本文へスキップ

大島幸久の『何でも観てみよう。劇場へ!』

アイドル夢の世界

加藤シゲアキへの注文 〜NEW!〜               

   NEWSの加藤シゲアキ主演、新国立劇場公演『エドモン』(4月16日千秋楽)には驚いた。驚きついでに加藤への注文を思いついた。副題「シラノ・ド・ベルジュラックを書いた男」の通り、作者エドモン・ロスタンが主人公。加藤の役だ。

 最初に驚いたのは舞台転換。全82場だとか。何という数の多さ。演出のマキノノゾミは猛烈なスピードで次々と転換させた。お見事! 数分で終わる場面もあれば、アッという間の場面もある。何役も兼ねる俳優がそれぞれ手際良く計算されたように小道具などを移動させ、それも場面の途中から転換していった。当然、加藤も美術員≠フ一人だ。

 彼は出ずっぱり。これにも驚いた。舞台の隅々に動いて演技をした。上手かと思えば下手の端っこ。自宅のベッドに寝た次の一瞬には翌朝の場面。台詞を吐きなが動き回った。

 依頼された新作脚本をわずか3週間で舞台にかけろ!無茶な注文だ。産みの苦しみ。アイデアが浮かばない。不倫を疑う妻との生活、友人のバカな相談にも付き合う。さらに主演女優のわがまま。

 作家でもある加藤は机に向かって、書けずに頭を抱える芝居が自然なのはわかる。妻にいらつく表情、友人には怒りをぶつける。ヒントを掴んだ時、ハードルを越えていく嬉しさ。「これまでにない方法で芝居を作る」と、プログラムで語っていたが、なにせ喜劇だから間(ま)に工夫したのだろう。

 最も感心したのは演技にも嫌みがなく、エドモンの一心さ、温もりが見えたことだ。恐らく自身は生真面目な性分なのだろう。マジメに演じるのでコメディになるのだ。

 最後に注文。本人はいつの日にか原作のシラノ・ド・ベルジュラックを演じたいそうだ。その心意気だ。さらに「シラノ」に並ぶ小説や『ラ・マンチャの男』のような傑作ミュージカルを書いてほしい。志は高く、第一級の二刀流に向かって!

             (令和5年4月23日)

さようなら『滝沢歌舞伎』、そして 〜NEW!〜               

   主演の9人組グループ、Snow Manが初めて演出に挑んだ『滝沢歌舞伎ZERO FINAL』の観劇のため4月12日、新橋演舞場に足を運んだ。花粉が舞い、間もなく黄砂も襲って来ようとする中、開演前はファンの大行列。頭(かしら)など24ブロックで繋がった巨大な金龍が客席上空に吊り下げている場内。スマホで撮影する女性らは例年より熱中していた。

 当然だろう。2006年に『滝沢演舞場』としてスタートした名物シリーズ。『滝沢歌舞伎』に変わりながら13年、そしてSnow Manが2019年から受け継ぎ、「ZERO」となつて5年。計18年のロングラン、大ヒット公演がいよいよピリオドを打つのである。

 開幕からド肝を抜かれる演出だ。挨拶をしたリーダーの岩本照の長く深々と最敬礼のお礼の後、いつものように「春の踊りは、ヨ〜イヤ、サ〜」の第一声の合唱。と、どうだ。桜の紙吹雪がドサ、ドサッと降り落ちた。半端な量じゃない。都内の桜は散ってしまったがファイナル公演は満開になった。

 5年という歳月は9人を間違いなく、大成長させた。それぞれの実力は向上し、チームの総合力には目を見張った。5年間の、いや、18年間の集大成ファイナルになった。

 オープニングから仇討や太鼓と続く前半、そして後半「滝沢歌舞伎ZERO」。LOVEのエンディングまでその場面転換の速さと言ったらなかった。休む間もない、目を閉じる間もない。

 ダンスシーンの中央で踊るラウールはやっぱり一際目立つ。ダンスのキレが違う。余裕の笑顔が溢れた。人、愛を求めると、リーダーが主題を語ったのだがラウールは太陽の赤い照明、三日月の月明かりの中で一人、踊った。巧い。

 宮舘涼太の殺陣は抜群だ。市川團十郎との公演『SANEMORI』で見得や殺陣の型を学んだ成果だろう。五右衛門の中での宮舘はさすがに磨きがかかった。

 深澤辰哉、渡辺翔太、向井康二、阿部亮平、目黒蓮、佐久間大介。確実に9人のダンス力はアップした。統一感もより増していた。

 桜咲く国の日本。桜で始まり桜で終わる構成。この和風、歌舞伎を取り入れた公演。海外でも通用する、と思う。それにしても、お前たちって奴は。Snow Manって若武者は…。やるねえ。

             (令和5年4月21日)

三宅健への提案 〜〜               

   元V6の三宅健(43)がジャニーズ事務所を5月に退所する前の出演舞台『ミナト町純情オセロ』を3月16日に見た。「新しい自分と出会いたい」−。新たな風景を見るための転進らしいが、劇団・新感線のこの公演では挑戦的で異色の役で個性を発揮した、と思った。今後の路線を考えると、舞台俳優としてはさらに思い切った闘いをしよう。

 今回は、ワルの役だ。シェイクスピアの四大悲劇の一つ『オセロ』を青木豪が大胆に作り変え、三宅はブラジル人の血を引き、沙?組の若頭筆頭・亜牟蘭オセロというヤクザ。三宅は声、動き、表情による演技を充分に使って悲劇に向かうオセロ像を作っていった。

 かすれ気味の声は独特の個性だ。本人は短所と思っているか、あるいは長所と信じているかは分からない。シェイクスピアの原作は最愛の妻の不義を邪心し、嫉妬に狂ったオセロが身を滅ぼす悲劇だが、新感線の世界は荒唐無稽。三宅は常に高い調子の発音によって台詞を語るのを求められた。だから、共演者と溶け込んだ。

 ヤクザ特有の挨拶の仕方。両足を開き、両手を膝に付けて最敬礼のような形だ。これを何度となく、演じた。さらには、切り替えが速い動作。『滝沢歌舞伎』でもそうだったが、切れのいい芝居が持ち味だった。

 亜牟蘭オセロというヤクザは、妻を殺害してしまう。また、自分も死なねばならない。そのラストの芝居。首を切り裂き、血まみれである。その前、自らを悔い、覚悟を決めた表情に点を入れたい。哀しい顔だった。いい顔だった。

 今後の行方は不明だ。少し、充電するという。では、その期間、演技のさらなる向上をしようじゃないか。現代演劇のトップ演出家と密かに交流する手がある。シェイクスピア、チェホフ、イプセンといった戯曲を学ぼう。留学だってある。語学を習得しよう。英語などの外国語、あるいは日本の古典もいい。

 様々なことに目を向けてほしいな。いずれは市川猿之助との共演、三谷幸喜の喜劇の出演、坂本昌行との競演…。一方的で勝手な提案だ。そして、本物のオセロを演じるために、やる事は限りない。

             (令和5年3月25日)

やる泣かせてくれる『悲しき雨音』                

   帝国劇場での公演『ジャニーズ伝説2022』(12月5日〜22日)を8日に見た。演出・主演のA.B.C-Zは結成10年というアニバーサリー上演だった。このグループによるABC座が7年目になった。私の特に目を引いた若者が2人いた。A.B.C-Zの戸塚祥太、そして7MEN侍の佐々木大光両君である。

 この公演は初演から継続して見ており、兄貴格になったA.B.C-Zは全員が独り立ちする実力を身に付け、すっかり落ち着きと余裕すら感じるグループに成長した、と思う。今や巨大エンターテイメント企業となったジャニーズグループだが、その誕生から現在までの歴史を辿る公演だ。

 創業者のジャニー喜多川さんが育てた初代の人気グループ、ジャニーズは60年前の1962年に活動を開始した。その4人組は草野球チーム名としてスタート。A.B.C-Zのメンバーは4人の実名で演じ、戸塚はジャニーさんに扮していた。眼鏡をかけて、長髪を束ねた格好、また、多くの台詞量。雲の上の存在だった社長を演じるのに当たり、彼なりのジャニーさん像に徹していたのだろう。進出したアメリカから帰国させる時の場面は、悩んだ末の決断を伝える心の動きを巧く出した。

 ACT2のショーになると素顔のメイクに戻り、眼鏡を外し、長髪を振り乱して踊り、歌うスタイルが一層、存在感たっぷりであった。

 一方の若い佐々木ちゃん。ABC座は3年目。創立期から現在まで辿る役割だ。やや丸顔でメンバー中、童顔の明るい笑顔が印象的でアピール度が強かった。

 それにしてもオールドファンには泣かせる公演なのだ。1960年代のヒット曲が絶えず流れ、それを歌唱する。『悲しき雨音』『涙くんさよなら』『君の瞳に恋してる』『なんとなくなんとなく』…。ザ・カスケーズの『悲しき雨音』は1962年の発売。その時期、計算したところ当方は中学3年生、15歳じゃないか。当時、耳に心地良いこの名曲を何度口ずさんだものか。「耳をすまして聴こうよあの雨の音。恋に破れたおあろかな私のタメ息」…。この文章を書いている今も、心の中、頭の中にリズムが流れている。ああ、青春、もう帰って来ない青春。と、かつて少年だった私は涙ぐむのである。

               (令和4年12月29日)

やるじゃないか、宮舘涼太                

   東京・新橋演舞場『初春歌舞伎公演』(1月27日千秋楽)は「市川團十郎襲名記念プログラム」の『SANEMORI』。義太夫狂言の「源平布引滝」の主人公・源義賢、義仲親子を中心に平家打倒の闘いの中、元は源氏方の武将だが後に平氏に仕える斎藤別当実盛の颯爽とした活躍が描かれる。

 その実盛が襲名直後、初の舞台に立つ團十郎。Snow Manの宮舘涼太が義賢、義仲を初めて二役を演じた意欲的な公演だ。宮舘は幕が開くと軍兵の背中に乗って仁王立ち。いわゆる板付き。プロローグは越中・倶利伽羅峠の場。右手に刀、左手に槍で見得と台詞。顔は白塗り、初々しい若大将の義仲だ。「手ごわいぞ」などの台詞や歌舞伎の手法で大立ち回り。これが5分間続いた。亡き父への思いを語り、花道スッポンで引っ込んだ。

 序幕1場では義賢。開いた襖から紫に病鉢巻きで出て、二重の階段にドカリと座った。「憎っくきは、おのれ!清盛!」。力強い声。「義賢最期」と言われる場面で歌舞伎の名優が演じてきた見せ場である。大きな薙刀を差し上げれば、激しい立ち回りが続く。そのたび、首を大きくゆっくり回して決めた見得。時に「ウ〜」と唸り声。竹を梯子へよじ登って「ガ〜ッ」。さらに、組んだ戸板の上に立って横倒しになる戸板崩し。続いていよいよ悲劇の死に向かう。

 自分の腹を刀で突き抜けて、背後から組み付いた兵の腹へも差し抜く壮絶な場面。断末魔の台詞を言い放ち、息も「ハーハー」と荒い。二重から仏倒しとなって戸板を滑り落ちる討ち死に。辛口で書けば、見得、立ち回りは歌舞伎の型をこなしたが台詞は時代劇に近い。しかし、驚いた。よく、ここまで持ちこたえた。熱演だ。

 2019年のシアターコクーン「ABKAI」で川さんのメッセージを全員が全力で義仲を演じたとはいえ、稽古をみっちり続けたのだろう。團十郎を始めとする歌舞伎俳優の中に単身、飛び込んでの主役。宮舘君、大したもんだ。

             (令和5年1月16日)

やる泣かせてくれる『悲しき雨音』                

   帝国劇場での公演『ジャニーズ伝説2022』(12月5日〜22日)を8日に見た。演出・主演のA.B.C-Zは結成10年というアニバーサリー上演だった。このグループによるABC座が7年目になった。私の特に目を引いた若者が2人いた。A.B.C-Zの戸塚祥太、そして7MEN侍の佐々木大光両君である。

 この公演は初演から継続して見ており、兄貴格になったA.B.C-Zは全員が独り立ちする実力を身に付け、すっかり落ち着きと余裕すら感じるグループに成長した、と思う。今や巨大エンターテイメント企業となったジャニーズグループだが、その誕生から現在までの歴史を辿る公演だ。

 創業者のジャニー喜多川さんが育てた初代の人気グループ、ジャニーズは60年前の1962年に活動を開始した。その4人組は草野球チーム名としてスタート。A.B.C-Zのメンバーは4人の実名で演じ、戸塚はジャニーさんに扮していた。眼鏡をかけて、長髪を束ねた格好、また、多くの台詞量。雲の上の存在だった社長を演じるのに当たり、彼なりのジャニーさん像に徹していたのだろう。進出したアメリカから帰国させる時の場面は、悩んだ末の決断を伝える心の動きを巧く出した。

 ACT2のショーになると素顔のメイクに戻り、眼鏡を外し、長髪を振り乱して踊り、歌うスタイルが一層、存在感たっぷりであった。

 一方の若い佐々木ちゃん。ABC座は3年目。創立期から現在まで辿る役割だ。やや丸顔でメンバー中、童顔の明るい笑顔が印象的でアピール度が強かった。

 それにしてもオールドファンには泣かせる公演なのだ。1960年代のヒット曲が絶えず流れ、それを歌唱する。『悲しき雨音』『涙くんさよなら』『君の瞳に恋してる』『なんとなくなんとなく』…。ザ・カスケーズの『悲しき雨音』は1962年の発売。その時期、計算したところ当方は中学3年生、15歳じゃないか。当時、耳に心地良いこの名曲を何度口ずさんだものか。「耳をすまして聴こうよあの雨の音。恋に破れたおあろかな私のタメ息」…。この文章を書いている今も、心の中、頭の中にリズムが流れている。ああ、青春、もう帰って来ない青春。と、かつて少年だった私は涙ぐむのである。

               (令和4年12月29日)

松岡の家政夫を見たゾ                

 松岡昌宏が女装して家政夫を主演した『家政夫のミタゾノ・お寺座の怪人』を11月19日、EXシアター六本木で見たゾ。テレビの人気シリーズの初舞台化だから、あの‘スーパーウーマン?’がナマで見られる訳だ。彼の舞台は何度も見てきたけれど、彼のステージはまた、いいものだ。迫力がある。オーラがある。ひたすら、観客を笑いの渦に誘い込もうとする強い意志があった。

 リアルと幻想が交錯する舞台版もバカバカしい物語なので、変化球で書こう。

 素顔の松岡は二枚目だ。その顔にメガネ、濃い目の口紅、カツラの頭髪は肩まで届いて長い。発生は地声ではなく、女性の声で。割烹着を付けて最初に登場するだけで、なぜかもう笑える。そして、それが何の違和感もないのである。不思議だ。いや、彼は役になりきっているからだ。

 開山200年祝賀祭を前にした天言宗の座捨得寺(ざすてえじ)から依頼され、住職の後継者選びに巻き込まれてのテンヤワンヤ物語。機械に強いのを証明するため、リンゴの皮むきを見せたが、観劇した日は見事に失敗。やり直す場面にお客は大笑いだった。そして、正面を向いてスカートをたくし上げて走る、走る。これは通称‘ミタゾノ走り’らしいが、これ以外に下手から上手へと全力疾走する場面も披露。プログラムに本人が明かしているのだが、このシリーズは「子供の頃に観た、バカバカしくて面白いものをやってみたい」という正直な本音を実現させた企画だった。

 それにしても、松岡に感心したのは観客が大笑いでも、とうとう自分は一度も笑うことがなかった点だ。アイドルがここまでやるか!。笑わせることに徹底したのが分かったのは、カーテンコールでの挨拶でも真剣な顔付きだったのである。

             (令和4年12月13日)

舞台人、岡本健一                

 岡本健一と成河の二人芝居『建築家とアッシリア皇帝』は、「助けて!」の岡本の第一声による初景、同じく成河の「助けて!」が最終景。この間、皇帝と名乗る男と建築家と名付けられた男が膨大な量の台詞の応酬を繰り広げ、多くの運動量によって演技のバトルを続ける舞台だった。

 フェルナンド・アラバールの代表作で、パニック演劇と呼ばれている。当方の解釈でパニックとは、挑戦的で、不可解で、革新的で、また不条理に結び付く、いわば、‘哲学’するといった内実と考えている。

 出演者二人は、作品に向いていない配役ではないかと危惧したものの、どっこい、それは違った。二人は台詞と演技とを別個に分けるのではなく一体となった肉体そのもので‘哲学’を実現したように見えた。

 スピード感を持って情景が次々と変化していった。情景の大半はごっこ遊びに似た芝居である。戦争ごっこ、母親と息子の親子ごっこ、馬乗りになって馬の鳴き声を発する。妻の事を語る。岡本は女性の下着に着替えたり、上半身裸の肉体を晒す。成河の甲高い声、岡本の甘い声が渾然となる。

