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団塊ジジイになりました。でも、いまがいちばん楽しい。

○○で子どもの成長を見守ります。それ行け シニアライフ

〜青井陽治さんの死去について〜 NEW!

 翻訳家で演出家の青井陽治さんが9月1日亡くなった。予想外のその訃報に驚いた。

 私にとっては病死とは思えず、何か事故でも起きたかとさえ思えた。しかし、膵臓がんによる逝去だった。

 というのも何度となく顔を合わせていた今年は二人の大女優との交流についてとても貴重な話をしてくれたのを思い出したからである。

 2月には青井さんが選考委員をしていた読売演劇大賞の贈呈式で杉村春子のエピソードを、5月には劇団前進座の国立劇場公演で隣合わせた招待席で初代水谷八重子との交流を聞かせてくれたのだった。また、その5月には娘の当代水谷八重子が語り歌って母の初代を偲ぶイベントを演出していて、笑顔を見せていたからである。

 その後も招待日には劇場によく足を運んでいた。いつも開演直前に駆け込んできたのだが、リュックを背負い、両手には大きく膨らんだカバンやらバッグを重そうに持ち運んでいた。中には辞書やプログラム、参考書やパソコンを詰め込んでいたように見えた。とにかく勉強家なのである。

 顔を見合わせれば、ちょっぴりはにかんだような笑顔を返してくれた。麻実れいが素晴らしい女優であること、その理由、俳優としての劇団四季時代の話、その時、歌舞伎の中村歌六と一緒に学んでいたこと…。まだまだ楽しいエピソードを話して欲しかった。

 同時代に生きた演劇界の証人。残念無念、この一言である。

   (平成29年9月5日)

〜ちあきなおみを歌おう!〜 

 歌手ちあきなおみが70歳を迎える。昭和22年(1947年)9月17日に彼女は誕生した。

 引退をして沈黙を決め込む有名人はそう多くないだろう。原節子がそうだったし、山口百恵も同じだ。沈黙を守り続けるちあきなおみも数少ないその一人である。

 1992年に最愛の夫を亡くして以来、忽然として姿を隠して25年になる。

 彼女はドラマチックに歌い上げる歌手だった。「喝采」がある。「紅とんぼ」もある。「矢切りの渡し」もそうだ。「黄昏のビギン」や「冬隣」…。ハスキーな歌声は忘れ難い。

 −あなたは焼酎飲んでむせてますか。

 −カラオケで歌っているのですか。

 「想いだしてね、時々は」−。

 「紅とんぼ」を歌おう。ちあきなおみを歌おう! さあ、今からでもカラオケボックスへでも走り、そして歌おう。

  −と書いている当方も今年、古希になる。ご同輩は気になるのである。

 (平成29年7月21日)

〜青い鳥小鳥、なぜなぜ終わる〜 

 一通の封書が届いた。劇団・青い鳥からなので過日見た公演の礼状かと推測したところ、少し驚いた。

 『いつも私たちの小さな小さな劇場に足を運んでくださり、本当にありがとうございました。実は今回は43年間走り続けた私たちが、ここで、一区切りつけようと決めた最後の公演でした。これまで何度もご覧いただき本当にありがたかったです』。

 劇団解散の通知であった。

 『今回舞台上で演じながら、この劇団に入った頃の風景を思い出していました。そう、小さな小さな舞台から眺めた客席を。お客様の可愛らしい頭・頭・頭・。優しい笑い声や爆笑』。

 読みながら遠い昔を思い出してみた。

 女性だけ6人で旗揚げしたのは1975年。池袋小劇場の4Fホールという小さな小さな空間で『美しい雲のある幕の前』。彼女たちは若かったが、私も若かった。まだ二十歳代だったのだから。歌舞伎町のはずれのスナック「ジュネ」でバイトをしていた君たちの数人が劇団を作って旗揚げ公演をやるというので招待を受けて見た芝居はかすかな記憶はある。それでもへたくそな演技を上回る初々しい若さと、夢を叶えた輝くような美しさは忘れていない。

