日、国立劇場で開かれたのが「第11回伝統歌舞伎保存会・研修発表会」。12月公演で上演されていた「鬼一方眼三略巻」の「大蔵館奥殿の場 」を、出演中の若手俳優が主役、大役に挑戦した。

 その発表会で観客が喜んだのは、開演前に行われた「ごあいさつ」。監修・指導した吉右衛門、梅玉、魁春の理事3人が舞台上でトークを行った内容だった。

 一條大蔵卿を演じていた吉右衛門は兄・幸四郎と主催した若き日の「木の芽会」で初めて挑戦したのが15歳で以来13回目という。

 「ええ、よく覚えておりますねえ。前の勘三郎のおじさま(17世)のお宅に伺って精出してやりました。まず台詞廻しから。正座して足が痺れて、痛くて痛くて涙が出ました。『ああ、いいんだよ、今に上手くなるから』と優しいおじさまでしたよ」

 「私は一生懸命でした。兄は若い役で頑張ろうと思っていて『老け(役)をやるのはイヤだ』と言ってました」

 「夏の暑い小日向(の自宅)へ行って、汗びっしょり。一生懸命に教えてくれた。ありがた味、忘れないですね。すごく優しい教え方でしたねえ」

 「『鎌倉三代記』の時などはおじさんは黒衣を着て『そうじゃない、ここで息を吸ってーなどとね」

 「伝承というか教え方でも『テープとか見てはダメだ。30日間位、舞台を見て覚えるのが第一。ビデオでは全体が分からない』。それから難しいのは、自分がすでに分かっていても『どうでしょうか』と教わる。早々とちゃんと出来ると『そんなら勝手にやりなさい』ですから恐いです(笑い)」

 故六代目歌右衛門の長男である梅玉、次男の魁春は父の教えについては口を揃えた。「動きより気持ちだというのが教え」。梅玉は「伝えていくのがこの世界の使命。今、厳しく言うことが出来ないのは仕方ないが、場数を踏むこと、基本を教えることです」

 公演では歌昇が大蔵卿、米吉が常盤御前、隼人が鬼次郎、女房お京が種之助、勘解由が吉之助、妻鳴瀬が廣松。たった1日の研修会だったが、次代を担う若手へ教えた厳しさが舞台に見えたのが何よりだった。

 (平成24年12月25日)

勘三郎の「思い残しキップ」                  

 勘三郎があの世に旅立ってしまった。今だに信じられない。というより信じたくないのだ。

 報知新聞のコラムに「歌舞伎の神様がいるなら何と残酷な仕打ちか」と書いたが、密葬の11日、小日向の自宅で焼香をした。玄関に置かれた台に額縁に入った勘三郎がいた。笑顔の遺影に手を合わせても、ウソであって欲しいという気持ちばかり深まっていた。

 12月14日の報知新聞に載った福助の話によれば、ICUの病床の勘三郎は「世の中は自分が表に出てこないこの状態をどう思っているのか」と、しきりに気にかけていたという。芝居がやれない、声さえ上手く出ない状態だったとされるが、この彼の話には胸が潰れる思いだ。

 勘三郎は「手鎖心中」という井上ひさしの戯曲で歌舞伎を上演していた。その井上戯曲「イーハトーボの劇列車」の中に「思い残しキップ」が登場する。

 人が死ぬとき、この世でやり残したことへの思いをきっぷに託し、後の人に受け渡していくというもの。勘三郎の「志」。つまりは「思い残しキップ」を誰が受け継ぐのか。勘九郎・七之助が先頭に立つだけでなく、歌舞伎界全体の課題だ。これが残された問題なのである。

 (平成24年12月25日)

カウントダウン時計                       

 「あと132日」-。来年4月2日が新開場の歌舞伎座へ向けたカウントダウン時計の点灯式が21日、松竹本社真向かいのADK松竹スクエア1階ロビーで行われた。

 この日は第1期歌舞伎座が開場した記念の日で、カウントダウン時計は2010年の閉場の日にゼロとなった同じ時計。出席したのは坂田藤十郎・日本俳優協会会長、松竹の大谷会長、迫本社長、時計を提供したセイコーホールディングの服部名誉会長ら。