 時にグロテスクで、時にエロチックな場面となる。支配する者とされる者、二人の立場といった存在が逆転していく。神の不在を描けば、神に助けを求めるようでもある。

 アイドルから脱皮して舞台人に進化している岡本。自分の体を食い尽くせ、といって食べられてしまうアッシリア皇帝。一体となった二人。岡本は、それでもアイドルでありながら、舞台俳優として、また一つ、立脚点を作った。

               (令和4年12月13日)

松岡の家政夫を見たゾ                

 松岡昌宏が女装して家政夫を主演した『家政夫のミタゾノ・お寺座の怪人』を11月19日、EXシアター六本木で見たゾ。テレビの人気シリーズの初舞台化だから、あの‘スーパーウーマン?’がナマで見られる訳だ。彼の舞台は何度も見てきたけれど、彼のステージはまた、いいものだ。迫力がある。オーラがある。ひたすら、観客を笑いの渦に誘い込もうとする強い意志があった。

 リアルと幻想が交錯する舞台版もバカバカしい物語なので、変化球で書こう。

 素顔の松岡は二枚目だ。その顔にメガネ、濃い目の口紅、カツラの頭髪は肩まで届いて長い。発生は地声ではなく、女性の声で。割烹着を付けて最初に登場するだけで、なぜかもう笑える。そして、それが何の違和感もないのである。不思議だ。いや、彼は役になりきっているからだ。

 開山200年祝賀祭を前にした天言宗の座捨得寺(ざすてえじ)から依頼され、住職の後継者選びに巻き込まれてのテンヤワンヤ物語。機械に強いのを証明するため、リンゴの皮むきを見せたが、観劇した日は見事に失敗。やり直す場面にお客は大笑いだった。そして、正面を向いてスカートをたくし上げて走る、走る。これは通称‘ミタゾノ走り’らしいが、これ以外に下手から上手へと全力疾走する場面も披露。プログラムに本人が明かしているのだが、このシリーズは「子供の頃に観た、バカバカしくて面白いものをやってみたい」という正直な本音を実現させた企画だった。

 それにしても、松岡に感心したのは観客が大笑いでも、とうとう自分は一度も笑うことがなかった点だ。アイドルがここまでやるか!。笑わせることに徹底したのが分かったのは、カーテンコールでの挨拶でも真剣な顔付きだったのである。

             (令和4年12月13日)

少年たちのメッセージ 〜NEW!〜               

 1969年が初演の『少年たち・あの空を見上げて』(東京・新橋演舞場。〜10月13日)だが、今年はHiHi Jetsと美少年が座頭格となって2年目。昨年とは違い2幕構成のジャニー喜多川さんが伝えたメッセージ性が色濃い作品だった。

 1幕冒頭。幼い少年2人が「ボクらは一生友達だ」と誓い合い、別れていく場面から始まり、この2人らが10年後の少年院の場面へと移っていく。少年少女はいつの時代も心は共にあるーと切なく願うのだろう。

 少年院では「赤」と「青」のグループが競い合っていて2人は別の集団に所属。「赤」の「23」・岩崎大昇、「青」の「21」・高橋優斗が目に付いた。友情を誓い合った2人だ。主役だからーという訳ではない。存在感、個性、演技の出来を評価するからだ。
  
 見どころは今回も満載だ。闘う場面のダンスでは、グループ別ではなく両方が混じるのが多いのは‘交流’を求めているからか。入浴場面で名物の桶ダンスはアドリブもある。裸の前を隠しながらの‘伝統’の場面はいつも楽しい。

 そしてトランポリンを使って2人、3人とリレーでボールを繋いでいくフリースタイルバスケ、ダンクシュートはスピード感一杯。このバスケにしても単なる見せ場ではなく、皆が一つのボールを、心を繋いでいくことを示している。出演者では看守長の内博貴が、これでもかという憎まれ役で舞台を締めた。そして「青」の「68」。物語のキーマンである金指一世。「伝えたい人もいない、帰る場所もない」と話す悲しさや黒髪であどけなさ、可愛さが好印象だった。

自分を信じる、仲間を信じる。どんな環境でも強く生きていく。友情の大切さ。ジャニー喜多川さんのメッセージを全員が全力で演じた。で、付録。思い出すなあ、私も美少年だったあの頃を…なんちゃって!

 
             (令和4年10月3Q日)

坂本昌行の代表作                

 オーストラリアが生んだ世界的なエンターテイナー、ピーター・アレンの半生を描いたミュージカル『THE BOY FROM OZ』で主演の坂本昌行は、2年ぶりの復活上演とあって、まるで水を得た魚、あるいはイルカのように新鮮な舞台を生きていた。

 良かった第一はフィリップ・マッキンリーの演出と、ジョーイ・マイニーリーの振付が坂本の特徴と長所を存分に発揮させた点だ。抜群の歌唱力、長身を生かした滑らかなダンス、説得力のある台詞回し。エンターテイナーのアレンをエンターテイナーの坂本が演じるー。坂本の才能が良く分かる舞台だった。

 第二は、的確に配役された共演者との絡みである。アレンを前座歌手に抜擢したジュディ・ガーランドは鳳蘭。華とオーラ放つツレちゃんとのダンスは見せ場だった。もう一人の宝塚OG、紫吹淳はライザ・ミネリ。ジュディの娘だが、アレンと結婚し、やがて離婚する。恋をし、結ばれ、しかし考えの相違やスレ違いの生活。ライザがスターになっていくのと反比例してアレンは売れなくなり、嫉妬。2人の感情を剥き出しにした芝居も見せ場だった。
  
 そして、最愛の母親・マリオン・クールノーが今陽子。溢れる愛情で息子を育てたごく一般的な母であり、母を慕う息子。その関係性が泣かせる。

 坂本はプログラムで語っていた。

 「ミュージカルでも、ここまてショー的な要素が強くて、客席と会話ができる作品はなかなかないと思うんです。楽しくて笑顔になれて、でも伝わってくるものがある作品ですよ」。

  終始一貫、客席に向かって語りかけるような姿勢で表現した坂本。彼の代表作である。

             (令和4年7月10日)

相葉雅紀に敢闘賞                

 「嵐」の相葉雅紀(39)が、この12月に40歳を迎える前の一つの決意を胸に12年ぶりの舞台に立った、と思えるのが東京・初台の新国立劇場『ようこそ、ミナト先生』である。湊孝成という役名の男。二面性がある役柄とされていて、安直な役作りとは言えない背景を持つ青年だ。

 前回の舞台は2010年の『君と見る千の夢』。演出が宮田慶子。彼女とは17年前となる2005年に上演された『燕のいる駅』で初の仕事。今回が5作目という。相葉にとってそれでも挑戦と言える公演。プログラムで話していたが、映像ではなく観客と向き合う生の演劇出演は「それまでの自分にはなかった考え方や物事の捉え方、それをどう表現するかを学び、新たな引き出しを作れる場所。なので稽古も貴重かつ幸せな時間」と語っている。何とも地に足の付いた、演技者としてしっかりとした“哲学”を持っているじゃないか。感心した。

 その舞台だが、甲信越地方の山あいにある町で非常勤の音楽教師として働く湊は築200年の古民家に住んでいる。最初の登場。勢い良く上手奥から走り出て、背中にはキャンバス。さて、その発声について実は心配というか懸念を抱いていた。というのも、少し、くぐもり声、換言すれば含み声といった声質の印象を持っていたからだ。舞台ではどうなのか。しかし、それは杞憂だった。むしろ、台詞は客席にまで良く通った。
  
 ネタばれになるので物語の詳細は避けるが町民に慕われる存在になりながらも、どこか影がある性格を演じた相葉。一人暮らしの偏屈者・植村を松平健が扮しており、何回か家を訪れてやり取りする場面を、会うたびに少しずつ変えた演技。お祭りの場面では、自分の過去が明らかにされて一人、呆然と上空を向いて佇む姿が印象的だった。

 そして、最後の泣き笑い。彼の持ち味は、温かさ、ぬくもりが伝わる個性だろう。それはテレビのみならず、この舞台でも感じるところだった。

 稽古に入った時、早くから台詞を覚えていたのに共演者はビックリしたそうな。久しぶりの舞台への取り組みが我々が思う以上に強固なのだろう。ダンボールを思い切り蹴飛ばしたり、着ぐるみの中からひょこっと出てきたり、長台詞も多い。相葉に敢闘賞をあげよう。(6・11所見)

             (令和4年6月15日)

林翔太、岡田奈々、そして田村芽実                

 ミュージカル『弥生、三月ー君を愛した30年ー』(東京・池袋・サンシャイン劇場)に林翔太(32)とAKB48・TeamAの岡田奈々(24)が出演していた。「家政婦のミタ」などの脚本家・遊川和彦が書いた同名映画を菅野こうめいが脚本・作詞・演出した初のミュージカル化である。初演初日の4月21日に見た。

 林が演じた山田太郎、その親友・渡辺サクラが岡田、そして同じく学友の結城弥生が田村芽実(23)。高校時代の1986年から物語は始まり、2011年の大震災を経て、2021年までの30年間を描いている。青春ド真ん中から50歳に近い壮年時代だ。

 青春とは青い春。楽しく、しょっぱい思い出が残り、道に迷っているばかり。進展する各時代は全て3月。林の太郎は学内屈指のサッカー少年。山田の「山」を「サン」、「太郎」の「太」を「タ」に結び付けて「サンタ」を自称している。
  
 田村の弥生は、ヘレン・ケラーの教師アニー・サリバンのような先生が将来の夢。そして岡田のサクラは、岡田がプログラムで話しているが、「想像以上に乙女だし、夢見がちで、ちゃんと等身大の女子高生」。サクラはサンタが大好きなのだ。しかし、難病とされたエイズに冒されて、早世してしまう少女だった。

 高校時代、林は学ラン、田村と岡田がセーラー服。3人ともに違和感がない。10代の青い春そのものの初々しさだった。心掛け、役作りに懸命だったのだろう。

 周囲からイジメられるサクラを庇い、移らない、と言ってキスする弥生とサクラ。大人になってベッドインする弥生と太郎。女性同士の友情・愛情、かつて親友だった男女の不倫、夢の挫折、教師と父兄との対立など盛りだくさんの主題と場面。

 田村の素直な歌、踊り、演技に好感を持った。一方の林は自分の役柄をやはりプログラムで「クズだなぁと思いました」と語っているが、道に迷っているばかりの太郎と真正面から取り組んでいた。

           (令和4年5月3日)

佐藤アツヒロと五関晃一の絆                

 元「光GENJI」の佐藤アツヒロ、「A、B、C-Z」のメンバー五関晃一が共演した『行先不明』(東京・池袋・サンシャイン劇場)を3月20日に見た。ジャニーズの先輩後輩。これに馬渕英里何、宝塚OGの真琴つばさらが参加していた。

 小さな旅行代理店の社員・佐々雅晴が佐藤、同じく後輩社員の三國海斗が五関。社員が積み立てていた虎の子の社内預金が口座から消えてしまった。まさに行先不明。その行方、理由を懸命に調べていくコメディだが、佐藤は周囲からも本人も「運の悪い男」とされ、一方の五関は「何かを持っている男」で、対照的な役どころだ。しかしながら、じっくり見ていくと2人自体は実によく似ていた。

 通底するのが、笑い声、背丈、ナイーブな雰囲気、発声の調子、そして髪形。舞台経験が豊富な佐藤、主演はあるものの少ない五関。それでも先輩を信頼している後輩、指示を出しながら気を配っている先輩といった絆を感じさせていた。
  
 五関の舞台は確か初めて見たのだが、背広にネクタイというサラリーマンの定型が実にピッタリと嵌まっていたのが印象的だった。プログラムの中で「大切なものは?」という質問に「アイドルですから、ファンの皆様ですね!(中略)あ!答えに家族と友達を入れてもアイドルっぽいですね!」などと答えていたが、舞台姿はアイドルというより、ごく普通の好青年ぶりだった。

 佐藤も五関も強烈な個性を発揮させる芝居を押さえ気味に、マイルドな印象の演技。今後は、苦みやダークな味を加えた役柄にも挑んで欲しい。

           (令和4年3月24日)

唯一無二の丸山隆平に!                

 関ジャニ∞の丸山隆平が主演した『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を2月11日に見た。EXシアター六本木の舞台。客席の熱く燃えていたことと言ったらなかった。ジイさんには付いて行くのがやっと−。

 作・演出のジョン・キャメロン・ミッチェルはオフ・ブロードウェイで自ら演じている作品だからか、若い主役に思い切った、躍動的でエロティックで挑発的な演技を求めたようだ。

 丸山が演じたのはドラッグクイーンのヘドウィグ。母一人の手で東ドイツで育ち、アメリカに憧れた青年。母が紹介した医師によってペニスを切り落として性転換した。両肩、両足を剥き出しにした超派手なパンクな衣装。髪の毛ときたら、金髪の異形なカツラを5回、被り代えた。どうです、この設定。ジャニーズのタレントがこんな女装をした姿で暴れまくるのは初めてではないか。「これでいいのか、ジャニーさん」「いいんです」。呆然と見ながら、そんな独り言を心の中で呟いてしまった。
  
 差別や偏見の中で生きてきたヘドウィグは暴力的な汚いコトバを吐きまくる。フェラを仕事にして、自分の体を痛めて生き延びている。その過去を一人語りで開演から長々と演じた。

 黒柳徹子の玉ねぎ頭のような形の金髪で登場(本人も、すごいでしょ!という)、目元をブルーの色で染め、赤い口紅。まるで化け物か(ごめんなさい)と錯覚するばかり。足蹴を喰わらせるアクション、歌は全編、英語。手を、足を突き上げ、ロックかハードロックか、グラムロックか。

 共演のイツハク役が、さとうほなみ。この子がいいんですよ。独特の存在感。恋人同士、夫婦といった関係だが、ヘドウィグの台詞を知らぬふりで聞いていたり、鬘を変えるのを手伝ったり、やはり叫ぶのような高音で歌ったり、大忙し。最後は美しいドレス姿で出てきた時の鮮やかさはお見事。

 丸山もラストは鬘も衣装も何も剥ぎ捨ててパンツ一枚、スッピンで歌った。

 ところで、女装した彼を見ていると、こんな本物の女性ロック歌手が欲しくなった。マドンナ、シンディ・ローパーのような。凄まじいパワーのある若い女性歌手が。唯一無二のデヴィッド・ボウイと出てくるが、久しぶりにパワー全開の舞台。約2時間、出ずっぱりでワンマンショーだった公演。唯一無二の丸山隆平になれ!