 『時が過ぎ、いろいろな劇団が生まれ、変化し、消えて行くという移り変わりの中、本当に青い鳥を観たいというお客様だけが残り、最後の、本当の最後の公演を迎えることができました。本当にありがとうございました』。

 2月23日、下北沢の小劇場B1で見た『普通の生活』の後、アフタートークが開かれ、今思えば解散を予知させる俳優の雰囲気はあった。演出の芹川藍が進行役を勤めて、青い鳥はあなたにとって何?とか、これだけ長く続けられたのをどう思う?といった質問をメンバーにぶつけていたのだ。

 『これまで「裕福」や「名声」の言葉と無縁で生きてきた私たちでしたが、形にならない宝物を多くのお客様から受け取らせていただきました。今日も「ありがとう」「公演、またやるんですよね!!」「よく頑張ったね」のメールや便りがどんどん届いています(プチ自慢してしまいました。すみません)』。

 俳優たちとほぼ同世代の女性たちが応援してきたグループだった。旗揚げから見続けてきた私は、彼女たちと同じ時間を共有しながら演劇の世界で生きてきた。同じ年月を経てきた、年を取ってきた舞台姿を見続けてきた。スナックのママ、とも子はどうしているだろう。創立メンバーだった木野花はどう思っているのだろう。

 『全公演を終えた数日後、演出家の芹川からのメールは「今…まるで大失恋をしたような気持ちだ」というものでした。私も同じ気持ちです。と同時に、芹川はこうも言っていました。「まだやれるよ!と言われているうちのアスリートの引退のように、終えていこう…」と』。

 そりゃあないぜフェーバーさん。何を言うんだウイシュボン(と、これは店の常連だった私の親友、ゲンナイの口癖!)。

 『これから…外の表現の場(映画・ドラマ・舞台の客演のチョイ役)で遠慮がちにたたずむ私たちを見かけたら、「ああ、悪戦苦闘しているんだなぁ…」と見守って下されば幸いです。もう少しもう少し頑張ってみます…外の表現の場で…本当にありがとうございました。…また…いつか…どこかで…』かしこ。

 3月17日付けの天衣織女の挨拶状だった。幸せの青い鳥を探しに旅に出た乙女たち。お疲れさん、頑張ったね、良くやった。舞台で演じていた杖を付いた姿を見かけたら、誘うよ。歌舞伎町で一杯やろうよ、市堂令、と。

 (平成29年3月27日)

〜さらば、パルコ劇場〜 

 「西武劇場〜パルコ劇場 ありがと、そして、さいなら」。東京は若者の街・渋谷のパルコ劇場が8月7日の上演を限りに閉場した。

 昭和48年(1973)の開場以来43年。建物の老朽化が主な理由による取り壊しを経て、約3年後の平成31年(2019)秋に建て替えとなる計画だ。

 前身の西武劇場で見た『ショーガール』。木の実ナナと細川俊之二人の粋でシャレたショーは1970年代当時の若者文化の最前線に立っていた。演出の福田陽一郎さんが客席を縦横に歩き回って、舞台の二人、スタッフに熱線を送り、叫びまくってダメ出しをしていた姿を思い出さずにはいられない。

 たくさんの思い出が残る。

 公園通りにはNHK放送センター、さらに小劇場の前衛・ジァンジァンが元気に公演をしていた。その間に建つ「パルコ」はファッション、レストランを始め流行を先取りした若者文化の発信地だったのは間違いない。

 恋文横丁のジャズ喫茶で恋を語り合い、ストリップ劇場近くのクラシック喫茶でモーツァルトを聴いて、劇場で芝居を見る。70年代の若者が粋がっていたものだ。

 劇団四季の翻訳劇、寺山修司、唐十郎の作品、英・米・仏・伊などヨーロッパの一流作家の上質な最新作を絶え間なく舞台にかけていた。井上ひさし作品が上演中止になり、高橋(関根)恵子が恋に走ってしまい、某若手有名女優が妊娠による舞台降板。当時の担当プロデューサーが「許せない。もうあんな女優は使うもんか!」と激怒したのも今は思い出である。