 テープカット、点灯式に続いた祝辞では藤十郎が「さあ、やらねば、という気持ち。私も生まれ変わって若い人とやっていきたい」と80歳の人間国宝は意気軒昂。2009年5月1日に行われた閉場へのカウントダウンは残り1年の「あと365日」だった。芝翫、富十郎、菊五郎、團十郎、藤十郎が並んだのだがすでに芝翫、富十郎は亡くなった。

 大谷会長は「いよいよスタートするなという嬉しさ、期待がこもったカウントダウン。身が引き締まる思いです」と挨拶。時計は26日から東劇ビルに据えられ、来春、建設中の歌舞伎座の前に移される。

 (平成24年11月26日)

幸四郎、文化功労者                        

 松本幸四郎が文化功労者に選ばれた。その取材会で印象に残った話を並べる。

 ①感想
 「満3歳で歌舞伎の修業を始め、よく途中で諦めずにきょうまで来たな。良かった、という思いで一杯です」

 ②足跡を振り返って
 「正直言うと楽ではなかった。苦しいこともだいぶあった。苦しみ、悲しみを希望に変えるのが俳優ではないかな、と一心に思ってきた」

 ③秘話
 『ラ・マンチャの男』を英語の台詞で主演した時。
 「英語の台詞は歌舞伎の手法で覚えた。歌舞伎はまず、名人を真似る。真似をすることから始める。真似は学ぶ。外人俳優の一言一句を真似ました」

 ④自分の性格
 「歌舞伎俳優なんですが、ボクはちょっと変わっていまして。伝統とか歴史より、今が好きなんです。先のこと、計画、計算をしない。逃げないで向かって行く。妥協しないことばかりで、なおさらそれが辛いですが、ガチンコ勝負ばっかり」

 ⑤基礎
 「まだ十代・二十代で、木の芽会という勉強会をやっていた時、團之助、吉十郎という九代目らを知っている老優が生きていた。その老優たちに聞いたりした体験が生きていると思う」
 【注】九代目は劇聖・市川團十郎、團之助は人間国宝となった六代目市川團之助、吉十郎は初代中村吉右衛門の古参の弟子・二代目中村吉十郎。
 【おまけ】「九代目幸四郎という俳優を自身で解説して」と質問したら「それはトークショーか、お酒でも飲みながらじっくりと話しましょう」と笑われてしまった。高麗屋さんはジョークがお好きな人なんです。

(平成24年10月30日)

染五郎会見                        

 17日に開かれた「市川染五郎会見」。

 日時、会場、出席者だけが書かれたお知らせ。事故以来、その姿を初めて見せた。怪我は全快したのだろうか。
 
 注目点。

 ①ファン、関係者へのお詫びとお礼
 ②現在の回復具合
 ③事故の原因の真相
 ④復帰計画
 ⑤今後の考え

 まず、事故を振り返る。

 今年8月27日、国立劇場大劇場で開催された第10回「松鸚会」第一夜。午後6時開演の宗家松本幸四郎古希記念舞踊公演で、松本流家元の松本錦升(染五郎)は傾奇(かぶき)おどり「あーちゃん」を踊っていた。まさに佳境の午後6時37分頃、突然、舞台から3メートル下の奈落へ落下した。

 ダ~ンという凄まじい音。体を下手向きにしたまま、開いていたセリから落ちたように見えた。飛び込んだようにも見えた。「あ、落ちた」。舞台稽古は行ったと聞いていたし、なにせ、あーちゃん自身が作詞・演出・振り付け・主演だから、その衝撃は計り知れない。

 次に会見。

 終始、マイクを左手に持っていた。

 ①「私のことでお集まり下さりありがとうございます。私の基本的なミスにより多くの方々にご迷惑をかけ、深く深くお詫び致します。この冒頭の挨拶以降も「お詫び」「申し訳ない」と何回か繰り返していた。

 ②怪我は右腕数か所の骨折、肋骨骨折とひび、頭骨にも少しひびがあったという。嵌めている右腕のプレートは来年に取り、肋骨は動くとまだ痛みがあるが、リハビリを継続しながら順調に回復しているという。一番心配された頭部の強打だが、後遺症がないのが何よりだった。