         (令和4年2月21日)

世代交代が進むジャニーズ軍団                

 帝劇での正月公演『JOHNNYS'IsLAND』は副題が「THE NEW WORLD」。演出が滝沢秀明、エターナルプロデューサーがジャニー喜多川さん。主に6グループ、総勢68人による大エンターテイメントだった。(7日所見)。

 開幕してから約15分間のエピローグが凄いスピード感。ショーは一気に疾走した。

 「時間よ止まれ」のコーナーでソロダンス、クラシックダンスを演じた若手の軸がぶれない素晴らしいダンス力はどうだ。さらに、もう一人。モダンダンスのソロダンサー。信じられないような動き、連続する独特の振りの踊りはお見事だった。「一人一人が主役」が今回のテーマだという。全員が主役。まさにそれを表現したのではないか。
  
 そして、最大のテーマが「平和であること」。ジャニーさんの生涯の願いだった。それを舞台で出した。第2次世界大戦での悲惨な映像が映り出された。また、出演者が特攻隊員の扮装をし、遺書を読み上げた場面。敬礼を一人一人が気持ちを込めて演じた。表現した。場内が静寂となって見入ったが、果して今の“モバイル世代”に伝わるのか。どのように感じてくれたか。観客も「一人一人が主役」である。ジャニーさんの遺志を滝沢演出は受け継いでいた。

 確実に若い世代が伸びているジャニーズ軍団。それにしても、なあ。何と手足の長いこと、驚き! 歌舞伎の若手も同様だが、日本人の顔、体型は欧米人並みになったんだ、なあ。身体能力も驚異的に向上した。エンターテイメントは様変わりすると痛感させる公演であった。

         (令和4年1月12日)

永遠のアイドル、舟木一夫                

 東京・新橋演舞場の令和3年12月公演「舟木一夫特別公演」を見た。昨年9月の公演がコロナ禍で中止となり、この劇場では4年ぶりの復帰だった。

 2部構成の芝居が『壬生義士伝』、歌が「シアターコンサート」。浅田次郎による初めての時代小説が原作の芝居は金子良次の演出、斎藤雅文の脚色。南部藩の足軽だが飢饉によって脱藩し、新選組に入隊する吉村貫一郎。妻子を置いて京に出て、貯めた金を家族へ送るが、壮絶な最期を迎える武士を舟木はどう演じたか。

 幕切れが異色だった。大量出血で舞台上に倒れ込み、血みどろの顔でそのまま動かず、後方に妻と子供が並んで、楽しかった頃の風景が演じられ幕が下りたのだった。主役、主人公のラストシーンとして、いわば“バットエンド”という訳だ。何という終わり方。
  
 ショーが楽しめた。トークが面白かった。舟木はこの12月12日に77歳を迎えた。観劇日は6日。「きのうまで春の布団で寝てました。寒くなりましたね。あと何日かで…」と言ってから指で「77」を作り、年齢を示した。「階段を下りるのに気を付けなければならない年になりました。お互い、いい年をしてよくやりますよ」とか「70過ぎても『高校三年生』を歌ってる」。タキシード、蝶ネクタイまで黒一色の衣装に着替えたり、『絶唱』ではじっくり、しっかりと歌い込んだ。そして『ふるさと』の前、「ここでちょっと遊んでいって下さい」と、促すと客席の高齢女性が一斉に立ち上がった。さらに高く上げた両手を大きく振って、舞台とともに楽しむ風景。

 さて、当方、やっぱり『学園広場』がサイコ〜!「現代演劇」のコーナーで書こうと思ったが、舟木はいつまでも“アイドル”なのである。

         (令和3年12月31日)

とにかく可愛い佐藤勝利                

 Sexy Zoneの佐藤勝利が念願だったストレートプレイに初出演するというので東京芸術劇場での『ブライトン・ビーチ回顧録』を9月27日に見た。

 私が大好きな劇作家ニール・サイモンの自伝的な喜劇だ。喜劇といっても単純ではない。第2次世界大戦が迫る1937年のニューヨーク。大恐慌下、貧困、不安、失業といった状況に翻弄される二つの一家が同居する物語。佐藤は両親と兄がいる少年ユージン。もうすぐ15歳を迎える14歳で、ヤンキースのショートになりたい思春期だ。自分の名前は「世界で2番目にイヤな名前だ」という。これが笑える。ニール・サイモンが尊敬したのが大劇作家のユージン・オニールなのだから。

 同居する別の一家は母の妹とその2人の娘でユージンの従姉妹だ。この一家の父親は他界していた。ユージンは好奇心旺盛。姉娘ノーラを仄かに思っている。共同のトイレの便器に座っている時、突然、入口から入ろうとしたノーラに見られて大声で叫ぶシーンが爆笑もの。男の自慰行為と女のそれはどうやるの?と質問する場面も可笑しい。
  
 勝利君は進行役の語り部、主役にと大忙しだ。2階の部屋に上がったり下がったり。上手下手をとにかく走りまくる。

 ノーラは『人形の家』の主人公の名。兄スタンリーと娘たちの母ブランチは『欲望という名の電車』の主人公の名前。舞台、演劇が大好きらしい勝利君には格好の作品だった。そして「笑い」にこだわると、抱負を言っていたが、演出の小山ゆうながプログラムで書いていた「持ち前のセンスとユーモア」は動き、話し方で発揮したと思う。とにかく可愛い少年を演じた。私は、それ以上に感心した。「母、父、兄が大好き。家族が大好き」。その優しい感情が出た、と思うのである。

         (令和3年9月30日)

Snow Manの“3S”                

 新橋演舞場『滝沢歌舞伎ZERO 2021』は2年ぶりの公演。9人グループのSnow Manが座長となって3回目である。演出が滝沢秀明。1幕がエンターテイメントショー、2幕が芝居の「鼠小僧」。(14日所見)。

 1幕に目を見張った。過去2回と比べて@ショーアップAスピードアップBスケールアップした。この“3S”によって第一級のショーに成長した、と思う。滝沢演出の冴え、そしてメンバーの進化とチームワークの賜物ではないか。

 「春の踊りはヨ〜イヤ、サ〜」。桜吹雪が上空から舞い落ち、いつもの掛け声で開演するのが嬉しい。映像でメンバー紹介されるたび、一人一人に盛大な拍手。最敬礼する岩本照の挨拶、新曲「ワンハート」の中の「ボクらは一人じゃない」の歌声はまさに、皆は一人のために、一人は皆のために、というメッセージである。
  
 次々と場面転換するスピードとテンポの良さ、歌舞伎の殺陣仕立てで九剣士の立ち回り、9人だけでなく出演者がとにかく走りまくり、舞台は回転する。見せ場の腹筋太鼓は和太鼓の響きが場内に轟く。トンボを切り、見得、圻が入る。『楼門五三桐』の石川五右衛門。メンバーが化粧場面で顔を作った筋隈の隈取りも上手になった。

 2幕は「満月に散る鼠小僧」。時代物喜劇だが、ラストが圧巻。大量の本水が落下。その中でのアクション。

 それにしても、若いこいつらときたら…。多彩でユニークな振り付けも進化し、それを難なくこなすではないか。そのスピードはどうだ。1幕は見事なエンターテイメントショーであった。
  
       (令和3年4月16日)

那須雄登の美しい心                

 ジャニーズの6人組グループ・美少年のメンバーである那須雄登が出演したミュージカル『魔女の宅急便』を3月25日に見た。初日とあって、新国立劇場中劇場での周辺には開演前、若い女性が数多くたむろしていた。

 3年ぶりの演目。13歳の少女で魔女の子キキを演じたのは井上音生。那須君は14歳の少年トンボ。空を飛ぶのを夢見ている。舞台姿がオトナに見えたのだが調べてみれば実際はまだ19歳だった。

 1幕目・コリコの町の場からやっと登場した。グーチョキパン屋で働くキキの様子を窓の外から窺えば、何かと興味があるらしい、といった細かい動きの芝居。大きなメガネをかけて、頭の良さそうな少年ぶりだ。
  
 見せ場は3か所あった。

 その1はダンスパーティ場面。女性8人、男性4人に混じって、一人、中央で踊るシーン。運動神経がいいようだ。

 その2はメガネを外した場面。舞台下手に座り込み、ヒコーキを作っている。たった1回、メガネを外すのだが、その顔は確かにイケメンだった。そして幼い表情。
  
 最後が、舞台中央で完成したヒコーキに跨がり、飛んでいるような場面。「飛んでる?」。大声で喜ぶ芝居が生き生きとしていた。 その2はメガネを外した場面。舞台下手に座り込み、ヒコーキを作っている。たった1回、メガネを外すのだが、その顔は確かにイケメンだった。
  
 グループ名である「美少年」とは、当方にはやや気恥ずかしささえ覚える要望が美しいのを指す美少年。しかし、実は「美」とは外見だけではなく、いや、むしろ心の美しさを指す言葉であり、この作品のトンボ少年は美しい心を持っているのである。那須君をあえて表現すれば、少々、14歳という少年を作りすぎていたように思うものの、幼い純真な心を持つ子供には見えた。
  
 ミュージカル作品へは初出演。「僕もジャニーズに入所する前は野球が大好きでずっと習っていました。自分の好きなことに正直なところは似ているかもしれません。似ていないのは、初対面の人に積極的に質問するところです。人見知りの僕には到底できません(笑)」と、プログラムの中で語っていた。トンボ少年と同じ、温かい心根のある青年なのだろう。
  
     (令和3年4月2日)

林翔太のピュア                

 東京宝塚劇場プレイハウスで見た『キオスク』は、主役フランツ・フーベルを演じた林翔太、フランツが働くタバコ店(キオスク)の主人オットーの橋本さとし、そして演出の石丸さち子に票を入れたい。

 ナチスドイツが台頭し、ユダヤ人への迫害など人種差別が横行していたオーストリアが舞台。フランツは17歳で、この年齢はまさに青春真っ只中であるのは洋の東西を問わず今も変わらない。林はプログラムの中で主人公は「17歳とは思えないくらい、ピュアで、心身の両面でもがきながら成長していく」と話している。

 林は第1幕から、その純真な17歳のフランツをしなやかに現して、社会を知り、時代を知り、女を知っていく成長物語にピッタリの初々しさ、若さを浮き彫りにしていた。俳優活動、取り分け舞台出演に軸を置いているらしい。
  
 山路和弘が扮した著名な学者ジークムント・フロイトとの世代を超えた交流、人間関係の中で知識を吸収していく流れの二人の芝居が面白い。特に「生きた証を残す」と教える人生哲学がキーワードだ。

 橋本は、こんなに巧い俳優だったのかと、再確認した。というより驚きを伴う新鮮な印象を受けた。彼はテレビの脇役というかチョイ役からのし上がって実力を付けた叩き上げ俳優だ。堂々たる舞台の主役になっていくだろう。

 石丸の演出にも目を見張った。想像力、また想像力に溢れ、シンプルでもキメ細かい演技の指導をしたのだろう。美術にしてもアイディア豊かで、感心した。コロナ化禍、このような充実した舞台作品を見ることが出来るとは…。
  
     (令和3年2月28日)

レジェンド、東山紀之のゲイ?                

 東山紀之が女装してゲイのダンサーを演じるPARCO劇場『チョコレートドーナッツ』。デビューして35年、今54歳とはとても思えない美脚と若々しい精神力に脱帽する。やはり、今だにアイドルである。

 ダウン症のある少年を救い出し、検察官のポール(谷原章介)と二人でわが子として育てる決意をするのだが、様々な差別や障害と闘うというストーリー。見せ場は東山の女装姿、ダンス、そして歌である。

 ダンサーのルディについて彼はプログラムで「非常に素直で強く、隠しごとが出来ないから、何事にも思い切りぶつかっていく」と、話している。
  
 最初の登場から会場を沸かせた。股の間まで見える前が割れた衣装で踊る。両足を大きく開き、両手を広く一杯に伸ばした姿。鍛えた筋肉質で無駄のない美しい脚。鼻筋が高く、スッと通っている顔立ちだからまさにドラッグクイーンといった印象が強烈。

 ダンスは3回。踊る姿は気持ち良さそうだった。そして、歌。ラストの「アイ・シャル・ビー・リリースト」を思い切り歌い上げた。関係者がコロナに感染し、初日が延期された公演だが、短期公演となった東京では来年にでも早期に再演して欲しい。
  
     (令和2年12月26日)

『ショック』が20周年だ!                

 堂本光一主演のロングランパフォーマンス『ショック2020』が帝劇で上演20周年のアニバーサリーを迎えた。2月7日に観劇したが、「あ、そうなの? 20年、フーン!」で終わらせてはダメだ。これは凄いことなのだ。

 それではどうして20年も続いたのか。それも毎回、超満員。以前はダフ屋も出た。その「なぜ?」の視点で改めて目を凝らしながら私なりに分析していた。

 第1はとにかくテーマである。「ショー・マスト・ゴーオン」。絶対に止まらない、止めてはいけない。その通りのパフォーマンスは第一回から続いているのだ。
  
 見せ場、見せ場の連続。フライング、ジャパネスクでの和太鼓演奏、シェイクスピア劇、耳障りのいい主題歌。1部が「光」なら2部は「影」。光一の死と再生、志・絆の継続。その中に夢は叶う、自分に自信を持て、一人では生きていけないという大きな三大命題が込められている。それに必要なのが平和な国であること。つまり、ジャニー喜多川さんの魂がギッシリ詰め込まれているのである。

 そして、最後は、エンターテイナー堂本光一が走り続けてきた情熱と体力と才能。1幕の最大の見せ場である幕切れの階段落ちを見るがいい。巨大なセットの21段を転げ落ちる。血の噴水を立てながら死のダイビングだ。堂本はこれまでと少しも変わらない見事な横転。『ショック』は持続する志を持った人々のワンチームでアニバーサリーを迎えたと思うのである。
  
     (令和2年2月18日)

北山宏光に新人敢闘賞                

 北山宏光に“新人敢闘賞”を進呈しよう。10月11日〜11月2日、東京グローブ座で上演された『THE NETHER』での演技である。

 彼の役モリスは近未来の世界でネザーというインターネットの仮想空間で行われている犯罪を取り締まる調査団の捜査官。北山はプログラムの中でこう語っていた。

 「僕は、本能的に『これ以上(稽古を)やっても頭に入らないや』となったときは、情報を遮断するんですよ。そして頭に入った分についてまず考えるというか、後は最終的に寝なければいいじゃん」。加えてモリスという人物についてピュアな人で頑固に思えて柔軟性がある。一方でどこか未発達なところがある」とー。
  
 北山は幕開き直後、上手から雨傘を開いて激しい雷雨の中に立って出た。濃紺のスーツとチョッキ、ネクタイに白いYシャツ。ごく普通の公務員のようだが、ダンディですっきりとスマートな人物像になっていた。

 性行為を提供しているという疑惑のあるシムズ(平田満)、その顧客ドイル(中村梅雀)を交互に尋問し、追い詰めていく。追及、反論、また論証、反撃の応酬。シムズが「お前は現実でセックスをしたことなどあるのか」と言われた時だ。「黙れ!」。その一声の強烈なこと、怒りの強さは怒髪天を突くような凄味だった。
  
 つかこうへいに鍛え抜かれた平田、劇団前進座で伝統芸を学び取った梅雀。この手練の舞台俳優と対峙し、ぶつかり合いは一歩も引かない演技を続けた。二人の役柄と同時にベテラン俳優自体と火花を散らし、後半に向かって太てぶてしさが増していったのは偉い。

 同じプログラムの中で舞台を観るのが好きなことを明かしたが、舞台に立つのも好きなのだろう。劇場で芝居を上演する文化、ショービジネスで自分を、表現を発信できるのが嬉しいとも。翻訳劇で主演。もっと台詞の幅を加え、味が増していく可能性を感じさせる舞台だった。

     (令和元年年10月28日)

『少年たち』は何を求めたか?                

 日生劇場『少年たち・Tobe!』はSixTONESとSnowManがこのシリーズを率いて5年目の公演。集大成だという。

 これまでと構成・内容が一新された。刑務所に収監された少年たちの2グループが激しく対立してバトルを繰り返した物語とは違う。前半、いきなり脱獄を実行し、自由な生活、夢を求めて娑婆に出たのは13人。ジェシーと岩本だけが残ることを選択。そして全員が50年後に再会することを誓う。
  
 副題の「Tobe」はあるがまま、そこにある、という意味を指しているらしい。後半はその50年後。メンバー6人のSixTONESは真っ赤な繋ぎの囚人服、9人のSnowManは青色。赤の囚人ナンバー33が京本大我、11がジェシー、青の13が岩本照。それぞれが個性的なダンスを展開した。

コメディというかお笑いの要素をいつも加えていて、今回は例えばなぞなぞ。
  
『花を咲かすのがヘタな鳥は何だ?』。
 答えは「カラス」。枯らす、という訳。この他、手品やお決まりの桶を使った風呂場のシーンも出た。

 50年後の後半は「老人たち」。大半が杖を突いていたり、腰が曲がったりと老け役を演じるのが観客に大受け。それはともかく、SnowManのラウールが気になった。「滝沢歌舞伎ZERO」でメンバー入りした舞台でも目立ったが、今回もダンスが圧倒的に目立つ。苛立ち、もどかしさを表現するダンスに少年の心の叫びの強さが浮き出た。しかし他のメンバーとはレベルが上。ソロではなく一緒に踊る時、あまりに自由に踊り抜いているような違和感さえ抱いた。でも、凄いダンス力だ。

 『生きること、その大切さ』がメッセージ。なんとなく生きている若者たちへの警鐘だろう。それにしても50年後の老人なら恐らく65歳か。衣装も演技も皆、老いぼれ過ぎてはいないかねえ。

     (平成31年9月17日)

稲垣吾郎は俳優がステキ                

 稲垣吾郎が俳優4人だけで演じる『LIFE LIFE LIFE』(渋谷シアターコクーン。4月30日まで)は、舞台俳優としての彼を占う意味で見た(4月9日)ところ、着実に成長していたのを実感したし、ストレートプレイが合っているのも再認識した。

 「人生の3つのヴァージョン」という副題の通り、1時間30分のこの芝居は3幕に分けられている。各幕ともほぼ物語は同じ。しかし、微妙にシチエーションが違う。出演者は天体物理学者アンリが稲垣、キャリアウーマンの妻ソニアがともさかりえ。二人には6歳の息子がいる。
  
 アンリの上司ユベールが段田安則、その妻イネスが大竹しのぶ。幕が進むにつれ演技を変えていくのを求めたケラリーノ・サンドロウイッチの演出、舞台巧者の共演者の中で長台詞をしゃべり続けるという難解な役に吾郎ちゃんは挑んだ訳である。

彼はプログラムの中でこう語っていた。

 「僕は考えに考えたうえで、最後は直感で決めます。自分で選んだことだから、それは後悔しません」

 「まだ見たことがない作品と出会っていきたい」

 アイドルの彼は14歳の時には歌手ではなく俳優を目指し、またそれは現在も自分は俳優でありたい、と自己分析しているらしい。歌手ではなく、俳優。つまり、演じる人間だということだ。私は彼の舞台を何回か見てきたが、グループの中で舞台が合っている人だと以前から書いてきた。これまでの出演作品とは明らかに違った舞台であり、それを自分の直感を信じて出演を決めたのだろう。