 この劇場の最高傑作は何だろう。三谷幸喜作品か、美輪明宏コンサートか。やっぱり『ショーガール』に尽きる(と、私の独断)。

 新たな建物は地上20階、地下3階。現在の延べ面積の1.5倍になるという。新パルコ劇場も少し規模が大きくなるそうだ。

 新開場は東京オリンピック開催の前年だ。生きていれば老骨にムチ打って、こけら落とし公演を見に行こう。『ショーガール』かなあ。美輪さんのコンサートかしら。再結成のSMAPもいいね。

 (平成28年8月12日)

〜モバイルはもはや公害だあ!〜 

 男は不細工、女は不器量(ブス)ばかりが目立つ−と見えるのは当方だけか。

 モバイル(携帯電話、アイフォンなど)に夢中な電車内の連中を眺め続けながら、それを発見した。歩きながら族、喫茶店、レストラン…どこでも同じ傾向だと思う。男女とも見た目だけの調査だが、数え切れない回数の結果だった。

 不細工とはご面相だけではなく、着用している姿・形、汚らしい髪形、座っている格好など全体の印象を含んでいる。不器量とはそのもの。男性と同様に、やはり仕種にも醜い人が多いのである。

 電車内では空いた席に突進し、他人はおかまいなし。老人も赤子連れも、体に不自由な人にも席を譲る気配さえ見せない有り様。

 大きく分けるとこの症状は三つになる。@馬鹿者A精神異常者B病気。病気とは依存症、あるいは中毒症だろう。

 友人、知人が少なく、人間関係が苦手なのだろうか。幼稚性から抜け出せないのか、ゲーム好き、ツイッター・ライン好き、または不安症か。それともまるで違うのは、情報収集のため、勉強目的、暇つぶし…。理由はそれぞれだろう。
 芝居見物では、電源を切らないから呼出し音が鳴ってしまう。上演中でもメール交信する。席を立って退場する。とにかく迷惑な人々がますます増えているのが現状だ。

 寺山修司は「書を捨てよう、街に出よう!」と言った。そこで。「モバイルを捨てよう、中毒症になる前に」。

 (平成27年7月13日)

〜「青い鳥」はなぜ若い?〜 

 思い出すなあ、劇団青い鳥の旗揚げ公演。メンバーの君たちは若かった、私とてまだ若かったあの日、あの頃。6人の女性だけで前年に創立した劇団の旗揚げが1975年。

 「美しい雲のある幕の前」を池袋小劇場4Fホールで上演したのだっけ。当時、新宿のミニバーでアルバイトをしていたメンバー数人から誘われて足を向けた。お世辞にも巧い演技とは言えなかった一方、ピカピカに光る若さ、勢い、目標を達成していく喜びが舞台に映えていたものだ。

 その40周年パラダイス、「ミクちゃん、お風呂の時間です。」を下北沢の小劇場B1で見た。東京公演は1月21日〜25日(大阪公演は2月5日〜8日)と短期間はいつもの通り。創立メンバーの芦川藍が主演・演出、天衣織女が戯曲を書いたが、例によって、ひと捻り加えた工夫があった。

 物語は父の葬儀のため実家に戻った次女が久しぶりに再会した母は認知症。会話はすれ違い、離婚を考えている娘との思い出話などがコメディチックに進む。で、工夫はその娘の役を当日の舞台上で、くじ引きで決めるもの。母親の芦川は最初の40分間、出ずっぱり、クジを引き当ててしまったのは創立メンバーの葛西佐紀。観客が笑い、頷く芝居を見せていた。

 今回の上演も「青い鳥」のオリジナルが満載だった。

 @狭い空間、少人数の客席A日常を描く。今回は脳卒中による認知症でリハビリセンターに居る母B意表を突く仕掛け。今回はくじ引きC今の時代の旬を取り入れる。今回はデーモン閣下の相撲の話などD音楽が流れる。今回はピンキーとキラーズの「恋の季節」などで踊るE遊び心。今回はなぜか突然、カルタ取りが始まる。なぜか台詞の尻取りが始まる。