 ③「事故は自分の基本的なミス。情けないことに細々な基礎的な部分、一番気を付けなければならないことを怠った。もっと緻密に作らなければならなかった。原因は分からない」。気負い、体調管理、演出の不備、あるいは魔(ま)がさした?。詳細は語らなかった。

 ④仕事復帰。舞台へは来年2月の日生劇場公演から復帰する計画。父幸四郎も出演するようだが、歌舞伎かそうでないか演目は未発表だった。実現すれば実に8か月ぶりとなる舞台。この前の今年12月からテレビ時代劇の収録がある。

 ⑤今後の考え。「来年早々、40歳(1月8日生まれ)になります。(人生)後半戦に入ると思う。地に足を着けて全てを見渡しているような歩き方をして、確実に前進する思いです」「気持ちを新たに自分がやるべき事をキッチリ考え、歩んでいければと思っている」。

 【おまけ】まず、お詫びとお礼を話したのが良かった。関係者の中にはあれこれ思っている人もいるから。事故原因は詳細に検証して欲しい。二度と起こさないために。舞台復帰の演目だが、休演した中で特に残念なのが10月の新橋演舞場。七世幸四郎追遠と銘打った公演。七世は曾祖父。「勧進帳」で父親と團十郎との共演で義経を演じるはずだった。無念に違いない。日生劇場でリベンジする手もある。計画大好きなあ~ちゃん。緩めの計画から、そろりそろりと参ろう。

 (平成24年10月22日)

幸四郎、古希のこの1年                   

 幸四郎が伴左衛門、長兵衛二役を勤める11月の国立劇場「浮世柄比翼稲妻」の発表会見(11日)の終了間際、ようやく手を挙げて質問したところ、高麗屋は予想外に長く、また興味深い話を公開してくれた。

 質問は2点。

 「この公演が今年の仕事納めというが、1年を振り返った総括をして欲しい」

 「幡随院長兵衛は(父親の)白鸚さんは4回演じられ、幸四郎も4回目となるが、白鸚さんの舞台の思い出とかを」

 まず1点目。

 「1月にこの国立劇場の『三人吉三』で幕開きをし、来年に歌舞伎座が出来上がっていく姿を見ながら新橋演舞場でやってきたこと、また『ラ・マンチャの男』で8月、1200回上演でトニー賞のトロフィーを授与されたのが望外の喜び。また、ああ、自分も古希(8月19日生まれ)になったのかなあと思った」。そして染五郎の事故。忘れられない1年ではある。

 2点目。「わずか1回だけ見ても強烈に印象付けちゃうのが白鸚という俳優でした」。伴左衛門は初役だが、長兵衛は祖父・7代目幸四郎の当たり役でもある。二人を重ねた役作りになるのだろう。

 加えて語り出したのが「私にとって女優は-」という秘話。

 芝翫の兄さん、晩年の歌右衛門のおじ、そして京屋(4代目雀右衛門)の叔父。女優ではないんで、この三人です」という恩人、教示を受けた名女形三人だった。

 この話が出たのは伏線がある。腰元岩橋など三役を演じる福助が、昨年(10月10日)に父を亡くして今になって大きな風よけだったかを思っている。一方で年下の人とご一緒する機会が増え、女形として幸せで(襲名)20年目の福助は印象に残る1年でした。21年目は新しい歌舞伎座が出来る。また1年目としてやっていきたい」と発言していたのだ。

 「歌舞伎の女形を目指している栄ちゃんに期待している」と幸四郎。さらに「歌舞伎が残るか、歌舞伎でなくなったものが残るかの今、瀬戸際」とも言った。「失うものは何もない」。最後にこう言い切った高麗屋の覚悟であった。

 (平成24年10月22日)

玉三郎のお園の『型』                   

 玉三郎のお園がなんとも魅力的だった。

 赤坂ACTシアター「ふるあめりかに袖はぬらさじ」(10月21日まで)。歌舞伎でもなく新派劇でもない、芝居の女形芸の一つの『型』を随所に見せて堪能させた。

 お園という女が歩んできた人生の跡がこれほど明瞭になったのを初めて見た気がする。

 有吉佐和子の傑作だが、文学座の杉村春子のために書き下ろし、杉村が終生の当たり芸にしていたのが、お園である。

 吉原の芸者から流れ流れて横浜(ハマ)の遊郭岩亀楼に居付いた女だ。玉三郎にとって10回目。杉村の当たり役を、初めて歌舞伎の女形が演じてきた。玉三郎は劇場を変え、また喜劇女優藤山直美が主演した舞台では演出をし、その度に練り上げ、演出者を変えたり、新工夫を加えて、それまで学び得てきた全てを注ぎ込んだお園が今回の舞台だ、と思う。