 1幕で地下からの階段を早足で駆け上がって床に着く直前、ちょっと蹴躓いた最初の登場。この仕種に、立ち見が出るほど超満員、若い女性観客から笑いが起きた。それは演技か、ミステイクか! 吾郎ちゃんはちょっぴり笑ったが、どちらでも良い。ハプニングの方が面白いのだ。

 その1幕では泣き止まない息子にリンゴを与えるかどうかといった夫婦の意識に違いをぶつけ合う。激しいバトルだ。彼は部屋を動き回り、階段を下りたり上がったり。やや手の仕種がぎこちないのが不思議だった。2幕では極、リアルな芝居、3幕はすっかりと演技派のように落ち着いた芝居になった。

俳優稲垣吾郎。そろそろチェホフ劇へ挑戦する時期かもしれない。

     (平成31年4月16日)

増田貴久のロミオ                

 「NEWS」の増田貴久が主演の東京グローブ座『Only You』で、増田をじっくり観察(観劇)した。

 物語はいたってシンプル。大学のミュージカル研究会の学生が『ロミオとジュリエット』を上演して観客激減の研究会を再生するというものだ。彼が演じるのが門田。「もんた」と読む。劇中劇の役がロミオ。モンタギュー家のロミオだから「もんた」とはいかにも安直過ぎないかねえ−と思ったが、まあ、いいか。
  
 作品をミュージカル仕立てにして、使用する曲はジャニーズ楽曲。従って門田は何曲も歌いまくる。1曲目がフォーリーブスの「ブルドッグ」。さらにSMAPの「Top Of The World」などだが、そんな中でも近藤真彦の「愚か者」が一番気に入った。仮死状態のジュリエットを抱きながらのソロ。役柄のロミオ、門田、そして増田本人の感情が三位一体となって若い生命を散らしてしまう愚かな若者の行為、大人の世界の対立が続く愚かな暴力への反抗がうかがえた。

 感心したのがプログラムの中で語っていた考えだ。

 「演出を形にするために運べる演技の幅が1から10まであるとしたら、今は3から7くらいまで絞った状態。決めすぎずに幅を持たせて稽古で試すことで、生まれてくるものもかわりますから」

 なかなか言える中身ではない。舞台経験が豊富とは言えないだろう若者の演技者とは思えず、ベテランのような話だ。

 楽曲を無難にこなした歌唱力、群舞の中で乱れなかったダンス力、そして自然で素直な演技力。この順番で三拍子揃った童顔の増田は合格だ。

 先輩のタレント陣と並び、いずれ越えるエンターテイナーになれるか。「ショック」の堂本光一を追いかけろ!一本立ちへ、有力な若手の一人だろう。

     (平成30年7月28日)

橋本良亮に将来性 NEW!               

 ACTシアターでの村上龍原作の舞台化『コインロッカー・ベイビーズ』は2016年以来の再演。ロッカーに捨てられた赤ん坊が奇跡的に2人だけ横浜と新宿で生き残り、双子の兄弟として育てられる。ハシとキク。初演では河合郁人がキク、橋本良亮がハシを演じたが、今回は2人が交代でその役に挑戦。公演前半を河合がハシ、橋本がキク。その前半を見た。

 親のない子はどこ見て分かる−。ましてや幼児期に捨てられ、しかもコインロッカーの中に押し込められ、里子として育った男の子のどこ見て分かる?
  
 キクの橋本が印象深い。上半身裸になった胸の筋肉の盛り上がり。よくぞ立派に成長したものだ、と思わせる体格を披露した。現代的なハンサム(イケメンと書きたくないジジイですから)な顔立ち、長身。ところがその「身」に対して「心」は荒れている。いかにも不良な青年になっていた。それは台詞回しというより、全身から発する熱い体温のような、ただ、とんがっているのではなく、気が弱いのに暴力的な動作で感じられたのだ。親のない子はこうなのか。

 和製ジェームス・ディーンを歩めは褒め過ぎか。俳優としての将来性に期待しよう。

     (平成30年7月28日)

八乙女光と高木雄也                

 「Hey!Say!JUMP」の八乙女光が4年ぶりの舞台出演、高木雄也がストレートプレイ初出演を果たした東京・グローブ座『薔薇と白鳥』は、G2が作・演出するのだから見逃す手はないと覚悟を決めて出掛けた。劇場が新大久保で、駅前から劇場へ向かう歩道は狭いし、異臭が鼻に付き、外国人が天下を取っているような町になって以来、出来るだけ避けていたのである。

 当初、翻訳劇かと思い込んでいた。しかし再確認すればG2の新作である。1590年のロンドンを舞台にクリストファー・マーロウとウィリアム・シェイクスピアが出会い、2人の意外な過去と対立、隠された名作誕生の秘密が絡んだ物語。
  
 タイトルの薔薇は八乙女が演じたマーロウ、白鳥は高木によるウイルことシェイクスピア。対照的な存在を暗示している。

 G2はプログラムで稽古での八乙女について「真面目で理論派。だからこそ時間がかかることもあるけど、必ずやってくるタイプ」、高木は「最初、本当にゼロだったんですよ。今は白いキャンバスに着実に絵が描かれていて、見ているこちらも楽しくなる。光と逆で瞬発力の人です」と語っていた。

 禁句の「〜にしては」をあえて使うと、八乙女はやはり舞台経験を経て、高木より一日の長があった。長いブランクにしては不自然さは感じなかった。ただし、2幕となって再び創作に向かう苦悩、みすぼらしい生活感が出たのは買う。粒立った台詞回しはさらに欲しいところだ。

 高木はシェイクスピアってこんなに美形でスタイリッシュだったか!と錯覚させる舞台姿。G2の想像の人物像かも知れない。ハゲ頭のオッサンという絵画のイメージは消えてしまった。ロミオかハムレットか。長身の色男の印象だけが残ったが、初舞台にしてはまず、検討した。

 カトリックとプロテスタントの対立や差別による復讐劇の様相もある歴史ミステリー劇。ジャニーズ系なら坂本昌行と誰かとの競演による再演はいかが…と、余計なお世話を考えてしまった。

     (平成30年6月17日)

“ケンタッキー”は虹の架け橋                

 タッキーこと滝沢秀明が主演の新橋演舞場『滝沢歌舞伎2018』(5月13日まで)が再生した。まるで新作のように生まれ変わっていた。

 滝沢の表現によればキーワードは「虹」。出演者の一人一人が強烈な個性を発揮して、それが一つになって光り輝く−。2020年の東京五輪に向けて日本の和の鮮やかさ、華やかさを表現するため1部と2部ともショースタイルに一新、究極の和の世界の現出に走り出した。
  
 2006年に初演されてから13年目。三宅健が相棒になって3年連続の登場。その三宅がダンスで、2014年以来の長谷川純がタップ、そしてタッキーは前面に出たり後方から支えたりの臨機応変。幕開けの「春のおどりはヨ〜イヤサ〜」の群舞、また、幕切れも全員のダンス合戦。スピーディで照明の洪水でパワフルな舞台を展開した。

 しかし、やはり見どころは“ケンタッキー”。二人は剣を交える立ち回り、ダンス合戦、回転しながら打ちまくる腹筋太鼓、化粧を実演した後にタッキーが女形、三宅が立役の舞踊劇、そしてフライング。鼠小僧では本水の大洪水の中、大立ち回りでガッチンコぶつかり合った。合体した“ケンタッキー”は出演者全員を引っ張る虹の架け橋となったのである。

     (平成30年4月17日)

一新された「ショック」、堂本光一                

 まるで脱皮というか、リフレッシュというのか、19年目に突入した堂本光一主演の『ショック』(帝劇)が生まれ変わっていた。

 公演2回目の2月5日に見た。オープニングから「おっ!」とビックリさせる新鮮さ。巨大スクリーンにローマ字で俳優の名前が次々と映る。映画館での上映かと思わせた。
  
 堂本の登場だ。大階段の中央テッペンに立った。装置がカラフルに一新された。照明も変わった。堂本の姿にオーラが濃い。演出が大胆に変わったのが分かるのが、物語が動いたオフブロードウェイ公演の千秋楽だ。打ち上げの場面が装置を変えただけでこうも印象が違うのかと驚かされた。多くの俳優が伸び伸びとしており、十分に芝居をさせていた。

 そして1幕の50分後。堂本の本領発揮である。クネクネと体全体を曲げる振りのダンスや女性ダンサーと絡むエロティックなダンス。センターに立って群衆の中でキレが良い踊りを見せた。

 1幕のクライマックス。長い闘争の場面からの階段落ち。初演から見ているが、危険な演技だというのにゴロゴロ回転しながら落下する迫力は一向に変わらないのだ。

 演出のジャニー喜多川さんによれば東京五輪が開かれる2020年に向けて上演の開幕時間を変更するプランとか。外国人観光客への対策なのだろうが、今年の公演はこれまでとは別作品のように進化していたのは、全ての面で国際競争力を高める意図があったのだと思う。

 3月6日には通算上演1600回。

  カーテンコールで堂本は「俳優の多くが変わりました。場面の変更箇所もいろいろと作りました。これから2か月、走っていきたいと思います」と挨拶した。

 さあ、光一君! 五輪まで突っ走れ!

   (平成30年2月12日)

中丸雄一の好きな物は?                

 東京グローブ座で『中丸君の楽しい時間2』を見た。演劇公演ではないが、中丸雄一君は芸達者な子じゃのう。

 前回公演から9年を経ての続編。自分の楽しいと思うことをコンセプトにしている。感想を書く前に、パンフレットの中に好きな事と物が載っていたので、まずご紹介する。
  
 好きな果物は、季節の果物。昔から中丸家にはバナナとか常に果物が置いてあった影響で、今もほぼ1年中食べているという。

 遊びは卓球、食べ物は焼き肉(特にハラミ、タン、ロース)、飲み物はひれ酒。場所はゲームセンター(ストレス解消のため)、スポーツはサッカー。そして言葉は楽観視と石の上にも三年。

 構成も演出もやって、もちろんたった一人の出演。「中丸君の楽しい時間2、始まるよ〜」でスタートした。喜怒哀楽を演じ分ける、まったく眠れない(と、“ら”抜き)、マジといった表現のまさに現代っ子。イノキやタケシの物まね、スロットマシーンを使ったお題を出して応えるコント集、マイクを使ったお得意のビートボックスなどトークあり歌あり、加えて演技もありの104分、休みなしの一人舞台だった。

 そこで採点してみた。

 構成力は70点。始まって1時間後、ちょっぴり中だるみ、アイデア倒れも見受けられたので。舞台の高低差をもっと活用して欲しかったので演出も70点。演技力は90点。サービス精神は80点。辛口だろうか。

   シリアスなシーンは基本的になく、ただ楽しい時間が流れるように作ったのだから当然とはいえ、やっぱりオジサンとしてはそれでも時事問題を含めた社会性があるコーナーがあれば、観客の女性群に刺激を与えられたのではなかろうか。まあ、蛇足でしたが、一人で何役も担当したパフォーマンスは才能を感じさせてくれた。

   (平成29年11月20日)

北山宏光の素直な演技                

 2年ぶりに舞台に出演した北山宏光の東京グローブ座『あんちゃん』(作・演出・田村孝俊、7月23日まで)は後味が清々しいものだった。

 プログラムの中で感心した点がいくつかあった。作品に取り組む北山の言葉だ。
  
 「作品を自分の中に落とし込む」

 「キャラクターが粒立っていく」

 「役を立体的に見せようとする」

 「言葉の刺さり方」…。

 初のストレートプレイ出演ということだが、以上の表現は舞台人が好んで使うもので、舞台経験が目立って豊富とは思えない若手俳優(当人によれば32歳)にしては驚きもしたし、実に感心した。

   『あんちゃん』は父帰る≠フ物語である。北山が演じた主人公・凌が幼い頃、浮気の末に家族を捨てた父が20年ぶりに帰ってくる。2人の姉がいる凌を父親は「あんちゃん」と呼んでいた。

 台詞に「もう30歳だし」とあるのは、まだアルバイト生活の自分に満足していないのだ。北山は妙に役柄を作らず、ごく自然で素直な演技に好感を持った。黄色い通学帽にランドセルを背負った小学生でも登場したが、少しも違和感がない。

 いちいち煩い姉たち、自分を庇う母親にも反論する。女手一つで育てられ、父親が不在の中の男の子をリアルに演じていた。それを姉たち、母親との会話で実現した。「言葉の刺さり方」を工夫した成果だろう。ストレートプレイの経験をドシドシと積もう。(8月5日〜8日は大阪・森ノ宮ピロティホールで)。

 (平成29年7月18日)

坂本昌行が主役でステップ                

 V6の坂本昌行については『シルバースプーンに映る月』と『戸惑いの惑星』での演技を書いているが、ついにと言うかようやくと言うか、新国立劇場の舞台で主役の座に到達した。ウイリアム・サローヤン・作『君が人生の時』〈7月2日まで〉のジョーがその役だ。両親がアイルランド系の出身。つまり、翻訳劇の主人公である。

 主な舞台はサンフランシスコの波止場の外れにある酒場。ジョーは朝から晩まで毎日、ここで好物のシャンパンを飲んでいる。かと言って単なる酔漢ではない。職業は不明。ところが、あり余る金を持っている。金が金を産む仕事をしているようだ。不思議な男だ。
  
 演じるには、やっかいな役柄と言える。坂本は1幕の板付きから登場していた。幕が開いた時から既に出演しているのが板付き。場所は、広いスペースの酒場の窓際に近い上手のテーブル席の椅子に座っている。この最初から長い、とても長い時間、足を組んでシャンパンを飲み、座ったままの演技。計ってみれば、何と53分後に席を立ち、女のいるテーブルに移った。

 弟分のトムに買わせに行かせた10ドルの馬券が当たり、80ドルに増えた。さらに買わせた大量のおもちゃで遊び、そのおもちゃを売春婦キティにあげてしまう。鋭い勘の持ち主、優しい心を持つ男だと分かる。坂本はさりげなく演じていくのである。ジョーは片足が悪い。足を引きずって歩く。台詞だけの演技が延々と続くのである。歌を大声で歌う場面があるが、持ち味の身体能力の高さ、あるいは身振り手振りの芝居を生かすのでもない。いわば、制約が多い1幕の役柄だった。

 2幕では横暴な男を銃で撃ち殺そうとする場面がある。しかし、弾が込められていないため殺人は失敗する。その時の怒りの演技、床にへたり込む芝居でようやく表現力を見せたのだった。「孤独は人間にとって必要だ」という台詞の語り口も印象に残る。

 台詞術と存在感だけで演じ抜いたようなストレートプレイ。坂本が舞台人として階段を一つ登ったのだった。
         
 (平成29年6月21日)

ブスと美女のショコタン2態                

 昨年5月にミュージカル『ブラック・メリー・ポピンズ』で初舞台を踏んだショコタンこと中川翔子に「合格!」と太鼓判を押したが、あれ以来に見た“妄想歌謡劇”というシアターコクーンでの『上を下へのジレッタ』はどうか。与えられた役が奇妙だから半信半疑で渋谷へ向かったのだった。

 アンナという娘で前回は全10曲を歌ったが、今回も10曲を越える曲をこなしながら、歌って踊って演技をする難役と言えた。
  
 演じたのはスター歌手を目指してはいても失業中でいつも空腹の越後君子。この娘は食事をとると不細工な、つまりブスになるため覆面歌手の晴海なぎさにさせられ、空腹に戻ると新たな芸名・小百合チエという絶世の美女になるー。

 レギュラー出演中の「ウチくる!?」で、美味を口にしたとたん、宇宙人のような奇声とコトバの表現で“食レポ”をしているショコタン。稽古に入ってから「お腹が空いた」という台詞を何度も言うため本当にお腹が空いてしまって食事をしたので2`も太ってしまったーとプログラムに書いていた。

 美女になって歌い、早替りでブスになっては歌い、ドレスアップした衣装はシンデレラのようで、つかこうへい流の表現を借りれば「ブスに生きる権利はない」というような不細工な顔とデブの姿で笑わせた。とにかく歌は上手い。悪戦苦闘していた主役・門前市郎を演じた横山裕と比べて、伸び伸びと役に入っていた。

 目標の「楽しく歌い踊りたい」の通り、初舞台より余裕を見せていたショコタン。歌うコメディエンヌへの道へ、また一段駆け上がった。
         
 (平成29年5月17日)

松岡昌宏に花束を!                

 ぶっ飛んだぜ、松岡昌宏。やるじゃねえか。体中にトゲを生やして誰も近づけないハリネズミのような男ダニー。プログラムで松岡自身が表現した「野良犬」のような男を演じた。乱暴な口をきくダニーを真似た言い回しをまず最初に書いてみたんだぜ!