 その結果、ほのぼのとした昭和の時代が重なって見えるし、働き者の昭和の母親が描き出されていた。

 旗揚げの時と比べれば、演技力は当然のように上達している。それでもヘタうま≠ニいうか、自然な芝居は素人ぽさの味わいをあえて出しているのが「青い鳥」の個性だろう。女性の持つ感性、感覚が満ちた戯曲と演技。40年を経ても彼女たちは可愛く、若々しいのはなぜだろう?

 白髪混じりの薄くなった頭を鏡で、我泣き濡れてジッと見つめた。

 (平成27年1月30日)

〜2度のキッス〜 

 「風」という演劇集団の公演を見た時の出来事である。

 上演作品は日仏の共同制作による「海との対話」で、フランス人俳優も出演していた。その中の一人、セリーヌ・リジェという女優に釘付けになった。

 公演初日なのでこの劇団恒例の初日乾杯にちょいとだけ顔を出した時の出来事である。

 乾杯も終わり、出口付近で劇団の俳優と雑談していると、先の女優が近くに来たので、つい呼んでもらった。英語さえ覚束ないジジイがフランス語など「アンテン・ドゥ」とか「ケスク・セ」や「ジュ・テーム」程度しか知識がないのに、つい魔が差したとか思えない挙に出たのである。
 
 紹介してもらい、握手を終えて、頭に乗ってしまった。

 「あなたはある時はカトリーヌ・ドヌーブのようで」「またある時はシルヴィ・ヴァルタンのようで」「そして、ある時はジャン・ルイ・ヴァローのようだった」と話し、通訳をしてもらったのである。

 実は、舞台を見ている間に頭をよぎった名前をそのまま伝えたのだった。知る限りの名を絞り出したのである。

 「つまり、実に美しく魅力的で」「チャーミングで」「身体能力が高い」と追い打ちで話し、通訳してもらった。と、どうだ。彼女は目を丸くして(これは本当にそう見えた!)満面の笑みを浮かべた瞬間、ミー(突然、英語)の方へ近寄り、何と、両頬にキッス(!)をしたのである。

 驚いたミーの顔ったらなかった(と、これは自分の想像)。

 キッスをしてくれた彼女は、別れ際にこう言った。「私は、あなたのことを決して忘れないわ」。これは通訳の話。

 で、会場から出た瞬間、驚くべき出来事が続いたのである。

 外にいた劇団の主宰者で演出家の浅野佳成氏が当方にいきなり近づき、何と、両頬にキッス(!)をしたのである。何という事だ。中年ジジイが、ミーの頬にである。

 驚いた当方の顔ったらなかった(と、これは周囲のスタッフらが笑っているのを見たので分かる)。

 生まれて初めてフランス人女優にキッスを受け、これは当分は洗顔しないゾとニヤついていた直後に、生まれて初めて男の、しかも中年ジジイの、演出家に同じ箇所にダブルキッスを受けるなんて。こんな悲しい出来事などあろうか。帰りの駅へ向かう途中、当然の如く、ハンカチで両頬を拭ったのである。

 ああ!風よ。舞い上がるような気分は、風とともに去りぬ。

 (平成26年9月19日)

〜蟹江敬三の死去〜 

 蟹江敬三が3月30日に亡くなり、4月2日に公表された。多くの俳優、芸能人が哀悼のコトバを話したが、演出家蜷川幸雄の文章を突然、思い出した。

 以下は平成3年2月5日の報知新聞に載った「劇的教育論」の一部。当時、当方は蜷川氏の連載を担当していたのだった。

 「石橋蓮司と蟹江敬三は、ぼくが演出家になったとき、ぼくと一緒に芝居するといって、それまでいた劇団をやめた。当時、ぼくはもちろん蓮司や蟹江も、無名の若者だった。蟹江は、テレビ出演の話がきても自分が芝居に出ようと思っていると、さっさとテレビを断ってしまうような俳優だった。金のない無名の若者にとって、テレビ出演がどれほど魅力的であったか。でも蟹江は平気だった」