 平成19年12月の歌舞伎座での公演以来で見る玉三郎のお園。見違えるようだった。

 その一番の訳は台詞術。

 特に技巧を凝らして多彩な表現を使い廻していた。以前はこうではなかった。杉村春子の名演に付かず離れずに役と寄り添っていた。今回は、しかし、全く違う。杉村から自由になったのである。

 第1幕、行灯部屋で喜遊との芝居から始まる。病身の花魁を気遣いながら茶々を入れる台詞、2幕で米人イリウスという客のあしらうところ、4幕で攘夷派武士との接客、そして「喜遊の死」を物語る。この講談調の語り部が圧巻だった。元より芸者は仁(にん)だが、特に語尾の言い廻しが意識的になった。男に散々泣かされ、苦労してきた。酒乱による失敗、諦めてしまった夢。芸質というより技法が優れていたから浮き出たのだった。

 さらに優れていたのが背中の三態の演技。行灯部屋で障子を開け、港を見る背中と裾のあしらい、次に3幕の冒頭。正座して海を静かにただ眺めている芝居。最後が4幕の切れだ。武士に脅され、また、開き直ってただ呆然としている背中の芝居。やり過ぎる台詞術と思える向きもあろうが、お園は玉三郎によって、生きた女となって立ち現れたと思うのである。

 【おまけ】見た日が10月1日。あのオスプレイが沖縄に飛んだ日。「ふるあめりか」。アメリカの言いなりのわが国の政治。いまだ旧態を実感する。「この国ときたら、ふるあめりかも、周辺国にも、びしょびしょだよ」

 (平成24年10月12日)

4月2日、3部制で新開場

 新開場となる歌舞伎座のスケジュール、複合施設が9月25日、発表された。

 ①新開場の興行②複合施設の名称と内容③関連催しが主なものだった。歌舞伎ファンにとって一番の関心事が興行だ。

 新開場の第1弾が平成25年4月2日初日と発表された「柿葺落(こけらおとし)四月大歌舞伎」(28日千秋楽)。この四月から六月までの連続3か月を「新開場」の名称としてそれぞれ3部制興行となった。「現代の平成の歌舞伎の素晴らしさを大一座」で披露するため、人間国宝の坂田藤十郎を始めとする大名題の俳優が顔を並べる。

 続いて七月から来年三月まで「新開場柿葺落」の興行だが、「七月花形歌舞伎」「納涼八月大歌舞伎」「九月花形歌舞伎」の連続3か月は若手花形を中心にした興行。そして、「錦秋十月大歌舞伎」「吉例顔見世大歌舞伎」「十二月大歌舞伎」、平成26年が「寿初春大歌舞伎」「二月大歌舞伎」「三月大歌舞伎」として義太夫三大狂言(「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」)、通し狂言、新企画狂言を準備しているという。

 この1年間に及ぶ新開場の興行では団菊祭や秀山祭は開催せず、また、襲名興行や追膳興行の予定はないものの2年目や3年目には企画される方向で、場合によっては1年目から上演される余地も残されている。3部制は各部3時間の公演として、さよなら公演の最後の2か月をイメージしているため各部二本立てか三本立てとなるようだ。

 ②の複合施設。歌舞伎座に隣接されるオフィスビル(オフィスタワー)の正式名称は「歌舞伎座タワー」、劇場とそのタワーを含めた総合名称が「GINZA KABUJIZA」。1年間のキャッチフレーズが「イザ、ギンザ、カブキザ」。銀座地区の活性化を期待しているという。「歌舞伎座タワー」に入るテナントは現在6~7割埋まっており、8月から9月にかけて申し込みが増加したとしている。