 紀伊国屋ホールで見た『ダニーと紺碧の海』は松岡のダニーと土井ケイトのロバータによる二人芝居。1時間40分、休みなしの対話劇、というより言葉、会話、怒鳴り合い、けなし合い、そして愛を求めあう台詞ー。とにかく、よくまあ、しゃべり尽くす男女なんだろうという舞台。
  
 上手通路から舞台へ上がってバーでビールを飲み始め、大股開きや足を投げ出し、既にかなり酔った演技の松岡。ゲロを吐く場面、うつろな目付き。1場では笑いが1回だけ、ロバータの家のベッドから始まる2場では強引に唇を奪われてキスされ、3場では「俺はお前を許す」という台詞がシリアスだった。

 舞台出演は4年ぶりという。ドラマなど映像でのこれまでの役柄の印象、素顔を見た目から考えれば、ダニーはまさに適役だろう。しかし、紀伊国屋ホールと言えば若手劇団の登竜門としてステップアップするために目標にする中劇場だ。現代劇、新劇を好む観客に親しまれてきたが、松岡はあえて演技力を試される中劇場への出演、さらに書けば二人芝居の制約や本格的な翻訳劇に挑んだ勇気に驚いた。

 若手演出家の注目株、藤田俊太郎と組んで台詞の背景や意味、感情の変化の切り替えはタレント、歌手という存在ではなくまさに舞台俳優松岡昌宏であった。

 短い言葉で呟くスマホ・コミュニケーションへの挑戦と言える会話劇。松岡に青いバラの花束をあげよう。3年に1回の舞台と言わずに海老蔵と競って、ドシドシやろうぜ、松岡君!
      
 (平成29年5月17日)

上田竜也に新たな挑戦を!                

 KAT-TUNのメンバー上田竜也が座長として初めてコメディに挑戦した東京グローブ座『新世界ロマンスオーケストラ』の感想を正直に書けば物足りなかった。その最大の理由は上田の演技ではなく、脚本を主体として作品自体にあったと思う。

 バンドのボーカル、拓翔が上田の役。6股をかけるほど女の子にもてるが、メジャーにのし上がるための新曲に悩んでいる。絶対に別れないと迫る恋人の玲奈に突然、別れ話をするのだ。6股の「6」という数字、さらに次々と女の子と付き合う背景が最後に明かされるが、上田に求められるのは抜群の身体能力を使った演技、出ずっぱりによる膨大な台詞量の話術、そして喜劇のセンス。見ていて気の毒になる位の体力勝負でもあった。
  
 脚本・演出の根本宗子は初めて男性主演の作品だという。プログラムでは上田について「真面目でストイックで賢いイメージ」を持っていたとか。ここに物足りなさを感じた理由があった。交際する女性(女優)には女の子の心理をうまく乗せた台詞だが、主人公の拓翔は受け身の立場と台詞に偏っていた。

 乱暴で下品な表現の長台詞が多く、それも大声、怒鳴り声の演技になっていた。これも演出なのだろうが…。

 プログラムで「家へ帰ると食事のときも風呂に入るときも台本を読み、起床したらまた台本を読んで」と書き、悪戦苦闘した様子が目に浮かぶ。

 二人だけや数人とのダンスシーンがあれば、歌ありラブシーンあり、そして、スピード感豊かな動きの芝居。身体能力の高さは証明されたが、どうせならもっとワルのキャラクターで見せたかった。彼の個性を見極めた作品を与えたいものだ。
         
 (平成29年5月17日)

三宅健はブス、タッキーはきれい                

 12年目に突入した新橋演舞場の『滝沢歌舞伎2017』。4月6日の初日の翌日、7日に観劇したが、考えてみれば「歌舞伎」の前に個人名を付記した「歌舞伎公演」など実に珍しい。主演・滝沢秀明の人気、魅力があってこその長く続く舞台なのは自明の理だ。

 今年のゲスト、V6の三宅健が2年連続の出演。愉快だったのが二人が生化粧で女形に変身していく場面だった。
  
 化粧をしながらの三宅。「新聞を見て、昨日の自分はおブスだなあと。きょうはちょいブス。昨日も睫毛を描くのを忘れたんだよね。滝沢はきれいだ」。

 それに対して滝沢。「そんなことなんか、知ってるよ」。大喜びの客席になった。

 幕開け、いきなり白燕尾服のタッキーは舞台中央からフライング(宙乗り)。上手の2階席からも飛んだりと1幕はフライング3回。二人が打ち鳴らす和太鼓の演奏が圧巻。大きな太鼓の上でタップを踏む三宅、ドラムを叩き尽くすタッキー。新しい和の世界を目指して、二人のコラボレーションを全面に出した構成。コラボというよりバトルといった舞台になった。

 女形になった二人は「道成寺」の白拍子花子で踊り、衣装の引き抜きも。2幕の「鼠小僧」では大量の本水を使った立ち回り。フィナーレでは二人同時のフライングを披露。腕を上げた三宅を得てタッキーのパフォーマンスも一段と進化したのだった。
     
 5月4日には通算上演回数が600回になるという。『滝沢歌舞伎』は健在だ。
    

 (平成29年4月11日)

堂本光一と「SHOCK」の凄さ                   

 ジャニー喜多川の作・構成・演出『Endless SHOCK』を見た2月6日は通算1431回目、千秋楽の3月31日には1500回になるという。走り続けてきた大記録。とてつもない金字塔だろう。

 主演・堂本光一。走り続けてきたこのエンターテイナーは称賛される。オフ・ブロードウエーで上演してきた作品の千秋楽の場面。屋上に立ったコーイチが歌う「きっと夢はかなう」は何回聞いても美しいメロディが魅力的だ。走り続けてきた意味を自問自答し、夢はずっと続く−と信じる。この主題が作品そのものであり、堂本のものである。
  
 出演者を大幅に代えた今回、美術がこれまで以上にカラフルになり、共演者の衣装も白や黒の単色が増えた。堂本が黒づくめの衣装。帽子をかぶり、長いダンスシーンは圧巻。一向に衰えを見せない証である。長い殺陣からいつもの階段落ちになるが、その迫力は不変だ。

 芝居の場面を除くと、ダンス、ショーの場面が一段とスピードアップ、早いテンポになったと思えた。群舞の振りも大きく変更され、より集団性が強くなったと思う。フライングは1幕、2幕とも3回ずつ。走り続け、矢尽き、刀折れて、桜の元にて我死なん。燃え尽きて天国での自由な世界へ行く堂本のラストシーンは何度見ても感動を呼んだ。
 
 (平成29年2月12日)

トニセンを見よう!                   

 坂本昌行、長野博、井ノ原快彦による“トニセン”三人が「これまで見たことのないもの、やってないものをやりたい」と挑戦したのが東京グローブ座のG2・作・演出『戸惑いの惑星』(2月14日まで。この後、福岡、大阪)だ。面白い。触発された。トニセンのファンならずともぜひ見てほしい。

 物語は複雑なので省略するが、過去、未来、そして現在という時空を超えて旅をする不思議な舞台を作り出した。G2の傑作だろう。
  
 三宅を演じた坂本は、手紙の代筆屋・長谷川役の井ノ原に果たし状を依頼するヤクザの場面が実に巧い。さらに、母親という女装の役もやった。

 由利を演じた長野は代筆屋にやってきた離婚願望の主婦も演じた。文面にいちいち文句やいちゃもんを付けて、結局、亭主に口頭で言うことにするやっかいな女。女装しての芝居が面白い。

 井ノ原の役は長谷川。白髪の老教授という老け役にも変身して、ヨチヨチ歩く場面などで笑わせ、見せ場を作った。現在、NHK朝の情報番組「あさイチ」にレギュラー出演しているが、プログラムでゲストを迎える前の準備を話しているのに感心した。

 G2はこの舞台の中で、宇宙には果てがあるのかを考えさせる。138億年前のビックバンに想像を働かせ、宇宙には果てがあること、この途方もない世界観を説くと同時に母親、妹、友人、先輩、恩師という身近な人間関係を描き、未来、過去、今に登場人物を運ぶのである。
     
 遠視眼を持つことの大切さ、近視眼でも見ることの再確認−。演技で言えば坂本が格段に上達した。トニセンの舞台を見て、若い女性が哲学を持ち、宇宙観を持って欲しいと思うのである。
    

 (平成29年2月11日)

女優小泉今日子の声                   

 小泉今日子が謎の女マリーを演じた『シブヤから遠く離れて』。作・演出が岩松了、劇場はシアターコクーン。2004年に初演されて12年ぶりの再演。初演の時、キョンキョン38歳、今回は50歳になっていた。

 マリーは廃墟となった屋敷の一部屋に住みついている。屋敷には色々な人が出入りするが、マリーは部屋に男を引き込む。娼婦のようだ。それでも、金のためだけではないらしい。身の置場がないのか。何物から逃れて身を隠しているようだ。アンニュイのようなムードを漂わせる小泉今日子のマリー。“謎の女”に違いない。
  
 舞台女優としてのキョンキョンは何より、その声が独特だ。どう表現すればよいのか。甘ったるく、透き通っていて、蜂が吸い寄せられるような花の蜜を含んでいる。

 下着姿になって庭を歩く芝居、青年ナオヤとの交流、彼女を愛するアオヤギとの距離感、田舎から出てきたアオヤギの父への嫌悪感。人生を捨ててしまった諦念も浮かぶ。

 50歳になったキョンキョンにこんな役がピタリと似合う。

 (平成28年12月29日)

舟木一夫は今もアイドル       

一日の生活イメージ 

 新橋演舞場で12月2日開幕した「舟木一夫特別公演」を6日にじっくり観劇。芝居「華の天保六花撰・どうせ散るなら」と「シアターコンサート」で見せた舟木の魅力の神髄に目を凝らしたのだった。

 芝居で彼の役は剣客・金子市之丞。小悪党六人衆の一人で、まず、舟木の演技。着流し、黒羽織に袴など5回着る和服姿が実に板に付いていた。それは袖と裾のさばきが巧いからだ。
  
 次は“演技する目”である。その目付き、特に流し目になると台詞とのバランス、逆にアンバランスを使い分けた。間合いのいい台詞術では台詞をあえて切ってしゃべり、メリハリを付けるやり方。仕種では腕組みをしたり、右手を腰に話したり、懐手にして花道を去っていく。
  
 そして化粧。白粉を多めにした顔化粧だから、その色白の顔が若く見える。
  
 以上3点。長谷川一夫、大川橋蔵からの直伝か、大先輩を注意深く観察して身に付けたのだと思う。大詰の大立ち回りでは「どうせ散るなら、ここらで潮だ」と派手に散った。
  
 「シアターコンサート」では昼公演での全16曲。この日は25人の女性ファンからプレゼントを一人一人握手しながら、歌いながら受け取った。トークでは「今年はピピッと寒くなりませんね」「大立ち回りでは立っているのがやっとでした」「2、3日前に風邪を引いた。咳が止まらない今年の風邪。気を付けてくださいね」「先輩歌手は整然と歌っていましたが、ボクたちの世代は坂本九さんあたりから一緒に楽しもうという風になった」と実に面白く話す。途中、テニスラケットでサインボールを客席に打ち返すサービス。そして当方が大好きな「学園広場」になった。「高校三年生」では手拍子が起きた。「学園広場」は静かに聴きながら上半身を左右に揺らすファンが多かった。いつもの光景だが、芝居といいコンサートといい、舟木のステージは華があり、艶があり、色気がある。12月12日には72歳になると自己紹介した。おっと、当方は12月13日生まれ。昭和30年代に青春時代を送った歌手と観客の一体感。だから、歌手舟木一夫は今もアイドルなのである。
  
 ちなみに公演限定の「舟木ごのみ御膳」がある。八寸は玉子焼き、ローストチキンバジル風味など。御造りは鯛と鮪。煮物は豚の角煮や揚げ豆腐蟹餡かけなど。御飯は梅ちりめん雑魚、香の物、そして吸い物だった。
 
 (平成28年12月7日)

SMAPへ余計なお世話                   

 年内解散を発表したSMAPのメンバー5人の今後を考えた。余計なお世話と言わば言え。それぞれ、俳優として舞台で演じれば面白いと思った作品を並べる。

 稲垣吾郎(42)
  『キャバレー』のMC
  『ブラッド・ブラザース』の双子の兄

 草なぎ剛(42)
  『リチャードV』(シェイクスピア)
  『華岡青洲の妻』の青洲

 香取慎吾(39)
  『ブラッド・ブラザース』の双子の弟
  『決闘!高田馬場』の安兵衛

 木村拓哉(43)
  『鶴八鶴次郎』の鶴次郎

 中居正弘(43)
  『夏の世の夢』のパック
  松竹新喜劇作品

 俳優として舞台に出演した稲垣、草なぎ、香取の演技は何回も見ている。特に稲垣、草なぎの二人は舞台がかなり好きなのだろう、と思った。すでに各メンバーは個人として舞台活動をしてきたのだから、解散後はそれぞれの可能性を広げる役柄を選べばいい。

 中居には喜劇役者としての才能が潜んでいるのではないか。『夏の世の夢』のいたずらな妖精パックはピッタリだ。

 木村には新派劇の名作を考えた。宮沢りえ、あるいは米倉涼子の鶴八で鶴次郎。さて、いかがかな。

 香取には時代劇が似合う。豪快な武士、愛嬌のある侍。ミュージカルも似合う。『ブラッド・ブラザース』で稲垣と半ズボンの双子兄弟とはどうじゃいな。

 草なぎには演技派の役柄がいい。『リチャードV』の極悪人リチャード、『華岡青洲の妻』の気骨の医師。見たいな。

 稲垣には大いに期待している。舞台俳優としてだ。『キャバレー』での燕尾服姿、格好いいに決まっているさ。

 ステージ(S)、ミュージカル(M)、アセンブル(A)、ピープル(P)という訳で新たな出発の「SMAP」。東京グローブ座を本拠に演劇展開を待っているぜ!

 (平成28年8月30日)

ショコタンの初舞台                一日の生活イメージ

 中川翔子が初めて舞台に挑んだミュージカル『ブラック・メリーポピンズ』(世田谷パブリックシアター)で、彼女に合格点を与えようと思う。

 韓国で誕生したこの心理スリラーミュージカルは、舞台を初めて経験する俳優にとっては決して容易な作品ではない。出演者は5人だけ。2014年7月に本邦初演の時、一路真輝、小西遼生、良知真次、上山竜治、そして音月桂。中川は音月に代わって初参加したのだが、血の繋がらない養子の四兄妹の中で一人だけ娘のアンナという役柄。一路を始め舞台経験が豊富な共演陣に混じっての、ソロはないものの全10曲の歌をこなすのは並大抵のことではなかったのではないか。

 アンナが置かれている立場は、後半になって衝撃的な体験が明らかになるが、種明かしはスリラー劇ではタブー。それでも幕開けから注意深く見ていると、謎を持った娘だと分かる。それは演出のおかげと同時に、中川の演技力でもある。

 テレビの「ウチくる?」を見ていると、うるさいだけのおバカなバラエティ族かと思っていたが、これは訂正しよう。歌手でもあるそうだが、共演者に必死に追いついていく姿勢に好感が持てる。

 プログラムの中で子供の頃なりたかった職業について、漫画家とプラネタリウムの掃除をするお姉さんとゲーム会社の受付係と答えていたのが独特。

 辛いことがあった時、何をするかでは、爆買いも爆食いもするし、猫のお腹にも埋もれることもあるとか。

 劇中、子供時分に兄たちとふざけて遊ぶ場面が多く出る。椅子取りゲームで負けん気の少女を演じる芝居など、驚くほど自然で面白い。舞台女優の才能を示したと思う。

 今の自分のキャッチコピーを付けていた。

 「どうした、落ち着け!俺!(笑)」。

 髪の毛をどんどん短くして、飲めないはずのお酒にも嵌まり、次々と今までやらなかったことにもやっているのがその理由らしい。

 初舞台を経て、次々と舞台の依頼が舞い込むだろう。いけ!ショコタン!

 【写真】撮影:難波亮

 (平成28年5月24日)

タッキーの心意気?                  

 11年目の『滝沢歌舞伎・2016』が一新された。新橋演舞場の名物になった公演だ。「春の踊りは、ヨ〜イヤ、サ〜」。このタッキーの初音で始まる第1部はいきなりフライング3連発。舞台中央から、また、客席上手の2階からタッキーが空中を飛ぶと一気に雰囲気が凝縮する。

 さらに空中の立ち回りがあれば和太鼓の演奏。舞台上の早化粧コーナーで変身する中、タッキーと三宅健がマイクを持ちながらの掛け合い。タッキーは三宅に4時間の直談判で出演を依頼したという。

 幕切れはその化粧場面からタッキーは若衆から女形へ、そして鬼女へ、三宅は若衆へ。

 2部に移ると、今回はねずみ小僧。タッキーは黒装束の姿で天井近くから登場し、フライングなどで舞台を走りまくる。この2部は物語になっているので、若い連中が江戸娘とか外国人の役を演じる趣向が笑わせる。

 そして本水をこれでもかと使った大立ち回りでは客席前方のファンがキャーキャーと叫ぶ中、水が飛んでくる。

 伝統芸能を通して日本人の心、日本の四季の素晴らしさを表現し尽くす。一新された『滝沢歌舞伎』。全治3か月の骨折をした足を引きずりながらも痛みを一切見せない三宅。二人が引っ張る公演は「やり抜く」という心意気が溢れていた。

 (平成28年4月20日)

堂本光一のアップとは?                  