 「ほくはそんな蟹江にどれほど勇気づけられたかわからない。蟹江は、ぼくとの仕事のほうを選んだのだ、初めてのぼくの演出の仕事を」

 「ぼくは蟹江や蓮司からさまざまな影響を受け、いろいろなことを教えられた」

 劇団青俳の劇団員だった蟹江は、1968年、蜷川とともに現代人劇場に合流した。青俳には木村功、岡田英次、西村晃、加藤嘉ら後の名優がキラ星の如くいた。現代人劇場の解散から続き、1972年に桜社を結成した。現代人劇場の結成の時、蜷川32歳、蟹江23歳。まさに20代からの演劇仲間であった。

 訃報を受けた蜷川のコメントが紙上に載った。

 「僕(蟹江)がテレビに出るのは、いなくなったお父さんが名乗り出るかもしれないからと話していた。お父さんに会えたかなあ」

 先の「劇的教育論」で蜷川はこうも書いていた。「青春の日に影響を与え、影響を受けた関係というものは、年をとっても、遠くにいても、なぜか懐かしい」

 69歳で旅立った蟹江、現在78歳の蜷川。「鬼平犯科帳」で小房の粂八。蟹江は実に良かった。小劇場演劇の青春を闘った演劇人の死は、やはり寂しい。

 (平成26年4月22日)

〜合言葉を作れ!〜 

 「合言葉を言え!」。例えば、前日会ったばかりの友人にだって、「何者だ? 合言葉を言え!」と私は問う時がある。

 「ヤマ」と呼べば相手は「カワ」と答えて笑い合う。「エビ」と言えば「ゾウ」ではなくて「フライ」と返す。数日前に酒を酌み交わした奴にだって「合言葉を言え!」が挨拶代わりだ。

 お粗末なジジイどもだと思えば思え。二人の意味不明のやり取りを目の当たりにした周囲の人は呆れたような、バカにしたような笑いを浮かべても平気の平左だ。

 勿論、当の二人は全てを理解し合っている間柄なのだから出来るのだ。

 そこで、合言葉を作ろうじゃないか。

 目的? その通り。振り込め詐欺防止の一手である。

 「かあさん、交通事故に巻き込まれた。ン百万円用意して!」と来れば、即座に母親は「合言葉を言え!」とやる。あるいは、電話の声に対して即座に例えば「エビ」と言って「フライ」と返さなければ、詐欺。たとえ、「フライ」と答えても次の手の合言葉を用意しておくのだ。

 「ラーメン」「ライス」、「チャーハン」「ギョウザ」、「テンプラ」「スキヤキ」。何でもいい、合言葉で敵を撃退せよ!

 (平成26年4月22日)

〜タバコのけむり@〜 

 冬場。男は劇場の椅子に着席する前にコートを脱いでくる。女は自分の席に着いてコートを脱ぐ。なぜだろう。注意深く観察すると、大半がその相違だった。

 開演間際になると、自分の席でコートなどをドサドサ、バサバサと音を立てて脱ぐなら両隣の客さんに迷惑をかけることになる。コートの袖が当たったり、女性は手荷物やらハンドバッグ類を身に付けているので、狭い通路がよけい狭くなるものだ。

 脱いだコートを手に持ちながら前を通ればそんな心配は少ない。

 しかし、女性ばかりではないのも事実。男の年寄り、若い世代にも当てはまる。

 つまり、マナーの問題だ。そして常識の有無である。この場合の常識とは、他人に迷惑をかけまいとする自覚、自己中心的な振る舞いを制御する志のこと。

 遅くとも開演15〜20分前には劇場に到着しましょうよ。当方は開場直後を目安にしている。年寄りの心配性でもあるけれど、早めに着けば安心する。ゆっくりと筋書きを読める、タバコの一服も可能になるではないか。そして、コートを脱ぎ、モバイル(携帯電話など)を電源から切れるので、ご迷惑をかけずに済む。余裕が生まれるのです。