 ③の関連催し。さよなら公演で行った「カウントダウン」も実行する方向で時期を調整中。歌舞伎公演以外に空いている日には能と歌舞伎のコラボレーション、日本舞踊といった古典芸能の公演、イベントを積極的に組み込む。開場式も来年3月27日の大安に行われるのが有力。

 このほかファンからの問い合わせや希望が多かった一幕見席を3階に常設。従来のイヤホンガイドに加えて新たに「字幕(Gマーク)ガイド」(仮称)が設けられる。また、昨年3月11日の大震災の経験を踏まえ、帰宅困難者約三千人を収容できるスペースなどを地下に設置する。

 3部制興行の演目、俳優などは12月に発表する予定だが、半年後に迫った新開場に大きな期待がかかる。

三津五郎の花道

 坂東三津五郎がゆっくりと私の前を通り過ぎて行った。舞台の上手から客席へ降り、中央通路を下手に歩んで行く場面であった。旅路に出た芭蕉が晩年の自身と俳句の道を自問自答するような台詞を言っている。そこには芭蕉と三津五郎の2人が居るように見えた。

 東京・新宿のサザンシアターで上演中のこまつ座第98回公演「芭蕉通夜舟」は、三津五郎が松尾芭蕉を演じる一人芝居。19歳から51歳で永眠するまでの一代記を36景で描いている。俳句の世界で36句形式の連句を歌仙と言うが、歌仙36句の形式に倣(なら)った36景を井上ひさし氏は創った。休憩なしの約1時間半。黒衣となった俳優4人が朗唱役で出るが、77ページに及ぶ台本の台詞をほぼ一人で話し、演じる難行苦行の一人芝居だ。

 三津五郎は36のハードルを一つ一つ越えて行く過程で若者から青年へ、青年から壮年へ、壮年から老年へと台詞の調子を変え、演技の速度を変えて、芭蕉という俳諧の神様を深めていった。それは、三津五郎が芭蕉を演じているというより、芭蕉と並んで旅を行くように思えた。冒頭、「私は芭蕉を演じます坂東三津五郎でございます」と一礼し、挨拶するが、劇の案内人であり、三津五郎であり、芭蕉である三重構造になっていた。

 駄洒落や言葉遊びの談林俳諧から始まり、その世界から抜け出せない苦悩、そして「わび」、「さび」、「にがみ」、「かるみ」という独自の新しい俳句の地平を開いてなお、到達点を見い出せない芭蕉。三津五郎は今年56歳、初舞台からちょうど50年目になったという。古田新太か勘三郎が演じたならまた違った芭蕉になったのだろう。しかし、三津五郎は正攻法に、ケレン味なく俳聖と取り組んだ。客席の間を歩む姿は、花道を進む三津五郎であった。これからの歌舞伎役者としての道を探す旅のようであった。(8月19日所見)

菊五郎の忠信を堪能

 菊五郎が、巡業から元気に戻ってきた。

 6月30日の江戸川公演を皮切りに青森、北海道、石川、富山、宮城などを回った東コース。大震災の影響で昨年は公演中止となったため2年ぶりの旅だった。

 7月31日の千秋楽、浅草公会堂の舞台を見た。夜の部。最後の最後の舞台。「義経千本桜」の「道行初音旅」。静御前の時蔵、忠信の菊五郎。衰え知らず、元気一杯の音羽屋七代目は言うまでもないだろうが、猛暑の浅草の舞台はまさに人間国宝の芸を堪能させた。

 時蔵が初音の鼓を打つ。暗転となって、明かりが再び灯ると、花道スッポンに狐忠信の菊五郎が浮かび出た。その後、見事に輝きを放っていた。品格に富み、キビキビとした顔の動き、武士らしい貫目、狐である性根の確かさ。堂々とした大歌舞伎である。

 すでに何度となく見てきた忠信だが、なぜこうも新鮮に映るのだろう。

 「女雛男雛」で静御前の背後に立つ直前の芝居に舌を巻いた。キリッと表情が変わった。八島の合戦を物語る眼目が圧巻だった。大向こうから声が掛かった。「音羽屋、たっぷり!」。単に「たっぷり!」ではなく、屋号も掛けたのがいい。待ってました-という心情が分かるじゃないか。錣引きの戦いの様子が目に浮かぶように描く。演じるようで、演じるようではない。自然な芸というのだろう。それが、初めて見るような新鮮さと思えたのだった。