 堂本光一が主演の「Endless SHOCK2016」は胸ワクワクで時間を感じさせなかった。

 2月5日に見たのは通算1349回目。超人気のシリーズだが、今回は特に三つのアップ≠痛感したものだ。@レベルアップAスピードアップBパワー(スケール)アップである。

 堂本のレベルアップの第一は演技、特に台詞術。例えばシェイクスピア劇の「リチャード3世」では強く発声できるようになったから、台詞が明確に伝わるし、役の輪郭もはっきりしてきた。

 スピードアップでは振り付け、特に群舞の素晴らしさはどうだ。女性アンサンブルなどは一糸乱れず、複雑で多彩なダンスをキレ良く踊る。そのスピード感が心地良い。大したものだ。堂本はその先頭で踊り続ける。さらに歌いながらだ。

 パワーアップはレベルとスピードがアップしたことによって全体のボリュームが増したのである。

 ダイヤモンドのように光る名台詞がいくつも出てくる。「ショー・マスト・ゴー・オン」「周りが見えなくなったらおしまいよ」「ただ前を向いていればいいのか」「一つキズ付けば一つ表現が増える」「ステージは生物だ。ちゃんと決められたことをやるのがプロだろう」「キズ付くことを恐れて立ち止まってはいけない」。これらの台詞を味わうことで、スケールアップしたことが分かるのだ。

 名物の階段落ち。全20段の上から3段目から転がり落ちる堂本。そして大詰。「光一」は桜の大木の前でついに命を絶たれる。「桜の下で我死なん」だ。オーナーの前田美波里が言う。「いい人生だった!」。若い女性が多い観客にいい人生、燃え尽きる人生を期待しているのだろう。このシリーズが長く続く理由が分かるし、今後も成長していくのだろう。

 (平成28年2月10日)

深田恭子の初舞台                  

 深田恭子は想像を超えていた。安心感が伝わり、ピュアな姿で、何より誠実さがあったからだ。

 初舞台となったミュージカル『100万回生きたねこ』(東京芸術劇場)。「女の子」と「白いねこ」がその役柄。女優の、あるいは歌手の初舞台を見たのは数え切れないが、多くは期待に応え切れないものだ。生の舞台では嘘を付けない。演技力が瞬時に晒されるのだ。演技力でなくともよい。才能であり、魅力のカケラでも示せば上出来といえる。

 深田恭子の場合、例えば冒頭で「女の子なんて」を語るように歌う。登場した瞬間、何者でもない、深田恭子というオリジナルがあった。「女の子なんて大嫌い」「だね」と間(ま)を置いた台詞が力強い。言葉が観客席にちゃんと届いた。これは才能であり、恐らく稽古の賜物だろう。

 生々しいオトナの色気ではないが、清潔感がある舞台姿に色っぽさが出た。そこがピュアに映る。「白いねこ」を演じると、ケレン味なく、自然な感性を感じさせる。演技しているというより、楽しんでいる、遊んでいるといった表現に見えた。これは、易しい事ではなく、むしろ初舞台では難しい演技と言える。想像すれば、舞台の空気感が合っているのだ。そして、無心に役柄と溶け合う。ここに誠実さが見える。

 やるじゃないか、深田恭子!

 (平成27年9月3日)

犬を飼いたい横山裕                  

 関ジャニ∞の横山裕が主演の「ブルームーン」が期待を超える拾い物だった。

 13年ぶりのストレートプレイ、東京グローブ座に初出演、そして役柄が実家である浄土真宗のお寺の住職・向坂ユタカ。そんなハードルを軽々と超えた横山が拾い物だった。

 法事を終えて袈裟(けさ)を脱ぐ冒頭の場面から何と自然な演技なのだろう。軽薄そうで剽軽な父親役の山崎一との親子関係がまた自然そのもの。

 10年来の恋人なのに今だにプロポーズ出来ない気弱な、さらに慎重派の主人公。僧侶という職業に自信が持てない現実との格闘。タイムスリップした場所で奮闘する芝居の間(ま)もいい。ダンサーのトニー河村(上口耕平)と激しくぶつかる怒りの演技。ついに求婚する気恥ずかしさの表情。

 ロマンチックコメディに徹した鈴木裕美の演出にフィットしていた横山は、まさに現代青年。とりたてて演技を見せつけないのに、リアルなのは才能の賜物、稽古で流した汗の証拠。プログラムで犬、特にスタンダードプードルを飼いたいと語っているが、心優しいユタカを自然に演じた横山なら、プードルをきっと可愛がるに違いない。

 (平成27年6月1日)

滝沢歌舞伎は特盛り                  

 こんな言い方を許してもらえるなら、10年目の「滝沢歌舞伎」はそれまでが盛り沢山に詰まったメニューの大盛りなら、区切りの今回は特盛りだろう。

 新橋演舞場の4・5月公演「滝沢歌舞伎10th」は猛スピードで駆け抜ける3時間。タッキーの情熱と行動力、粘りとスタミナは驚異的。「ショック」シリーズの堂本光一と並ぶエンターテイナーだと思える。

 滝沢歌舞伎は「ヨ〜イヤ、サ〜」。この総踊りから幕を開け、これでもかと「和」の世界を見せつける。

 飛び六方があれば和太鼓を打ちまくり、大太鼓の上でタップダンス。はしご乗りもすれば2幕は悲劇の武将・義経。今回も大量の本水を使った大立ち回りによってタッキーたちは浴びた水が全身から滴り落ちた。

 北山宏光が6年ぶりに参加。目玉の一つ、舞台上の早化粧はSnow Manも加わった豪華さ。感動と勇気=B新演出と新場面、また懐かしい場面を入れ込んだ10年目は天井から小判が降り注ぐ大フィナーレだった。

 (平成27年4月24日)

「テニスの王子様」初体験                  

 遅ればせながら人気ミュージカル「テニスの王子様」を初体験。充分に楽しめた一方、まだまだ進化する部分を考える点でも脳を活性化できた。

 2003年に開始した1stシーズン。「青学VS不動峰」の副題がついた3rdシーズンの今回はTOKYODOME CITYHALLでの上演。今後、台湾や香港、大都市を回って5月17日まで続くというロングランだ。

 テニスに打ち込む中学生の物語とは聞いていたが、単なるスポ根ものではなかった。主役のチーム、青春学園中等部(青学)が一方的なヒーローかと思えば、悪役かと想像した対戦相手、不動峰も良い子たちの集団だった。青学の主人公・越前リョーマだけを応援したくなるのではなく、新たなチームとして生まれ変わる不動峰も応援したくなった。どちらも勝て!だ。

 目を見張ったのは出演者全員のテニスプレーが実に巧い。驚くべきことだ。試合の場面にやはり引き込まれる。それはピンスポット照明とラリー音が正確に溶け合い、映像を使った美術が成功したのだろう。。

 越前リョーマを演じた古田一紀は12歳の天才少年になっていた。右でも左でも打てる両刀遣い。あの錦織圭を重ね合わせるような速い動き、角度のある打球の演技には感心した。

 そしていいのはリョーマが無頼風の父親にテニスで向かっていくストーリー。昔、日本の男の子は父親とキャッチボールをするのが遊びであり家庭教育であり愛情のコミュニケーションだった。テニスを通した今の父子の脇筋を加えた物語がニクイ。

 「勝ち残るぞ!」「前へ進もう」「全ては勝利のために!」。目標を持った青少年たち、やるじゃないか。ただし、テニスの演技と同じ位、皆、歌が巧いといいのになあ。

 (平成27年3月2日)

ジャニーズWESTの宝探し                  

 関西発の7人組グループ、ジャニーズWESTが暴れまくる「台風n Dreamer」が9月28日まで東京・日生劇場で上演された。

 4月に「ええじゃないか」でメジャーデビューして初めての主演舞台。重岡大毅が出演しなかったメンバー6人の平均年齢は23歳。たった1人の昭和生まれが中間涼太。当方が定点観測している桐山照史は平成元年生まれで、他のメンバーも平成生まれの若者たちだ。何が言いたいかって?団塊生まれの当方も平成生まれも元気なら年齢などどうでも「ええじゃないか」という独り言。

 秘宝を見つけるため無人島でのサバイバル生活に挑戦する若者の悪戦苦闘の物語。宝探しVS超大型台風という訳だ。

 小山橙太を演じた桐山は持ち味のコメディセンスを生かしながら、これまでより演技力が付いた気がする。相手の台詞や芝居にしっかりと反応していたからだ。

 択桃(たくと)を演じた長身の小瀧望は、裏側でスポンサーと結び付いている役どころ。仲間を裏切り切れない心の揺れを必死に出していた。

 最後のショータイムで「ええじゃないか」を絶叫しながら会場と一体になった公演。日本へ向かう台風の多くは確かにWEST(西)からやってくる。(西)からの若者は恐るべし。まあ、西も東もどうでもええじゃないか。

 公演後、劇場出口で出迎えてくれたジャニー喜多川さんのお元気なこと。元気な若者も年寄りも国の宝だ。

 (平成26年10月21日)

三宅健の仇役                  

 V6の三宅健が出ている「炎立つ」(シアターコクーン・8月31日まで)を見る場合、ある覚悟をするといい。

 これは時代劇です。しかも平安時代末期。奥州藤原家の基礎を作ったキヨヒラ(藤原清衡)が主人公。歌う場面はあるけれど、ミュージカルではありません。しかも、戦闘場面はあるけれど、多人数の闘いにしても一人で、あるいは女優が演じるのが多い。以上だけでも覚悟を決めて見るのがよろしい。

 次ぎに、これは台詞劇です。俳優が発する膨大な台詞によって場面、状況を再現する演劇。つまり、見る人の集中力と想像力によって楽しみ方が全然違ってくる訳。忍耐が必要で、その覚悟をするとよろしい。

 さらに俳優の演技力を堪能する公演です。キヨヒラを演じたのが歌舞伎俳優片岡愛之助、ヨシイエは無名塾出身の新劇から出発した益岡徹、カサラが抜群の歌唱力を誇る新妻聖子、イシマルには井上ひさしさんが「この人は名優である」と言った花王おさむ。そしてユウの三田和代、アラハバキの平幹二朗は言うまでもなく名人級の舞台俳優。

 三宅健はそんな芝居、俳優たちと骨太の時代劇に出ているのです。さらに役柄がイエハラ(家衡)。キヨヒラの異父弟。父親が違う弟として生まれ、藤原家の頭領を力づくで奪い合う猛者といった武将。しかも、良くいえば仇役、悪くいえば悪役。実際は運命の子。母親の愛を強く求めながら、一番を目指しながら、夢を追いながら、無残な死に方をする悲劇の男。難役です。

 悪戦苦闘。これが三宅健の舞台でしょう。イエハラという役柄自体がそれ。時代劇という舞台での演技もそれ。三宅健という俳優の個性をどう生かすかもそれ。ファンはそれぞれ覚悟して見つめるといい。

 そのように見ているとイエハラの人物像が浮かんでくる。ナイーブで、やんちゃで、目立ちたがり屋で、愛されたくて−。イエハラの「炎」はメラメラと立っている姿が分かるでしょう。

 ジャニーズ系の俳優として、悪役、仇役が演じきれる才能。三宅健の方向性がもう一つ見えた!。

 (平成26年8月25日)

浜中文一の個性                  

 関西ジャニーズJrの浜中文一が「ガラスの仮面」(青山劇場・8月31日まで)で桜小路優を演じていた。

 舞台には「音楽劇ザ・オダサク」などに出ていたというが、配役とともに意識して演技を見つめたのは初めてだった。まず、この公演で印象に残った他の俳優から−.

 ヒロイン北島マヤに扮した貫地谷しほり。オーディションの場面で与えられたテーマの「毒」をいくつかのパターンで演じる。彼女の演技力が見事に発揮された。違う設定が明確に分るのが実力の証。

 ライバル姫川真弓を演じたマイコ。巧い。意思の強い令嬢をくっきりと描き出した。これは表彰ものの才能だ。

 プロダクション副社長・速水真澄の小西遼生。とにかく長身の格好いいスタイルが一際目立つ。

 秘書・水城冴子の東風万智子。姿勢がいい立ち姿、また、歩く姿に特長がある。颯爽としていた。ただし、観劇日(18日)は台詞を何度か噛む場面があって残念。

 月影千草の一路真輝。黒づくめの衣装、冷血のような性格描写、オーラを放つ存在感。文句なし。演出のG2は冒頭、「紅天女」に使われるだろう衣装を空中高く飛ばす仕掛けや、回り舞台、上下するステージを多用してスピード感ある舞台を作り上げた。その中で一番若い浜中が際立つような個性を発揮するのは至難の業だ。

 しかし−。先の演技陣に劣らない芝居を見せたのが偉い。マヤへの淡い思い、戸惑い、若者特有の自信喪失…。何より舞台俳優としての素質を持っている。大劇場の大舞台でも台詞はよく通っていたし、長身とは言えない身体を充分に使って、伸び伸びと演じていたのに好感が持てた。再演も期待したい「ガラスの仮面」である。

 (平成26年8月25日)

田口淳之介の癒し方                  

 KAT-TUNの田口淳之介がカーテンコールの舞台スピーチでこう話していた。

 「きょうで12回目ですが、段々と自分に(役が)近いかなと思う時がある。きょうは久しぶりに晴れ間が出たけれど、この後、雨のようですので、皆さん、傘持ってきましたか?」

 この姿を見ていて、演出のG2がプログラムの中で話していたように、田口はまさにフォレストガンプ的。「癒し効果抜群」の個性を持っていると思えた。

 東京グローブ座で上演された「フォレスト・ガンプ」(6月22日まで。同25〜29日・森ノ宮ピロティホール)が爽やかな舞台で、主演の田口の心根の優しさがそのまま伝わる公演であった。

 少年の頃、IQが75で、80以下は学校にも行けないような境遇だが、その少年フォレストは特別な才能の持ち主だった。何も知らなかったアメリカンフットボールでは超速の足の速さを見込まれ、スター選手にまでなる。女の子から教わった縄跳び、フラフープはわずか1回だけで上達してしまう。

 クロマチックハーモニカを吹けば、その心地良い音色で驚かせる。田口はその一つ一つの演技を実に自然にやってのけていた。

 東山紀之とのダブル主演だった「空に落ちた涙」でも高い身体能力を見せていたが、今回の初の単独主演では演技に質を上げていたのが成長の証。タイトルロールの「フォレスト・ガンプ」が嵌まったといえる。

 海老漁の事業が見事に当たり、大金持ちになるフォレスト。今公演のキャッチフレーズが「人生はチョコレートの箱のようなもの。開けてみるまでは分からない」。その通り!(6月9日所見)

 (平成26年6月23日)

八乙女光の悪の華              一日の生活イメージ

 Hey!Say!JUMPの八乙女光がシアターコクーン「殺風景」で父親と息子の二役で強烈な演技を見せた(5月25日まで)。

 隣人一家を殺害する菊池家の二男・稔、そして稔の父親クニオがその二役。昭和38年(1963)の若きクニオは炭鉱夫、平成16年(2004)となった時の父・国男は西岡徳馬が演じ、一家はヤクザになっていた。

 1960年代の当時はまだ元気一杯、パワー全開の時代。一方で平成となった時代背景は、菊池一家が勢力を失い、孤立している。そこで、トラブル、犯罪、殺人という異常で不快感が漂う理不尽な場面が続く。

 両親には隣人を殺せと命じられ、兄は犯罪に手を染めない逃げ腰。稔の八乙女はそんなおぞましい家族の中で、ピストルを持ち、何発も撃つ。父親クニオを演じる八乙女は、黒い短髪、スローモーションで舞台奥から出てくる。穴蔵から生まれたというので「モグラ」と呼ばれる炭鉱夫。酒場で喧嘩はするわ、頭に水をかけられたりと荒っぽい場面の連続だ。

 西岡、母親役のキムラ緑子、荻野目慶子、兄の大倉孝二ら舞台経験豊かな猛者の中で、八乙女は例えば大倉との財布問答でも互角の芝居によって悪の華を咲かせる。「体当たりの演技」とは褒め言葉としては適切ではない表現だが、全身全霊をこの役に打ち込む八乙女がいた。

 【写真】撮影:細野晋司

 (平成26年5月20日)