 おっと、一番大切なことを忘れていた。トイレで用を終えられる。特に、心配な「大」の方も済ませる。便器でウンチクを傾けられるのであります。

 世の女性よ、先んずれば人を制する。コートを脱げ! 以上が観劇のマナー編。

 (平成26年2月27日)

〜寂しい渡辺えりの覚悟〜 

 来年、還暦を迎える渡辺えりは挨拶状にこう書いていた。「暗黒の時代の再来を阻止しなければと必死な日々ではありますが」。

 その一文に誘われ、1月13日、六本木のスイートベイジルで開かれた「ドラマチックコンサート」に出かけた。

 劇団300を主宰する劇作家で演出家で女優の彼女の異才ぶりは称賛もので、その歌唱力も定評があり、28歳の時には「ビューティフルコンサート」というライブを始めているほどだ。

 むっちりとした両肩を大きく露出した赤いロングドレス姿で登場した。昼に続く2回目だったがパワフルな姿勢は相変わらず。「元気にやりましょう」と右手を突き上げて会場を盛り上げ、「回転木馬」から歌い始めた。

 何度か合間にトークが入ったが、配布されたパンフレットにはこう書かれていた。

 「このところ、愛する人や、尊敬する方たちが一気に異世界に旅立たれ、寂しくて仕方がありません」。

 トークでは仲間だった故勘三郎への想いを語った。

 「テレビの『ソロモン流』という番組で(私を)正直な人です。我慢しないからね、あの人は。だから好きなんです−と勘三郎さんが言ってくれた。私はわがままなんですよ。わがままと言ってくれる人、貴重ですよね」

 「電話してくれて、飲みに行こうよ−と言われたんですが先約があって。『ああ、分かったよ、もういいよ!』っていう人なんですよ。1年経っても穴が大きすぎて…」

 このトークの後、「ありがとう」を絶唱した。演劇人のコンサートらしく、新作「赤い壁の家」の中から彼女が作詞したシャンソンの名曲やミュージカル「レ・ミゼラブル」の中の「夢破れて」などを歌い、フランス人形のような衣装にも着替えた、えり。

 「時代の空気もどんよりとして危険な方向に流れて行くのを何とかみんなで食い止めなければなりませんので本当は嘆いている時間はないんですよね?」。これもパンフレットの一文。

 勘三郎に捧げながら、保守政権の右傾化を危惧しながら、全力で今の自分の生きざまを晒した彼女は1月5日が誕生日だった。「来年、60ですよ…。去年から耳鳴り(エイジング)がしていて」という元気印の渡辺えり。老いの入口に向かったとはいえ、今年は傑作を書いてくれる予感がした。

 (平成26年1月20日)

〜さよなら、ピーター〜 

 ピーターが死んでしまった。竹邑類の訃報を知ったのは12月13日の朝刊だった。71歳。年上とは思っていたが5歳上とは。

 11月には彼の著書「呵呵大将・わが友、三島由紀夫」が郵送されていたのだ。今年は知人の悲報が例年よりも多く、また一人、楽しい演劇人を失った。

 六本木の地下1階にあったかつてのアングラシアター「自由劇場」。ピーターはここで「スーパーカムパニイ」を主宰して“菜の花飛行機シリーズ”というオリジナルミュージカルを作っていた。これが実に面白い。イキでシャレていて、ビジュアルで、愉快で、ハイテンポで。荻原流行らの俳優も育てた。公演前には必ず連絡が入り、送られてきた秋川リサとかが写ったポスター写真を大きく使って紙面に載せたものだ。

 かつて紀尾井町にあったクリスタルルームという小スペースでもピーターは演出の常連。稽古を見てくれと熱心に誘われた。ライバル紙のHと出かけては素人ながら意見を伝えたものだ。