 楽屋では、東北を回ってきた体験も嬉しいのだろう。疲れも見せない元気な姿。8・9月はお休み、10月の名古屋・御園座から舞台に立つという。充実した音羽屋が待たれる。

玉三郎の人間国宝、四つの視点

 坂東玉三郎が人間国宝に認定される。62歳という現在の年齢のみを考えれば、いささか早いのかと見る向きもいるだろうが、新しい歌舞伎座が来春に開場するこの時期、絶妙のタイミングと思う。同時に、老け込むにはまだまだ早い年齢だからこそ精力的な仕事が期待される、と思う。

 この間、公式の報道を見たり、読んだりして彼の発言の要点を整理してみた。四つある。これからの活動について触れた部分に関心があったからた。

 ①新しい作品を創造する視点
 ②老け役をもっと追究する視点
 ③演出家としての視点
 ④後輩や子供を指導する視点

 新しい作品を創造する俳優は猿翁、幸四郎・染五郎、吉右衛門、勘三郎らがおり、実績を積んできた。立役俳優だった。女形が中核に活躍できる歌舞伎の演目は少なく、玉三郎には女形が主役の作品を想定しているだろうし、また、期待したい。

 老け役。これは古典の三婆などを指しているのか。玉三郎の老け役はどれも、誰でもが見たい。意地悪な婆の新作だっていい。

 演出家として。もともと、若い時分から演出家志望であり、歌舞伎以外でも実績を作った。これは、彼の感性次第。ドンドンやっていいし、灰皿を投げろ、罵声を飛ばせ、ただし品良く。

 指導するー。子供を集めて修業に専念させる仕組みとは?

 少数精鋭の私塾がいい。彼が指導に専念できる環境が欠かせない。資金、人材、場所、知恵ー。「守田座塾」、「玉三郎の玉子育て」? アイデアを募集しよう。

 歌舞伎にさらに打ち込む大和屋さん。待ってました!

平成中村座ロングラン公演の成果

 初のロングラン公演を敢行した東京・浅草の平成中村座も「五月大歌舞伎」が打ち上げ月となった。昨年十一月に始まり、今年五月まで都合六か月(2月は休演)という長期公演。それは単に長く上演したという事ではなく、歌舞伎界にとって先例となるべき成果を挙げた事実を見逃してはいけないだろう。

 成果は大きく別けて四つ考えられる。

 第一は長期公演を打ち抜いた偉業である。第二は勘三郎の舞台復帰と健康問題の不安解消。第三は勘九郎誕生とその成長、そして第四が俳優と上演演目での実験と成果である。

 一つ一つ検証しよう。

 まず第一だが、仮設の芝居小屋でのロングランは並大抵の努力ではやり抜けない。俳優の確保、演目の選定、観客動員の見通し、施設・敷地の安全担保。マンネリをどう打破するか。いくつかの課題をクリアし、歌舞伎座が建て直しの最中、上々の動員を収めて歌舞伎離れを食い止めたのは偉業以外にない。

 その第二。平成中村座の公演で本格復帰した勘三郎は出演俳優としてのみならず、座元としての立場、仕事もこなした。昨年十一月の「お祭り」で元気な姿を見せた時、万雷の拍手を浴び、「待っていたとはありがてえ」と満面の笑みを浮かべた。心底、観客は待ちわびていたのであり、その愛嬌ある舞台姿に安堵したのも間違いない。しかし、以前のような弾けるような姿というより、慎重にも慎重を期してのスタートではなかったかと、思う。

 ところが年が明けた一月では、当たり狂言の「身替座禅」の右京で持ち前の愛嬌を発揮しながらも、抑えるところは抑える新たな右京を演じていた。四月には「法界坊」を再演し、五月に「め組の喧嘩」の辰五郎、「髪結新三」の新三という極め付きの世話物を出して〝勘三郎の世話狂言〟で江戸の世界を描いた。