滝沢秀明の『和』の世界                

 新橋演舞場で上演中の「滝沢歌舞伎2014」はテーマの一つの『和』が一段と際立ったようだ。

 主演の滝沢秀明が演出も担当した公演。近い将来、世界(海外)を意識した意図がはっきりと見えた。

 「ヨイヤ〜サ〜」の掛け声で始まったオープニング「春の踊り」からすでに『和』の世界だ。「滝沢歌舞伎」だから当然ではあろうが、ショービジネスの王道、総踊りから幕を開けるのが嬉しいのだ。

 次ぎにすかさず「口上」。花道スッポンからセリ上がった滝沢は正座していた。白い羽織、袴の姿。清潔感、凛とした姿勢が場内に緊張感を与えた。

 主演したテレビドラマ「鼠、江戸を疾る」を構成した「疾風!鼠小僧]を初めて加えた第1部。思い入れが濃いという「義経」の第2部。さらに、女形へ変身する化粧の場面は益々速度を増し、影絵、和太鼓と淀みがない盛りたくさんの内容は海外に『和』を印象付けるに違いない。

 アドバイザーが市川右近、歌舞伎立ち回り指導が市川猿四郎という、スーパー歌舞伎を知り尽くした沢瀉屋一門。また、「義経」の所作(舞踊)指導が花柳典幸。このスタッフを集めて演出した滝沢の手腕は褒めていい。

 平成18年の「滝沢演舞城」から始まって8年。5月4日には通算上演回数450回となる。東京オリンピックが開催される2020年にも上演されているならば『和』を再認識してもらう絶好の機会になる。

 (平成26年4月22日)

若手のホープ、秋元才加           一日の生活イメージ

 AKB48を卒業した秋元才加がパルコ劇場「国民の映画」に抜擢されて、エルザ・フェーゼンマイヤーを演じている(3月9日まで。以下、大阪・愛知・福岡と続き4月6日千秋楽)。

 三谷幸喜・作・演出「国民の映画」はまぎれのない秀作舞台だ。ナチス政権下、宣伝大臣ヨゼフ・ゲッペルスの別荘に集められた映画関係者がホームパーティの中で踏み絵を迫られる。人間関係が実に面白く、それが秀逸の一つ。

 秋元のエルザは、若い魅力的な身体を武器にゲッペルスに取り入る新進女優。この起用は成功していた。

 女優陣は吉田羊、シルビア・グラブ、新妻聖子という美形で悩ましい肢体を持った人々。2011年の初演の出演者が大半で、今回の再演では秋元が新たに加入したのだが見劣ることなく、むしろ一番若い役柄が目立っていたのが得をしていた。ゲッペルスに自分から体を寄せて座る芝居の下心、夫人のマグダへの嫉妬といった感情の変化もいい。

 「ローマの休日」で舞台女優としての可能性を褒めた事があるが、若手のホープへ向かって欲しい。

 男優陣はゲッペルスの小日向文世、ヒムラーの段田安則、執事フリッツの小林隆、老優ヤニングスの風間杜夫が手練の演技。脚本、演出、俳優陣とも揃って何回でも再演して欲しい名作である。

 【写真撮影】阿部章仁

 (平成26年2月27日)

翼、優馬、朝幸に拍手!             

 日生劇場でのパフォーマンス「PLAYZONE・IN・NISSAY」で今井翼、中山優馬、屋良朝幸の3人に目を凝らした。正直明かせば、他のグループやタレントはチンプンカンプン(申し訳ない!)だからでして−。

 翼君には感心した。何がって? オトナになったなあ−というのが第一の感想。この公演で圧倒的な存在感があった。もっと言えば貫禄、そして座長としての風格さえ見えたものだ。恐らく何か自信のようなものを持ったのだろう。

 優馬君には感心した。何がって? アイドルとしての輝きが見えた−というのがその感想。何たって二枚目。その上、スタイルがステキ、そして芝居心がある。恐らく、何か目標があるのだろう。

 朝幸君には驚いた。何がって? もちろんお分かりでしょう。そのダンス力ですよ。一つ一つの振りが他と違う。踊りのキレの良さ、スピード。とにかく、しなやかで、大きく踊っても他の人と同じにピタリと合う。プログラムの中で「メッセージ性を持たせる」と書いてあったが、彼の踊りにはある意思を感じる。大したパフォーマーだ。

 以上、三人に拍手!

 追伸。

 今井翼君は今年、アッと驚く公演があるらしい。近い内、分かるでしょう。

 (平成26年1月15日)

中島健人君の汗が命中した             

 帝国劇場「ジャニーズワールド2020」(来年1月27日まで)で“貴重な体験”をした。てんこ盛りの場面の中でシェイクスピア作品を集めたパートだった。天井から吊り下げられたゴンドラが客席の頭上に下りてくる。その上で演技をするのだが、見上げていた時、何やらポトリと頭に一滴。「あ!冷て!」。それは汗のようだった。髪の毛のちょうど薄目辺り(ハゲではありません)に命中した。

 演じていたのはSexyZoneの中島健人君。その後、フライングのような形でクルクル回転する演技が続き、今度は落下してきた2、3滴がまた、命中した。

 若い女性ファンなら大喜びで汗を浴びたろうが、他人の汗というのはどうもねえ。座ったのが1階席の前から7列目。その周辺にはかなりの汗がしたたり落ちたと思う。

 この作品はとにかく、出演者の運動量が並みではない。若者たちは身体能力が高いので、走り、よじ登り、バク転もする演技の連続。汗をかく演技というが、まさに、命中した汗の体験によって彼らの息遣いまで教えられた思いになったのは確か。

 その中島健人君。汗はともかくとして、笑顔が印象的だった。ダンスの切れも良く、まさにアイドルの二枚目の顔立ちで、スタイルも格好いいのだ。命中した辺りから毛が生えてくると嬉しいねえーと思ったりして…。

 高く舞い上がる噴水に突入するわ、舞台上からは膨大な水が流れ落ちてくる公演。前列2、3列目の観客にはビニールシートが配布され、水浴び、汗浴びが愉快なステージではあった。

 (平成25年12月26日)

M田崇裕の立ち廻り             

 中村獅童主演の新橋演舞場「大和三銃士・虹の獅子たち」(10月3日〜27日)に出ていたのが関西ジャニーズJrのM田崇裕。銃士隊の花輪嵐がその役で、三つの視点を書いてみた。

 最初は殺陣。つまり立ち廻り。アレクサンドル・デュマの原作「三銃士」を関ヶ原の闘いから始まる日本の戦国時代に置き換えて銃士隊の花輪は闘うのが仕事。アクションシーンが多く、槍を遣うM田もやたら闘う。槍の立ち廻りが剣と大きく違うのは直線的な動作、振り回す殺陣なので技術が必要だからだ。

 一幕一景から本人が好きだというアクロバチックなアクション、そして二幕十三景の壮絶な戦闘場面となるクライマックスでは槍を振り回し、最後は敵の槍によって殺される。一人、笑みを浮かべて倒れる最期まで槍遣いは稽古の賜物だろう。身体能力は高い。

 次ぎがキャラクター。南蛮かぶれの剽軽者。お茶目な一面を持っている花輪、本人も多分似た面があるのだろう。ただ、関西弁でしゃべるのだが殺陣のマスターの次ぎは台詞術の勉強が先行きへの大切なステップだ。

 そして三点目。7日に見たカーテンコールでは獅童に「それでは締めの挨拶を」と促されて短い挨拶をした。

 「とにかく初心に戻って、ガムシャラにやっていきます。何かあったら、また来て下さい!」と先輩俳優の前で気後れしないトーク。所属する事務所の公演以外では初めての他流試合。歌舞伎俳優、大衆芸能や新劇俳優らに混じっての芝居は今後の肥やしになるはずだ。

 他では獅童が座頭として違和感がない風格も身に付けた。宝塚OGの真琴つばさは、もっと出番が欲しかったが、相変わらず口許が可愛い。早乙女太一は立ち廻りには自信を持っているだろうが、諏訪のアグリ役で出ていた母親の鈴花奈々に台詞術をもっと習うといい。文学座の高橋紀恵が淀君。和服での芝居だから手の使い方を工夫すれば充分、合格点になった。

 (平成25年10月22日)

成長した桐山照史             

  日生劇場「ANOTHER」で桐山照史君と再会した。同じ日生劇場で上演された「少年たち」の時、一人の興味深いタレントを見つけた、と書いたあの桐山君だ。

 今回の作品はジャニーズ事務所の先輩たちが産み育てたヒット作。夏休みに冒険旅行に出かけた少年たちが嵐によって船は難破。小さな無人島に流れ着いて起きる物語。桐山君もその一人だ。

 「少年たち」での目標が、存在感を出したいというものだったが今回はそれ以上に目立っていた。彼は大柄な仲間たちの中ではむしろ小柄。一方でガッチリとした体格、“和風イケメン”(と前回に書いた)というような顔付き。これがいい。

 劇中、彼のための「コントコーナー」のような一場面があった。出世したねえ、桐山君!。それは下手奥から飛び出た姿がなんと女装。長い金髪のかつらを被って、スカートを履いていた。満場、黄色い歓声が飛んだ。

 この女装は別として、芝居では力強い台詞で舞台狭しと動き回る姿はスピード感があった。一段と成長した、と思う。

 主役は中山優馬。こちらは長身のいわゆる現代的な美少年。仲間と離れ、一人、別の島に流され、無線を使って合流してから彼の物語が進んでいく。さすが主役としての存在感があった。

 観劇した9日、帝国劇場で上演中の「DREAMBOYS JET」の出演者が突然、舞台に登場した。飛び入りのハプニングか。双方の出演者が何やらトーク合戦を見せていたが当方にはさっぱり分からなかった。

 ところでラストがショータイム。踊りまくる若者たち。今月は二つの劇場でジャニーズ事務所の若アユたちが跳ね回った。

 (平成25年9月20日)

千賀健永のダンス力に圧倒された             

  2004年の初演からシリーズ10年目に突入した「DREAMBOYS JET」が帝国劇場で開幕した。物語はほぼ同様だが、対立の仕組みがカーレースに変わり、「49歳になって来年は50歳です」と劇中で報告したマッチこと近藤真彦、役名では伝説のドライバー、マサヒコの半生を描く映画作りが軸になった。

 中年マサヒコと若者3人が主役。若者とはジュニアレーシングスクールで同期だったタマモリ、センガ、ミヤタ。

 タマモリの玉森裕太は初の座長公演。笑顔がかわいいスター性がある。センガの千賀健永のダンスには目を見張った。もっと若い出演者よりも素早い動き、ダンスの振りのキレが抜群。3人の中でいちばん目立ったと思う。ミヤタの宮田俊哉は三枚目の役柄。本人もお笑い系に合っている。

 公演2日目の観劇。客席上手通路から舞台に向かう男性をミヤタが「あ、タマモリがやってくる」。本当はセンガの間違いで、そのセンガが「タマモリじゃない、センガです」と笑わせた。玉森が共演する「「ぴんとこな」のジェシーが観劇していることを話せば客席は「キャー!」。終演後にはジェシー君はもみくちゃになっていた。カーテンコールでは玉森が台詞を噛むと、これもファンは大喜びだった。

 マッチのヒットメドレーから始まる“新作”。この日はマスコミ招待日で、演出のジャニーさんがお客を見送っていた。「きょうはありがとう」と声を掛けてくれて、「若い三人が個性的で良かったですね」と話せば「マッチが出てくれました」。人の絆、心の繋がりをテーマにした作品。ジャニーさんの人柄が重なる公演だった。

 (平成25年9月9日)

坂本昌行でエルガヨを!           一日の生活イメージ

 V6の坂本昌行の舞台を見たのはいつ以来だったか。

 いずれにしても久方ぶりの舞台姿は落ち着きが出て、座頭の風格さえ感じさせて、少々驚いた。

 東京グローブ座でのミュージカル「シルバースプーンに映る月」(6月30日まで。7月3日〜6日・大阪サンケイホールブリーゼ)だ。

 彼が演じた敷島綾佑という男性は、これまでの役々とは異質だった。大会社の御曹司だが、悪友と酒浸りの放蕩三昧。専務である会社へは会議にも出ない。しかし、放蕩には隠された理由があった。

 足元をふらつかせた泥酔ぶりから登場した幕開き。早くも、ここから舞台俳優として一皮剥けたオトナの雰囲気さえ感じた。

 ここから二枚目半の役柄とキャラクターで演じていく。初めに風格と書いたが、実はこれが大切な急所。

 共演者が舞台経験豊富な強者たち。皆、個性的なのだ。透明感のある歌声を持つ新妻聖子、元・四季の鈴木綜馬は低音が響き渡り、実力派のコメディエンヌ戸田恵子。その中に混じって存在感を示せたのは大したものだ。

 最初の泥酔ぶりをしっかり酔っているように見せたし、三場での「ダンスは上手く踊れなくていい」が魅せた。スパニッシュダンスで新妻と、そしてホモを装う悪友の磯村(上口耕平)と踊った。この笑わせた演技が二枚目半という理由だ。

 いくつか着替えた衣装だが、ラストでは専務として会議に向かう時、バッチリと決めたスーツ。大劇場での「ゾロ」も良かったが、中劇場でも開花して、より舞台俳優として認知できた。

 料理の腕も良いようだが、近い将来、「ファンタスティックス」の主役エルガヨの彼を見たくなった。

 【写真】撮影:阿久津知宏

 (平成25年6月29日)

ゴールデンルーキー氷川きよし           一日の生活イメージ

 「氷川きよし特別公演」で浜町の明治座が熱狂の渦の中にあった。

 この劇場で2年ぶりの座長公演。「銭形平次〜きよしの平次立志編」と「氷川きよしコンサート」の2部構成だ。

 例え話の典型として登場してもらうのがプロゴルファーの石川遼と、歌手の氷川きよしである。二人の共通項がある。「待ってました!ゴールデンルーキー!」だ。

 10代の遼ちゃんが颯爽とデビューし、早々とプロ初勝利を挙げた時、一番喜んだのは先輩の男子プロだった。次々と新スターが進出していた女子プロゴルファーに対し、男子プロは人気が低迷。賞金も激減していた。遼ちゃんの出現で一躍、男子プロも水を得たのだった。

 きよし君も凄かった。「箱根八里の半次郎」を引っ提げて演歌の世界に名乗り出たデビュー。長く、若い男性演歌歌手が待望されていた時、まさに救世主の出現だった。

 新鮮な若いスターによって業界全体が光を浴びる。その典型が二人だった。

 第1部の芝居「銭形平次」は一昨年の「青春編」に続く「立志編」。第2部のコンサートでの挨拶を聞くと、人柄と人気の背景がよく分かった。「ボクは凡人ですから、人の何倍も、いや、何百倍も稽古をしないと、作品とかの役柄で伝えなければいけない事が身体に付かないのです」

 次ぎに来年はデビュー15周年になる。

 「本当に皆様のおかげです。初心に戻って、また新人氷川きよしになってやっていきたいと思います」。

 歌い終えた一曲一曲、必ず両手を膝に置いて最敬礼をする。「ゴールデンルーキー」は輝き続けていた。

 (平成25年6月17日)

稲垣吾郎の左手           一日の生活イメージ

 3回、観客は度肝を抜かれる。

 轟音から幕を開ける。雷鳴だ。さあ、スタートだ、というバトルの始まり、始まり。これが1回目。

 2回目が、顔面を叩かれ、土下座になり、足蹴にされる稲垣吾郎だ。

 そして3回目。吾郎ちゃんの“女形”だ。

 渋谷はシアターコクーンの二人芝居「ヴィーナス・イン・ファー」がその舞台(6月23日まで)。稲垣の役は劇作家で演出家のトーマス・ノヴァチェック。中越典子は女優のヴァンダ・ジョーダン。最初の轟音で舞台が明るくなると、トーマスは携帯電話で恋人の会話をしている。そこへ、オーディションに遅刻したヴァンダが乱入し、それからは二人の主導権争いの罵声。トーマスが脚色したマゾッホの小説「毛皮を着たヴィーナス」の本読み、演技が進む。

 稲垣の左利きは知られるが、その左手はヴァンダの白いドレスのファスナーを引き上げる。また、携帯電話を持ち、鉛筆でメモをしたり、サインをしたり、ソファーに横たわった中越に覆いかぶさり、左手は背中に回る。その左手ばかり見てしまった。演技をするサウスポーなのだ。

 作品のヒロインとして自分を売り込むヴァンダは、密室のスイッチの位置をなぜ知っていたのか。男物のフロックコートまで用意していたのは? 脚本のストーリー、台詞まで暗記していたのは? トーマスの恋人の事まで知っていた…。謎が多い女性である。

 そしてラスト15分。ついにトーマスは作中のヒロインの名でもあるヴァンダに扮し、女性口調の台詞を吐く。吾郎ちゃんの“女形”である。

 SMAPのメンバーの中で舞台出演が一番多いのが彼だろう。初めての二人芝居、劇中劇を演じる男性の本性を演じる。また、罵倒され土下座までしてボロボロになる役柄。

 黒い下着姿でエロティックな中越。黄金の左手の稲垣吾郎。吾郎ちゃんに舞台でのダブーはなくなった?