 宝塚歌劇の振り付けでも独創的な踊りを作ったピーター。ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」の初演でタイトルロールのヴァイオリン弾きを演じたことを知る人も少なくなってしまった。三島が小説「月」の主人公に書いた小さな宇宙人のようで、人なつっこいあの笑顔を思い出す。夢を追い続けたピーターパン! さようなら。

 (平成25年12月26日)

〜初老3点セット〜 

 都内には当方とご同輩と思われる初老男性がウヨウヨと居る。随分と以前から発見したのがその風体。

 キャップ(特に野球帽)を被り、開襟シャツ、今頃の晩秋から初冬はジャンパー、そしてGパン(ジーンズ)、背中にはリュックサック(デーバッグ)。流行なのだろうか。当方は、しかし、キャップ、Gパン、リュックサックの初老3点セットだけはやらない、と決めている。

 粋(いき)ではないからだ。ヤボったいからだ。3点セットのご同輩をバカにしているのではない。いや、ほとんど嫌っている。

 我ら団塊世代はVAN、JUNで育った世代ではないかね。リュックサック? ヤボはやめよう。

 そんな3点セットが劇場に来たとする。客席の間を通る際、背負ったままのリュック。着席する直前にリュックを下ろし、キャップは被ったままだ。背中のリュックは後ろ向きで通れば前列の人にぶつかり、前向きなら同列の目前スレスレに入って行く。一つの挨拶もない。そんな光景は枚挙にいとまがない。

 劇場に入場した時、リュックサックを下ろし、胸元に持てばいい。キャップや帽子はすぐ取れ!

 男性に限らない。バアさんだって似たようなものだ。お荷物はできる限り少なくしろ。話し声は小声で。バカ笑いは聞きたくない。ああ、短気は損気というけれど、書いていてイライラ、ムカムカしてきた。

 結論−。ああ、年はとりたくないものだ。短気になるばかりだもの。

 (平成25年11月13日)

〜蹴るな!取れ!消せ!〜 

 我が意を得たり−と手を叩いたのがちょいと古いが、情報誌「メトロガイド」7月号だ。小俣雅子さんのコラム「おしゃべりがとまらない!」で戦友を得た気分になった。

 上映前に「どんなに足が長くても、前の席を蹴らなぁ〜い」という歌が流れる映画館があるそうだ。携帯電話をオフにすること、飲食の禁止などをアナウンスした後に流すという。

 以前は、上映中に作品の内容や出演者について質問し合う夫婦たちに注意事項をアナウンスして欲しかったという。文章の最後に、周りの人たちが目配せをしたり、咳払いで注意を喚起しても全く気付く様子がないのが残念と書いてあった。

 同感!異議なし!だ。

 芝居の劇場でも同様である。背もたれを蹴る観客、演目の内容はおろか、世間話に花を咲かせるおばちゃん。上演前に流すアナウンスに加えて欲しいと常々願っていた事項が、実は一つある。

 「帽子を取れ!」。大劇場から小劇場まで帽子をかぶったままで観劇する輩が居る。老若男女を問わず、数人は必ず居るのだ。

 マナーという以前の常識の欠如のばか者たち。ついでに書けば、オフにしない携帯電話による着メロ、オフを突如、オンにしてスマートフォンを見続けるばか者。
 「前の方のご迷惑になりますので、帽子は必ずお取りください」といったアナウンスをする劇場は三越劇場、国立劇場くらいで極少ない。全ての劇場で「蹴るな!」、「取れ!」、「消せ!」を実行せよ。常識とは、他人を思いやる心だぜ。怒りはもう止まらない。

 (平成25年11月12日)

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2013年11月1日
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 ▼大島幸久メモ 東京生まれ。団塊の世代。ジャイアンツ情報満載のスポーツ新聞(スポーツ報知)で演劇を長く取材。演劇ジャーナリストに生まれ変わったばかり。現代演劇、新劇、宝塚歌劇、ミュージカル、歌舞伎、日本舞踊。何でも見ます。著書には「新・東海道五十三次」「それでも俳優になりたい」。鶴屋南北戯曲賞、芸術祭などの選考委員長を歴任。毎日が劇場通い。

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