 公演中、毎日のように楽屋を訪れたのだが、来客との応対、出演直後の体調、目の力など不安視された健康は日を追うごとに良くなったように思えた。これが成果である。

 第三は勘九郎。二月に新橋演舞場で六代目勘九郎を襲名し、翌三月の平成中村座でも襲名披露。立役をもちろんだが、舞踊に於いてもまた女形でも花形俳優のトップランナーの一人に成長したことを見せつけた。五月での「髪結新三」の勝奴など、舌を巻くうまさだった。この大成長は大成果だ。

 最後に第四。十一月に仁左衛門が「義経千本桜」の渡海屋、大物浦。銀平・知盛を上方の型で見せたのが嬉しかった。初出演の菊之助は十二月に「寺子屋」の源蔵を初役で演じ、三月には海老蔵が「暫」を演じた。また、小山三が九十二歳という元気な姿を見せてくれたのも付け加えよう。

 芝居小屋で歌舞伎十八番が上演できる。また「千本桜」といった義太夫狂言も合っている。初役での成果も出た。これは座元としての勘三郎の知恵の勝利だろう。

 夢と実験が詰まった劇場。勘三郎は五月三十日が五十七歳の誕生日。六十歳の還暦にはその芝居小屋で「助六」を出したいそうな。来春には新しい歌舞伎座が立ち上がる。2015年(平成27年)が六十歳の年。その時、孫の七緒八君も初お目見えの出来る年齢だろう。隅田川河畔にまた、平成中村座の櫓が上がる日が待たれる由縁だ。


左團次の愉快な秘話

 伝統歌舞伎保存会による第10回研修発表会(4月18日・国立大劇場)が開催された。この保存会は歌舞伎俳優の後継者養成などが主な目的だか、研修発表会は大きな事業の一つ。今回の演目が「梶原平三誉石切」、通称〝石切梶原〟。片岡たか志の梶原平三を筆頭に若手らが貴重な舞台を踏んだが、観客のお楽しみが上演後に行われた座談会。指導した理事の仁左衛門を始め秀太郎、時蔵、孝太郎、愛之助、そして左團次の6人が本舞台に並び、織田紘二氏の司会で俳優指導の裏話やら秘話をたっぷり公開したのが収穫だった。

 「先代のお父さまにはどのようなお稽古を?」と司会が水を向けても左團次は例によって長い間の後、「何も教えてもらいません」。役者は師匠が一番巧いと思っているので、他の役者さんの教えなど聞かないし、それを承知の父の先代は自分が伝授せず、他の家に行って習えというやり方なのだ。

 で、左團次。「あんな奴、出すんじゃなかったーとおじさんの皆さんの寿命を短くしたんじゃないか。巧くないので」と笑わせた。さらに「ある俳優の話」と断ってから、「カセットテープを入れて『お願いします』と言ったら『えっ!カセットで覚えられるのかい。なら、もう来なくていいよ』と言われたそうです。口移しで教えられるんです」

 秀太郎、仁左衛門は父親13世仁左衛門に習った思い出。「ぶきっちょなもんですから、歩き方、腰の入れ方を手取り足取り教えてもらいましたね。特に、私が若い頃、毛谷村のお園では『そこはこう、そこは違う』という風に」と秀太郎。仁左衛門が忘れられないのが「吉田屋」のお稽古。姿の角度とかを見せられ、父が台詞を何度も言っての稽古。誰々の先輩はこうとかいろんな型を話して「後は自分で考えなさい」。「伊左衛門がそこに居るようでした」

 時蔵は梅幸、芝翫に教わり、先代の又五郎にも指導を受けた。今回の研修発表会で竹蝶が演じた梢も又五郎仕込み。「ご自分で台詞廻しを言って下さいました。でも、成駒屋のおじさん(六世歌右衛門)が一番怖かった。これ位しか出来ないだろうという教え方でしたから」。歌舞伎伝承の裏話は面白い。


原稿取材中

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PROFILE

■大島幸久メモ

 東京生まれ、団塊の世代。ジャイアンツ情報満載のスポーツ新聞(スポーツ報知)で演劇を長く取材。演劇ジャーナリストに生まれ変わったばかり。現代演劇、新劇、宝塚歌劇、ミュージカル、歌舞伎、日本舞踊。何でも見ます。著書には「新・東海道五十三次」「それでも俳優になりたい」。鶴屋南北戯曲賞、芸術祭などの選考委員を歴任。毎日が劇場通い。