 【写真】撮影:引地信彦

 (平成25年6月17日)

“まっすー”の居場所は舞台         

  「STRANGE・FRUIT(ストレンジ・フルーツ)」を見に東京・グローブ座へ出かけた。

 この劇場で以前、見つけた小山慶一郎という俳優の才能について新聞に書いたことがある。

 今回の舞台の主役は増田貴久。小山と同じ「NEWS」のメンバーだった。

 彼が演じた千葉曜一郎は映像作家。1億円という大金を目指し、アートスクールプロジェクトに招かれた素質の持ち主で、定点カメラを設定して作品を作る男だ。ただし、この物語が恐いのは、死体を芸術作品にするのである。

 チャプター5の4月1日から始まり、チャプター1に戻っていく1年間のストーリー。

 結論はー。

 台詞の通りがとても良い増田(愛称は、“まっすー”というのだとか)は、舞台に合っている。正面を向いた時だけでなく、横や後ろを向いた時、台詞が聞き取りにくい俳優がけつこう多いのが舞台での演技だが、彼はそれがない。

 童顔で、まだ少年の青い果実のような26歳。きっと、脚本を読み込んできたのだろう。アートの世界と人生、恋、自分自身との関係を通して自分の居場所を探っていく難解さも内包している舞台だが、最後の場面。「カナ、帰ろうよ」が印象に残った。“まっすー”君。居場所は舞台だ!

 (平成25年5月31日)

タッキーはヨーイヤ・サー         

 「滝沢演舞城」が4年ぶりに新橋演舞場に帰ってきた。上演を続けた同劇場の歌舞伎が新しい歌舞伎座へ戻り、その最初の公演が滝沢秀明座長らの今公演だ(4月7日〜5月12日)。

 滝沢流の「和の世界」。日生劇場で打っていた滝沢カブキのスタイルに加え、いわば洗い直された今回は一層のスピードアップと新しさが注入されて演舞場に“歌舞伎”が戻ってきた感じだった。

 幕開き第一声が「春のおどりはヨーイヤ・サ〜」。タッキーの力強い声で始まり、4年間の空白を埋めるパワフルな舞台のスタートだ。

 舞台中央から客席へ、あるいは2階上手の客席から下手の花道へ飛んでいくフライング。仮面を次々と替える仕掛けや歌舞伎の手法のぶっ返り、早替わり。タッキーのケレン味で一番ビックリしたのが、大きな和太鼓を叩きながら座っている台がグルリと180度回転する大仕掛けだった。

 「和の世界」はてんこ盛り、特盛りだ。新曲「いつか」を披露すれば、「三番叟」や「滝の白糸」での水芸、[紅葉狩り」、そして「石川五右衛門」では楼門で「絶景かな絶景かな」と大きく張った声、また花道で飛び六方で引っ込みまで演じた。

 2幕ではお馴染みの「義経」。京の五條大橋で弁慶を倒す牛若丸時代から兄の頼朝に追われて奥州へ、そして壮絶な闘い。

 通算8年目に入ったというこの「滝沢カブキ」。上半身を丸裸にして和太鼓を叩き続けるタッキーを見て、グレードアップされたアイドルになった、と思えた。

 (平成25年4月21日)

はーちゃんは敢闘賞         

 AKB48のチームBメンバーという片山陽加は“はーちゃん”と呼ばれているそうだ。今、22歳のその彼女が宝塚歌劇のOGたち“猛者”に混じって出演したミュージカル「新幹線おそうじの天使たち」を見た(渋谷・アイア・シアタートーキョー。3月16日〜24日)。

 物語はタイトルそのまま、新幹線東京駅の掃除員が奮闘する姿を描いた根性ものだ。新幹線の折り返しのたった7分間で車内掃除を完了させる女性たちの努力、奮闘は世界中が仰天する早業。初めて片山の舞台を見たが、失礼ながら「精一杯」といった奮闘ぶりだった。

 他のキャストに負けない存在感を出したい…とプログラムの中で語っているが、木の実ナナが“地下の首領(ドン)”と言われる最古参、杜けあきが専業主婦から別世界に飛び込んだ母親、樹里咲穂がリストラされた独身の元OL、さらに松本明子、不破万作といった舞台経験豊かな俳優の中で存在感を出すのは並大抵でない。

 第1幕でお下げ髪で出てくる菜々子の彼女は、一人で弟を支える極貧の女性。トイレ掃除の担当になったのも時給が高いからだ。先輩の奈美(松本)から130円のカンジュースを貰って大喜びする時、その嬉しさと貧しさぶりを同居させて見せたのがお手柄。

 2幕ではポニーテイルの髪に変わって、生き生きとした今時の若い女の子になっていた。存在感といえば圧倒的な木の実、これまでの役柄とはまるで違った変人女性を演じた樹里、そして歌、踊り、芝居の三拍子揃った杜の順だと思うが、小柄な体を精一杯動かせて、しっかりと役柄の輪郭を出せたと言える敢闘賞。渋谷のどこにでも居そうなタイプだが等身大のタレントから個性的な女優へー。しっかり先輩の芸を盗め!

 (平成25年4月1日)

堂本光一の持続力         

 今年も「Endless SHOCK」が開幕した。博多座で4月30日に千秋楽を迎えるロングランの期間中、通算1000回上演となる怪物作品だ。帝国劇場で6日に見たのだが、改めて主演・堂本光一の強烈な意気込みを感じた。

 主題は変わらない。「ショー・マスト・ゴー・オン」。持続、継続。中断してはいけない。これはショーに限らないテーマだ。そして「限りある命を大切に」。表現を変えれば「愛」。まさに作品タイトルの通りだ。

 今回ほど、真剣に見つめたことはなかった。というのも、発見が多かったからだ。

 パワーアップした、というより、より多彩で緻密になった、と思う。これは作品。ニューヨークはオフ・ブロードウェイの小劇場のオーナーが前田美波里に変わった。共演者によってこうも変わるのか。前半、ショーの千秋楽の場面が新しくなったためか、コウイチも生き生きとしていた。

 さて、堂本光一の演技だ。

 22段の階段落ち。何回もあるフライング。全く、速度が以前と変わらない。驚いたのはこれではない。ダンスの振りだった。新しい振り付けがいくつもあったが、これが高度なテクニックが必要だと分かる。コウイチは難なくこなしていた。稽古の賜物、強烈な意気込みが支えているのだろう。

 ラストがいい。背景に大桜。燃え尽きた後だ。「桜の下にて我死なん」。美しい桜が咲く国、日本。未来を託すメッセージが伝わった。「ライフ・マスト・ゴー・オン」。

 (平成25年2月10日)

田口淳之介、ソロ出演での可能性   

 あえてジャンルを定義すれば「パフォーマンス」となるのだろう。

 東山紀之とKAT-TUNの田口淳之介がダブル主演の公演「NO WORDS NO TIME〜空に落ちた涙」が東京・新大久保の東京グローブ座で上演された(1月18日〜2月5日。大阪公演は2月8日〜12日)。

 タイトルのように、ジャンルを超えたパフォーマンスなので実に説明が難しい。ダンスが中心とはいえ演劇的な要素、パントマイム、またダンスもコンテンポラリーを含み、それより何より台詞が一切、ない。出演者が声を発することもない“ノーワード”なのだから−。

 立ち姿が綺麗な田口にまず目を見張った。

 細身、つまりスリムな二枚目。最初に出てくる時の衣装が銀色(と思えた)のスーツ、靴。これが似合う。ちなみに東山は黒系のダークスーツ、靴。これもよく似合う。

 田口は、KAT-TUNから離れたソロに舞台。一人で演じるのは初めて、しかも大先輩の東山とのダブル主役。プログラムには「体が固いので、風呂上りにストレッチを始めた」とあったが、そのダンスは褒めていい。かなりに稽古を積まなければ、とても共演の腕利きダンサーと太刀打ち出来ない踊りばかりだった。

 後半、衣装が逆転した。東山が銀系、田口がダーク系。この衣装交代は、物語がパラレルとなる、あるいは二人の男が重なる部分を意味しているように思えた。

 正直言えば、次々と展開するダンスの速度が凄いし、ダンスファンならいざ知らず、見ていて疲れる。そして退屈になるパートも多い。105分。そして、田口に関する結論。時代劇なら新撰組の沖田総司、シェイクスピア劇ならハムレットをやらしてみたくなった。台詞がふんだんにある演劇への挑戦も見たいものだ。

 それにしても東山には感心した。どこにあの年齢で、若さとスピードとキレがあるのか。ご立派でした!

 (平成25年1月31日)

桐山照史君に注目 

 東京・日比谷の日生劇場公演「少年たち」(9月4日〜同26日)で一人の興味深い才能を見つけた。関西ジャニーズJrのメンバー桐山照史だった。

 ジャニー喜多川の作・構成・演出のこの作品は、東京公演が昨年に続いて2回目。前回では発見し損なってしまったが、あえて出演者を中心に目を凝らしたところ、その桐山が目に留まったのだった。

 刑務所に収容されている数多くの少年たち全員が主役だろう。父親を殺してしまった、警官を殴った、サラリーマンを半殺しにした、そんな犯罪を犯した少年たちが所内でグループを作り、暴力的な所員と闘いながら、一日も早い出所を待っている。桐山が演じるのは「青09」。親友を殺した奴を締め上げたという罪だった。計画してきた脱獄を実行していく中、風呂場でシャワーを浴びる場面や、格闘のアクションシーンが、「俺たちは上等」、「僕に聞くのかい」といった曲を皆々が歌いながら超スピードで展開していく。

 7人の関西ジャニーズJrの中で、頭髪を染めていない黒髪の桐山は、あえて表現すれば“和風イケメン”か。あるいはオーソドックスな二枚目とも言える。

 上演プログラムの中でこう語っていた。

 「実は台本上では、そんなにセリフは多くない。けど、セリフが少ないことか分からないくらい、存在感で勝負したいと思ってるねん」。

 まさに、言行一致。セリフが多くはないが、舞台に立っている場面は少なくない。目立ったのが、特に脱獄に向かうところ。大喧嘩の場面だ。歌よし、アクションよし、ルックスよし。立派に存在感を示していた。「少年たち」の桐山照史、次の出演舞台も注目!

女は度胸・桐谷美玲の初舞台 

 桐谷美玲の初舞台を見た。既に公演は7月22日で終了した。「新・幕末純情伝」(シアターコクーン)。「沖田総司はオンナだった」。つかこうへいの破天荒な設定だが、青春を突っ走る若者群像劇だ。桐谷はその沖田の役で初舞台、初主演。実に度胸がいい。

 まず、その度胸とは、舞台上の事ではない。つか芝居は台詞が多い。特に主役は膨大な台詞のオンパレード。次ぎに、つか芝居はアクション、殺陣がめちゃくちゃに多い。そして、つか芝居は際どい台詞(SEX、差別、暴力的)にハラハラするし、際どい演技(SEXシーン)にもハラハラさせられる。何でもやるのが女優の心得とはいえ、それを当たりの前ながら、承知の上で彼女は舞台に立った。男は度胸、女は愛嬌というが、その度胸には敬服した。

 さて、舞台。

 劇中、桂小五郎の台詞に「負けてたまるか!」というのがある。これは何度となく多用される。この作品の主題の中心だと私は思っている。

 「負けてたまるか!」。沖田もそうだ。

 肺病という病、見下される差別、セクハラや愛する男の裏切りーに負けてたまるかである。

 桐谷は顔が小さい。身長と比較して舞台では小さく見える。細身、スレンダーの体格だ。動き、スピードとか力感のある男優に混じって、ひ弱く見えてしまう。それらをどう克服したか。

 白いTシャツ、シューズ。纏う衣装は赤。これで鮮やかに見せた。極論すれば殺陣は幼稚、キレがない。絡んでくる男優陣に助けられていたのが分かる。しかし、これは絶望的な欠点とは言えない。膨大な台詞。「私を裸にして、犯せ!」などといった台詞。決して怖けることなく言い切った。羞恥心を示さずに言い放ったのがむしろ驚きだった。

 幕開きから一向に笑顔を出さない緊張感が良かった。ギャグにも動じない。後半に向かうにつれてかわいらしい笑いがこぼれたが、時にやや地になるのが気になる程度。

 勝海舟の山本亨の殺陣、桂小五郎の吉田智則の絶叫台詞、坂本龍馬の押尾佑の二枚目半ぶり。つか芝居に嵌まったのはこの三人だが、紅一点、桐谷の初舞台は「負けてたまるか!」の度胸に、座布団1枚!。

あっぱれ、風間俊介

 風間俊介という俳優に注目しよう。ル・テアトル銀座で上演中(7月26 日まで)のマキノ雅彦(津川雅彦)演出の「男の花道」。彼の役は藤堂嘉助。蘭学の眼科医・土生玄碩(はぶげんせき)の弟子だ。玄碩は、失明の恐れがある歌舞伎の女形役者・加賀屋歌右衛門の目を手術し、見事に回復させる。嘉助はその師匠の世話、また、貧しさを助けるため、駕籠かきまでして収入を支える役どころ。

 第1幕で、助けを求めに来た歌右衛門門下の歌之助の話を聞く場面。中村梅雀演じる玄碩の横で両手を膝に置き、正座している。このただ控えているだけなのに雰囲気がある。ふくよかで、好人物で、師を尊敬していると分かる。大したものだ。また、師匠の物まねを演じているところが面白い。特徴をしっかり把握している芝居になっていた。

 「いいなあ、うちの先生は。たまらないなあ」という台詞で二人の師弟関係がすっかり分かる。梅雀との息がピッタリ、合う。ジャニーズ事務所で切っての演技派俳優だとプロフィールに書かれていたが、歌右衛門を演じる中村福助らの歌舞伎俳優、森本健介ら新派俳優、つかこうへい演劇の常連だった春田純一らジャンルが違う人々との共演は、間違いなく将来、役立つ。風間俊介、大出来、あっぱれじゃ!

秋元才加の将来性

 6月6日開票の「第4回AKB48選抜総選挙」の結果をスポーツ報知で調べた。いた、いた、秋元才加、20位。19121票。

 演劇ジジイがなぜAKB48? 答えは簡単。「ローマの休日」(企画・制作・梅田芸術劇場)の主役アン王女の演技を覚えていたからだ。公演自体はすでに5月27日で幕となっているが、銀河劇場で見た記憶を思い出す限り、書く

 映画のオードリー・ヘップバーン、日本の舞台では大地真央ら。今回は荘田由紀(鳳蘭の長女)とのWキャスト。初の大役と言っていい。2、3回の舞台経験があるようだが、しっかり彼女を正視するのは初めてのような気がする。

 まず、良い点。

 新聞記者ブラッドレー(吉田栄作)に支えられ、彼の部屋に入って行く最初の出。意識朦朧の中、フラフラと覚束ない足元の芝居がうまい。何より気品を出せたのが上出来だ。スタイルがいい。しなやかで、背筋がピンと伸びているからだ。

 次に第1幕の最後。大使館への電話連絡を取り消し、待っていた部屋の外からブラッドレーに向かって走るところ。別れ難い真情が体全体に見えた。

 さらに、笑顔。ショートヘアに変えた2回目の出が爽やかだった。髪を短くしたことで笑顔を見せる芝居。ヘップバーンの若い頃に似たチャーミングさと重なるほどだった。

 台詞だ。台詞廻し。声の調子、トーンが同じようでメリハリに欠ける時がある。品が不足して、従って王女というより一般人に見えてしまう。また、聞き取りにくい部分も出た。特に客席に背を向けた時の場面。仕草も優雅さに欠ける場面もあって、欲を言えば自分なりの工夫が欲しかった。これは、しかし舞台経験を積めば克服出来るはずだ。

 公演プログラムの中で彼女はこう話していた。「今まではクールな役が多かったので、アン王女のような可愛らしくて無邪気な女性を演じられることに、すごくわくわくしています」また、「AKBでの自分と重なる部分があるなと思ったんです。例えばAKBも恋愛禁止ですし、嬉しいことですが今は休みがあまりなくて、たまには旅行に行きたいとか、友達と遊園地に行きたいとか、アン王女と似た気持ちを抱くことがあります。お花見に行きたかったなあとか(笑)」

 総括。大役、しかも王女という難しい役柄を演じて、合格。舞台女優としての将来性は充分に発揮した。

PROFILE

■大島幸久メモ

 東京生まれ、団塊の世代。ジャイアンツ情報満載のスポーツ報知で演劇を長く取材。演劇ジャーナリストに。現代演劇、新劇、宝塚歌劇、ミュージカル、歌舞伎、日本舞踊。何でも見ます。著書には「名優の食卓」「新・東海道五十三次」「それでも俳優になりたい」。鶴屋南北戯曲賞、芸術祭などの選考委員を歴任。毎日が劇場通い。